蠍蝗
 

□飛ばない鳥、歌う鳥

 記憶か、夢か、はたまた妄想か、或いは深層の願望か、少女に犯されるまぼろしを観た。正確には俺を犯したのは女だったのだが、その女は確かに少女の腹を裂いて現れていたから、彼女は少女なのだろう。映像の中の彼女は、黒い長い髪の合間から覗く金色の瞳で俺を見据えて、恍惚の笑みを浮かべていた。
 一応言っておくが、断じてそんな趣味はない。

 今日も今日とて、件の少女は骨の城の一室を貸し切ってトイピアノの演奏に夢中らしい。床に寝そべりぴんぽんぱん、と、音程の外れた音を前に座らせた俺に聞かせて、少女はたいそう上機嫌に見える。出鱈目に鍵盤を叩いているだけなのか某かの曲を演奏しているつもりで曲になっていないのかは定かではないが、何れにせよ上達が見られないのは確かだ。
「何の曲ですか」
「百万本の薔薇!」
 いや嘘つけ。一応聞いてみると威勢良く返ってきた答えは、赤いトイピアノの出す音とは程遠い。何処を如何聞けばそう聞こえるのか教えてほしい。……ともあれ、下手に口出ししてとばっちりを受けるのは俺の方なので何も言わないことにした。
 演奏に夢中の少女は俺が話し掛けない限りはたいていは黙ったままなので、俺が黙せばその場には調子外れの甲高い音だけが残る。甲高い音色は耳を傾けるには些か不完全すぎて、手持ち無沙汰に少女の顔をぼんやりと眺める。白い髪の前髪は長く、その合間に見え隠れする瞳は薄紫。滑らかな肌は白く、肩はか細い。身に纏うは肌着同然の薄衣のみで、その下の肌色を僅かに透けさせ――。
 一瞬、脳裏に映像が蘇り、少女に覆い被さる。それと同時に今まで何気なく見ていた少女が、その奥底に毒婦を隠しているかのように思え、頭の奥が熱をもつ。
 俺は、彼女に、いや、彼女を、

「――――?」
 不意に投げ掛けられた少女の声に、現実へと引き戻される。いつの間にか玩具の音は止んでいて、いつの間にか少女は座っている。いつもと変わらぬ少女の顔がそこにある。
「やっぱり黒髪が似合う」
「何それ」
 口に出して少し後悔する。恐らく少女は曲の感想を問うていたのだろう。見当違いの解答にいくらか気分を害したようだった。少女が不機嫌になって、良い結果になったことはない、のだ。
「聞いてなかったんでしょ!じゃあもう一曲」
「いやちょっと待っ」
「待たない!」
 思った通りに良い結果は訪れず、再びと寝そべろうと床に手をつく少女を慌てて制止するも、少女は聞く耳をもたない。
「……で、次の曲目は」
「暗い日曜日!」
 いや何だその選曲は。諦めて溜息混じりに問う俺を尻目に、また俯せて鍵盤に指先を並べる少女はやはり威勢良く答えた。何曲続くだろうか、今日は早めに終われば良いが。
 一応言っておくが、断じてそんな趣味はない。
 間もなく始まるだろう拙い演奏を思うと溜息が込み上げるが、もしも聞かれたとしたらたまったものじゃない。それを噛み殺して、
「おい」
 第一音に被さったのは低い声だった。見ると扉が僅かに開かれて、その合間から男が覗いていた。少女は始まったばかりの演奏を止めてそちらを振り返ると、跳ねるように立ち上がりたいそう嬉しそうに彼の元へ向かう。恐らく彼が少女の保護者なのだろう。成る程、雰囲気こそ違えども、確かに顔形は少女と似通うところがある気がする。男は少女に一言二言告げて、少女は一度戻ってはピアノを抱えあげ、
「また明日、来なきゃ駄目だよ!」と、勝手に俺の明日の予定を決め付けて少女は部屋を後にする。突然の来訪者にコンサートが中断され、いつ終わるとも知れなかったそれが早々に終わったのは僥倖だったが、何とはなしに一抹の寂しさを覚える。
「お前」
 仕方なく帰ろうと立ち上がりかけたところに、思わず声を掛けられた。少女と共に去ったとばかり思っていた男は、依然少しだけ開いた扉の隙間からこちらを見据えている。冷ややかな金色の瞳。それに疎らに掛かる髪は、黒い。
「もしもあれに何かあれば、先ずはお前だ」
 それだけ宣告して、言葉を返す間も与えずに男は立ち去る。静かに音を立て扉が閉まり、部屋には俺だけが残った。

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