蠍蝗
 

□ちょっと一休み

「戦争で一番キツい仕事が何か知ってるか?」
 座長が切り出す夕食時。本日もいつも通りの野宿が決定につき、焚火に掲げた鍋を囲みつつ。
「お、始まりましたね! 座長のこんにゃく問答!」
「お前は黙って聞いてろ」
 鍋の肉をみんなの器に分ける作業と並行して野次を飛ばすハルちゃんに、座長は眉間に皺を寄せた。やましい気持ちなどなくとも、ころころと笑うハルちゃんは本当に可愛くて、ハルちゃんが笑うと一気にその場の空気が明るくなる。
「で、新入りはどう思う?」
 彼女が差し出す欠けた木の器を取りながら、座長が錆だか汚れだかのこびり付いたフォークの先をこちらへ向ける。ハルちゃんのことでいっぱいだった頭を一旦空にして、押し付けられるままに器を受け取りながら暫しの黙考。
 ……さて。戦争で一番キツい仕事、とは。最も命の危険に曝される兵士は言わずもがなだろう。しかし声一つで無数の兵士を動かす指揮官も胃が痛くなる仕事のように思う。軍医は軍医で休む暇もなさそうだが、そもそも軍医になるような奴はそっちの趣味があると聞くので楽しんでいるともしれない。キツいといえばどこの国も訓練やらしごきはキツいというイメージしかないが、たかが訓練でへたる人間が戦争で生き残れるのだろうか。戦争での生き死には運だというが、それは戦争に限ったことでもないように思う。日常で不慮の事故に遭う人間は数数えきれない程いる。そのうちの一人には絶対になりたくは――。
 で。何だったか。戦争で一番キツい仕事だったか。その答えは一概には言えないと思うが。
「後片付けですか」
 聞かれてもいないのに低く答えたのはククさんだった。ククさんは鳥人だそうだ。“そうだ”というのは、翼がある筈の両肩には翼に代わって粗末な義手が付いていて、ぱっと見ではヒトにしか見えないからだ。感情を面にすることのないククさんは、いまいちよく解らない。解らないが一つ解ることといえば、故意か過失かは知らないが全く空気を読まないということ。
 今回もまた例に漏れず。……引き攣っている座長の顔を見るに図星を突いたのだろう。こういう場面では最初の一、二回は外さなければならないと決まっている。
「僕は兵士だと思うな。ゆっくり昼寝もできそうにないじゃんか」
 即座にコケダマがククさんと座長の微妙な空気の間に割って入りフォローを入れる。コケダマはネコの獣人で、程よく太ったネコをそのまま二足歩行させたような外見は一座の癒しとなっている。コケダマというのはあだ名で彼にはレックス・ニー・レキシントンというやたらと立派な名前があるが、とぐろを巻いて昼寝をしている様子がどう見ても巨大な苔玉のようにしか見えないのでこう呼ばれている。何処でどう罷り間違えたのかコケダマの体毛は、頭から爪先まで毒々しい真緑色をしている。
「あいつらは好きでやってるから良いんだよ。馬鹿高い給料だって貰ってるしな」
 得意げに反論する座長を見るにククさんの発言はなかったことにしたらしい。
 眉間に皺を寄せて小さく唸るコケダマを余所に、それで、と座長がこちらを見る。座長が用意した正解は既に出されているようだが俺はククさん程空気の読めない人間でもなく。
「俺も兵士だと。死にたくはないので」
「戦争で死ぬのは民間人も同じだ」
 確かに、“やれやれ解ってない奴だ”といわんばかりに肩を竦める座長を見ているとその鼻っ柱をへし折ってやりたくもなるが、目上の人間は一応立てておくべきだ。と思う。
「……片付けさ。屍の、な」
 やがて満を辞してと座長が憂いを篭もった溜息を吐き出し、
「それはさっき俺が」
「てやっ!」
 徹底的に空気の読めない鳥類の口をハルちゃんの掌が塞ぐ。ククさんは自分が両翼を無くした経緯を誰にも話さないが、この空気の読めなさっぷりが一因であることは想像に容易い。静々と始まる口論というか小突き合いというか、空気の読めなさを遺憾無く発揮するククさんに突っ掛かるハルちゃんのやり取りはさておいて。それにしても、だ。
「片付けがそんなにキツい仕事ですかね」
 人間を運ぶのだからそれなりの重労働ではあるが、何時何処で運ばれる羽目になるとも知れない兵士と比べれば楽な仕事だろう。
「たかが片付けだと油断してる奴が不発弾を踏むんだ」
 件の“解ってない奴だ”という表情で座長がフォークを跳ね上げる。器の汁が飛んでコケダマの眉間に皺が寄る。不発弾のタチの悪さは重々承知だが、不発弾よりも“発弾”の方が遥かに数が多い訳で。
「不発弾だけじゃねえよ。武器の破片に兵器の残骸、下手すりゃ呪詛を貰うことだってある」
「かといってゆっくりやってるとケモノやら屍鬼が出ますしねっ」
 鋭い鈎爪の並ぶククさんの足を掌一つでいなすハルちゃんが合いの手を入れ。
「命の危険もそうだが、もっとタチの悪ぃ問題があるんだよ」
「……と、いうと?」
「“におい”」
 座長が語る思わぬ答えにどう反応したら良いのか解らず、食欲をそそる“におい”を立ち上らせる鍋に目を遣った。
「半日も死体の山ん中で死体を弄ってりゃ、手やら体、それに鼻の奥に死体の“におい”が染み付いちまって、マトモな神経してる奴なら飯も食えなくなる。風呂に入ろうが香水を付けようが紛らわせるもんじゃねえ。……しかも大都市ならともかく、田舎の小村やらでは後片付けは住民の仕事だ。一般人にとっちゃあ誰が金をくれる訳でもねえ、最低の仕事だよ」
 手持ち無沙汰にフォークを弄びながら解説を終えると、座長は器の肉にかじり付き、一息置いて肉が入ったままの口を再び開く。
「……だから俺らみたいな人でなしが真っ当に飯を食ってられんだろォ?」
 成る程。道理で簡単な仕事の割に高い給料が貰え、しかしそれなりの歓迎を受けながら宿どころか村への立ち入りすらも拒まれた訳だ。今の俺らは相当な悪臭を放ってるに違いない。と、荒れた土の上、八割程度が片付いて尚小山を作る昼前までは人間だっただろう物を振り返りながら納得した。
「ところでハルよォ」
「あいあい何でしょ?」
 と。切り出す座長とハルちゃんのやり取りを眺めながら、座長の長話のお陰ですっかり冷めた食事を再開させる。
「肉がやけに固くねえか?」
「買い溜めしておいたお肉が足りなくなっちゃったので新鮮そうなの見繕ってちょっとずつ頂いちゃいましたーっ」
 固い肉を噛めば舌に当たる何ともいえぬ感触と“におい”に思わず口の中のものを器に吐き出した。これは……。
「ハルちゃん、これって……」
「ウン?」
 二つ同時に上がるおかわりの声と器を“それぞれ一つずつ手に取りおたまで鍋の肉を分けながら、自分の器を手にフォークで肉を口に運ぶ”ハルちゃんが疑問符を上げてこちらを振り返る。
 何も言わず器の中身を見せれば、あ、と一つ声を漏らし。
「新入り君、モツ苦手だったっけ。ゴメンゴメン。あたしの目と交換ー」
 あっけらかんとそう言ってフォークで俺の器に眼球を転がし、代わりに今しがた俺が吐き出したばかりの天敵をフォークに刺して直接口に運びながら笑うハルちゃんはやっぱり可愛い。
 これはいわゆる間接キスというものなのだろうか。とうに過ぎ去った筈の思春期のような思考に我ながら呆れ返り。……とはいえ。夕食が終わったら仕事の合間にでも、こっそりハルちゃん似の死体でも探しておこうと、誰に教えるでもなく心に決めた。

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