蠍蝗
 

□二人の食卓

「何か欲しい物はないか?」
 夕食を囲んでの雑談の最中、レオにそんなことを尋ねられてアレシェンカは返す言葉を見失った。
 質問を投げ掛けた当の本人といえば何食わぬ顔で彼女の返答を待っている。上機嫌そうではあったが特別良い事があったという訳でもなさそうで、何か深い意図があっての問い掛けではなかったのだろう。
「欲しい物、ですか」
 ほんの数秒やそこらのうちにそんな結論を出したアレシェンカは、一先ず訝しがられないように無難な言葉を返す。
「ああ、」
 首を縦に振り、スープを一口、口に運んでレオは続ける。
「君にはいつも世話になっているからな。ご褒美、と言ってはなんだが、お礼をしたい。……しかし、こういう時に何をあげれば良いのか解らなくてね、本人に直接聞くのが一番だろうと思った」
 幾分気恥ずかしげに笑いながらも、話す言葉には一切の臆面や淀みなどはない。そんな顔を前に彼女はスプーンを置いて、思い悩む“ふり”をした。

 二人の店は二人の自宅でもあったが、その自宅にレオが帰って来ることは稀だ。たまに帰ったとしても、一日や二日、長くても一週間と経たずに忙しそうに家を後にする。その一週間足らずの間にすることと言えば短い休息を取るか机に向かうかするばかりで、レオは買い出し以外では殆ど自室に篭りきりだった。アレシェンカはアレシェンカで邪魔になるまいと、何か用がある時以外に声を掛けることはない。
 そんな様子だったので、レオとアレシェンカがまともに顔を合わせるのは夕食時ぐらいなものだった。食事といっても双方ともきちんとした食事を採る必要もなく、レオが帰って来た時にアレシェンカが毎日欠かさず夕食を用意するのは、話をしたいが為の口実に過ぎないのだ。それを知ってか知らずか、レオも夕食を拒否することはない。
「旅は疲れませんか?」
 一度だけ、食卓を囲みながら、アレシェンカはレオに聞いてみたことがある。
「動き回っているのが好きなんだ」
 と、レオはやはり気恥ずかしそうに、微かに笑ってそう答えた。
 レオが何かについて真っ正面から“好きだ”と語るのは、自宅に帰って来ることよりも遥かに稀なことだと、アレシェンカは知っている。

 アレシェンカが思うに、学者の興味の向く先は「生物」であり「外」であり「世界」であり、「人」でも「内」でも「この場所」でもない。それに加え、知識の吸収に没頭するのは何か見たくないことがあるから、のように見えた。
 だから、
 ――何もいらない。
 (だから私を抱き締めて)
 ……などと、言える訳もなく。
「では、お店の看板を新しくしたいです。解りにくい、と言うお客さんが多いので」
 即答を呑み込んで何でもない様子を取り繕うと、レオは少し呆気に取られたような顔をして、
「わかった。では、そうしよう」
 彼女の内心に気付いた様子もなく、苦笑混じりに頷いた。
 何事もなかったかのように、二人の夕食は続く。

〔何もいらない(だから私を抱き締めて) 〕

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