骨 蜂蠍蝗
□さよなら、の握手
“彼”に何が起きたのかを知っている。
かつての自分が、かつての“彼”に何をしたのかを覚えている。微かに震える痩せた背中も、押し殺した呻き声も、そのときの表情も、向けられた瞳の色も、肉を裂く感触も、血やはらわたの色も、においも、味も、アルヴァロ=ツェツェが“彼”であったときの全てを、シスは覚えている。
最期のひきがねを引いたのはかつての彼女ではない。しかし、銃に弾を篭めて撃鉄を起こし、あの手にそっと滑り込ませてひきがねを引くようにあの耳元で囁いたのは、間違いなくあの頃の彼女であり、彼女はその先にあるものを知っていた。
だから。
「あなたは良いですよね」
いつか、あの部屋で、
「何も忘れずに済んだんですから」
溜息混じりに呟いた彼の背中に返すべき言葉が見付からず、彼女は言葉を無くした。
それから彼は廊下へと繋がる扉へと向かい、彼女はそれに追い縋ろうとした。
「ちょっと気晴らしに行くだけですよ」
と、彼女を振り返りながら、言外に“着いてくるな”と告げた彼の瞳は、冷たかった。
だから。
彼が“城を出る”と言い出した時も、彼女は引き止める術を持たなかった。博士は博士で少し意外そうな顔はしていたものの、彼に対して何も言ってはくれなかった。
彼女は確かに“彼”が好きだった。それは彼女が彼女でなかった頃も、彼女が彼女になった今も変わってはいない。彼女が何をしても、どんな言葉を投げ付けても、いつも目を細めて、たまに少し困ったように、笑って見せる“彼”のことが、彼女はずっと好きだった。
彼女は、あの手に引き金を引かせて、その先にあるものを知ってはいたが、“彼”があんな行動に出るだなんて全く予想だにしていなかった。
だから。
せめて、別れのときだけは、と。
さよなら、の握手のつもりで延ばした手は、宙を切った。
「練習熱心っすね」
「聴かせたい人がいるの!」
(さよなら、の握手)