蠍蝗
 

□日記

 北端に、雨が降る。
 雨音は、冬の終わりと春の到来を告げる。春が訪れ気温が上がれば、冬の間休眠状態にあった森が活動を再開し、その間に切り拓いた土地は夏の終わりには元通りの森となる。そして森は、冬が来るまでの間にその領地を着実に増やしていく。北端よりも冬が短く夏が長い南端の駐屯地から見る女王は、もう随分と小さくなったという。
 藍色の樹海の中央に聳える、深緑の葉を繁らせた巨木は何も知らずに遠目に眺めている分には、途方もなく美しいのだろう。しかし、その神々しいまでの美しさは、この距離から巨木を眺めている者にとってはそのまま悍ましさへと変わる。誰が初めに言い出したのかは知らないが、あの木は人を喰う森を統べる、呪わしの女王だという。そして世界の多くは、女王の死を望んでいる。
 女王を打ち倒すことで森の活動が止まる、と、それが真実なのか否かは誰も知らない。それを成し得た者が一人とていないからだ。しかしながら誰一人とてそれを疑う者はなく、冷静な観点から物事を見定めるべき研究者たちまでもが、女王さえ女王さえと口を揃える。或いは、誰しも心中ではそれを疑っているのかもしれない。僅かな希望たる妄想に縋ることで、勝利の見えない森との戦争をどうにか戦っているようにも思える。
 上の人間らが“夜明け”を捜し出して助力を請うことを決めたと、そんな話を耳にした。味方につければどれ程悲惨な戦争であっても、必ず勝利を齎すという魔術師。冷静に考えればそんなものが実在するとは到底思えず、実在したとして、容姿も性別も名前すらも不明なたった一人を世界中から捜すことは容易ではない。“夜明け”の存在もまた、女王の死と同じ類の妄想に過ぎないのだろう。
 雨の音は、憂鬱を運ぶ。南端に配属された同朋からの手紙が途絶えたのも、三年前のこんな時期だった。最後の手紙には、南端では花の盛りだということが見慣れた文字で書き記され、すっかり萎びた何かの花が添えられていた。毎週欠かすことなく届いていた彼からの手紙が来なくなってから、月一で届く戦没者名簿には一度も目を通していない。
 南端ではまた一つ、小さな村が森に食われたらしい。
 この時期になると、毎年のように思う。
 春なんて来ないで、こんな世界なんて永久に凍てついてしまえばいい。
 雨の音は、途切れてはくれない。

(春なんて来ないで、こんな世界なんて永久に凍てついてしまえばいい)

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