蠍蝗
 

□お菓子とか悪戯とか馬鹿とか

 夢と夢とのあわいの、ほんの短い現実に、視線を感じて薄らと目を開いてみた。ら、視界いっぱいにシスのにやにやと笑う顔があった。直後、目を開けたことを後悔する。シスがこういう表情をしている時は概ねろくでもないことが起きる。
「お菓子を食べないと悪戯をするぞ」
「………………は?」
 ほらな。またろくでもない、というか、何か間違っちゃいないか?
「お菓子を食べないと悪戯をするぞ!」
 ご丁寧にも勢いをつけて言い直すが、やはり間違っている気がする。子供の高い声に鈍い頭痛を覚える。騒ぐな馬鹿。
「ヴァルが帰ってきて一緒にお菓子作ったんだよ!」
「いらん」
 この馬鹿に余計なことを吹き込んだのはあの馬鹿か。帰ってきたというのならば、殴り倒してやりたい理由がうんざりする程あったが起きたら負けな気がしたので寝返りをうってこの馬鹿に背を向けた。
「お菓子を食べないと悪戯をします!」
 ら。視界いっぱいにあの馬鹿のにやにやと笑う顔があった。なんというか、死ね。笑うな。何添い寝してんだ。死ね。あまりの近さに一瞬怯んで、殴ってやろうと毛布から手を引き出したがあの馬鹿は大袈裟な仕種で身を翻しベッドから転がり落ちるように逃げていった。
「良いじゃないすかお菓子ぐらい。減るモンでなし」
 減る。主に睡眠時間が。悠々と立ち上がると、いつの間に持ってきたのか(俺が寝てる間にか)すぐ傍らに置かれた丸テーブルにあの馬鹿は向かっていく。
「いっつも寝てばっかりなんだからたまには家族団欒に付き合ってくれても良いじゃない」
 お前は何処の世界の嫁だ。それよりも一体いつから家族になった。テーブルの上で何やらしていると思いきや、きゅぽん、と間の抜けた音が聞こえてくる。あれは、コルクを抜く音か。酒なんぞ持ち込みやがって。
「ゲ! 何だコレワインかと思ったのに!」
 っておいそれ一本いくらすると思ってんだ。馬鹿(大)の地味な嫌がらせに頭痛が益々ひどくなる。
「ね、ね、頑張って作ったんだよ、ちゃんと味見だってしたよ、ヴァルに教わったんだから絶対美味しいもん!」
 お前の味覚が信用ならん。馬鹿(小)がベッドによじ登る。乗るな馬鹿。前と後ろからの馬鹿二人の喚く攻撃のあまりの欝陶しさに、毛布の中に立て篭もることにした。勝手にやってろ。
「あ! そういえば」
 勿体振って、毛布の中にまで聞こえるような大声で宣う馬鹿(大)に嫌な予感が巻き起こる。
「ここに来る途中で仔犬拾ったんすけどぉ」
 例の単語を聞いてあの悍ましい生き物の姿が思い出され、頭痛に加えて吐き気まで催してきた。
「持ち込んだら殺す」
「あっ、ごめんなさいもう……」
「てめえ!!!!!」
 篭城してる場合じゃねえ! 毛布を跳ね退けながらベッドを揺らして体を起こすと、寝過ぎと頭痛と吐き気に頭が揺らぐ。
「嘘ですよー。はい、お目覚めの一杯」
 が、部屋のどこにもあれの気配も臭いなく、その代わりにズイ、と鼻先に突き付けられたのは、淡く湯気立つカップだった。独特の甘い香。温かいコーンスープ。
 拍子抜けついでに思わず受け取り、仕方なく、一口。程よい甘さと温かさと、コーンの香。それを後ろに居るのだろう馬鹿(小)へと振り返らないままたらい回しにする。
「美味しいですか?」
 満面の笑みの馬鹿(大)。
 こいつの満面の笑みは、いつだって。
「腹立たしい!」
 裸足のまま床に立って、身を退かせる馬鹿(大)の襟首をそれゆり速く引っ捕まえ、抜け出そうとする暇も与えず身を返し様に放り投げた。間抜けた悲鳴を上げながら身を屈めた馬鹿(小)の頭上を通り過ぎ、放物線を描いてベッドの向こうの大窓を突き破って窓の彼方へと消えていく馬鹿(大)と落ちていく悲鳴のお陰で、若干、気が晴れた。
 寝直そう。窓はなくとも毛布がある。雨が降る気配もない。修理代は馬鹿(大)に払わせよう。と、ベッドを見下ろすと、じっと手元のコーンスープを見詰める馬鹿(小)がいた。……これは、まずいきがする。
「……はかせのばか、」
 ほ ら な ! 俯いたまま、ぽつ、と呟く馬鹿(小)の声は小さく震えている。あああ次から次へと心底めんどくさい。
「泣くな馬鹿」
「ないてないもんばかははかせだもん」
 泣いてるだろう馬鹿はお前だ馬鹿。というか俺か? 悪いの俺か? 俺が何をした? いや、正当防衛だ!
「あー! いけないんだー! 泣かせたー!」
 落下した筈の馬鹿(大)が窓枠に手を掛け顔を覗かせ外側から野次を投げてくる。殴り落としに行こうと睨み付けると、馬鹿(大)は自ずと窓枠から手を離して間抜けた悲鳴と共に落ちていった。二度と戻るな馬鹿野郎。
「いつものガキにでも食わせれば良いだろう」
「はかせじゃないとやだもん」
「俺じゃないといかん理由が何処にある?」
「……」
「黙ってるだけではわからん」
 沈黙が頭に来る。他人の考えてることなど解る訳もなく、意思を汲める程器用な人間でもない。黙り込んだところで何か解決が得られるとも思えない。腹が立つ。そもそもこいつらが一度でも俺の意思を汲んだことがあるのか。現在進行形で人の意思を無視している分際で自分の意思は汲めだ? 喜劇にもならん。
「……」
 飽くまでも沈黙を貫くつもりらしい。殴ってやろうかとも思ったが、ぽつぽつと落ちだした涙に気付いて、やめた。
「付き合ってられるか」
 相手に動く気がないのならばこちらが消えれば良いだけのことで、ほとぼりが冷めるまで寝場所を変えることにして、一言だけ言い渡して背中を向ける。
「……だって、」
 向けた背中に、震えた声。
「いっつもつまんなそうにしてるし、どうしたら喜んでくれるのかわかんないから……!」
 言うだけ言っていよいよ泣き出す声に、溜息が出る。泣くな喧しい。本当にガキの世話は面倒で、欝陶しい。
「何もしなくて十分だ」
 が、何をして欲しいか何も言わないのは、お互い様だ。と思う。
「食ったら寝るからな」
 ので、今回は折れてやることにする。

「んじゃ、和解したっつーことでレッツおやつタイム!」
 すぱこーんと勢いよく扉が開かれ、扉の向こうには調子良く笑う全ての元凶であるところの大馬鹿野郎がいた。両手に酒瓶を抱えて。酒なんぞ持ち込みやがって。お前は出てけ。寧ろ死ね馬鹿。
 流されるままに椅子に座らされ、テーブルを囲んだ時間はほんの数十分だけだったが、騒がしい馬鹿二人に心底疲れた。とはいえ、甘さを抑えたブラウニーは、思ったよりは不味くなかった。

「あ、そうそう暫くここに留まりますね」
「何をした」
「大丈夫ですこのソファーで我慢しますから」
「何をした」
「朝昼晩と食事も任せてください!」
「何をした」
「掃除は一日置きで良いですよね?」
「何をした」
「あ、そうだご近所さんに挨拶回りとかした方がいいですよね? 入れ代わりもあるでしょうし」
「何をした」
「お隣りにいたお爺ちゃんってまだ健在なんですかね? あんないい人そうに見えて素手で十八人ですからねー……いやはや人は見かけに寄らない」
「何を、した?」
「……」
「……」
「それがヒドイんですちょっと兵器の護送をお金欲しさから軽はずみに引き受けて一生懸命頑張ったけどうまくいかなかっただけなのに怒るんです!」
「使ったのか」
「そりゃあもう新兵器っていうからどんなのかなって興味本位でとりあえずその辺の国の城壁に標準合わせてドカンと一発! 男のッ……ロザンヌ! さてはオカマだな!? さあ! 今日こそロザンヌなのかロザンナなのかはっきりさせようじゃないか!」
「おい無能悪魔、お前は何をしていた?」
“……すまん”
「なぁーにが『すまん』ですか、起動させたのは悪魔じゃないっすか自分は何も悪くないみたいに悪で魔の癖に!」
「頼むから面倒を持ち込むな」
「あらら頼まれちゃいましたよどうしましょ」
「死ね」

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