蠍蝗
 

□骨の底

 バラクーダは世界の果ての底の主だ。かつては立派な巨体をくねらせて誇らしい蒼と銀とにび色の鱗を閃かせながら、果ての底を悠々と泳ぎ回っていた。
 バラクーダは特別だったから、人間がなくしてしまったものを元に戻すことができた。何処に行ってしまったのかわからなくなってしまった物は勿論、盗まれたり壊されたりした物だったり、或いは離れ離れになってしまった人や忘れてしまった気持ちまで、本当に何でも元に戻すことができた。元に戻すにはバラクーダの身体の肉を使わなくてはならなかったのだが、バラクーダは特別だったので少し休めば切り出してしまった肉も元に戻るのだった。
 バラクーダのことがまだ人々にあまり知られていなかった頃、バラクーダはたまに果ての底に迷い込んで来る旅人たちのなくし物を元に戻してあげていた。肉を切り出すのは当然痛いことだったが、なくし物を元に戻してあげると迷い人たちはみんな喜んで、バラクーダは痛みを堪えても喜ぶ彼らを見るのがとても好きだった。
 いつからか、バラクーダのことが人々の間で噂されるようになった。今まで知られていなかったことが知られるようになれば、当然世界の果ての底を目指す人が増え、世界の果てまで辿り着ける人間はそうそういなかったが、バラクーダの元を訪れる人間の数はずっと多くなった。それは噂が広まるに連れてどんどん増えていき、誰ひとりとして拒まなかったバラクーダの元には行列ができる程になった。長い長い行列は世界の果ての底と世界の真ん中を繋ぐ程で、そのうちに人間はほんの些細ななくし物をしただけでもバラクーダを頼るようになった。
 はじめは純粋になくし物を戻して欲しいと頼む人間ばかりだったが、やがてはバラクーダになくしたのだと嘘をついて自分の物ではない物を“戻して”もらう人間が現れるようになった。そうなればもうお金や高価な物や領土、はたまた恋人の奪い合いといったことにバラクーダは利用されるようになり、バラクーダのことでたくさんの人が殺されたり殺し合ったりするまでになった。
 それでもバラクーダは言われるがままに朝から晩まで、一時も休まずなくし物を元に戻し続けたので、とうとう骨だけになってしまった。バラクーダの肉は一かけらも残さずに全て切り出され、もう休んでも肉が元通りになることはなかった。
 バラクーダが突然何も元に戻してくれなくなったので、人間たちは怒りを露わにして世界の果ての底へと押しかけた。ある者は元に戻せと頼み込み、またある者はお金をちらつかせた。力付くで脅したり暴力を振るう人間もいたが、バラクーダが本当に何もできなくなってしまったのだと知ると、彼らは二度と果ての底へは訪れなかった。
 時が経つに連れて、果ての底はがらんどうで何も無いという皮肉を篭めて骨の底と呼ばれるようになった。もっと時が流れると、人々の記憶からバラクーダのことはなくなっていった。
 バラクーダはもう立派な巨体も誇らしい蒼と銀とにび色の鱗もなくしてしまったし、悠々と泳ぎ回ることもできなくなってしまったが、それでもそんなに惜しい気はしなかった。今はそれよりも静かな骨の底に沈んで空想を巡らしたり、時たま迷い込んで来る旅人や、昔の記録を見たりしてなくし物を元に戻してもらいにきた人間を相手に話をしている時が、バラクーダにとっては一番楽しい時間なのだ。

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