蠍蝗
 

□戦争の話

 ぎゅん、と。身をよじった耳のすぐ側を銃弾が駆け抜けていった。少し後ろで、ぱきゃりと骨を貫く音がする。きっと後ろの奴は死んだろう。
 良く言えば正義のぶつけ合い。悪く言えばエゴイズムのぶつけ合い。簡単に言えば命の奪い合い。一般的にはそれを戦争という。その真っ只中に、僕はいる。
「悪魔」
 ふと。思い付いて傍らで臙脂の服を着た兵士を締め上げている悪魔に声をかけてみる。臙脂の叫び声にばきりぼきりと骨を砕く音が重なる。
「何か」
 ボロ布みたいになった兵士を解放して、悪魔が短く応えた。悪魔のやり方はいつもえぐい。僕の方はというと、こちらに背中を向けてる奴だとか恐慌状態に陥った奴だとか負傷した奴だとか、そんなのばかりに止めを刺して、ちゃんと働いている体を見せているだけなのだが。
「戦場は愛に満ちていると思う」
「どの口が」
 思い付きを口にすると悪魔はそれを鼻で笑う。飛び交う銃弾に膝を撃ち抜かれた黒い服の兵士が崩れ落ちたところに、その背中のちょうど真ん中あたりへと剣を突き立てる。暴れる黒服を踏み付けにして押さえ、柄を握り体重をかけると切っ先は背骨を割って兵士の体に沈み込んだ。
「二つの異なる意思の拮抗。対立。それは相互の不理解により起きて、言葉で語り尽くせなくなったから命で語る。理解の要求の最たるもの、だろう」
 今しがた止めを刺した黒服の兵士を助ける為か、別の黒服の兵士がこちらに向かって来る。剣を引き抜こうとするが地面にまで達した刃はなかなかに抜けず、背後間近に迫る黒服がサーベルを振りかざす。剣は諦めて振り返りざま左腕を楯に、直後に来るだろう痛みに身構えるが、剣先が振り下ろされることはなく、黒服の体が宙に浮く。
「それだけで愛などと言い切るのは乱暴に過ぎないか」
 サーベルを掲げる腕を悪魔の嘴に捕えられ、高々と宙に投げられた兵士は人形のようで、そこいらを飛ぶ銃弾や魔弾に撃たれて踊る。雨のように降る赤を浴びて悪魔はこかあと歓喜の声を上げた。それこそが悪魔が悪魔たる所以なのだろう。
「どうでもいいものに理解を求めたりはしない」
 人と獣が雑多と入り混じる戦場で、烏と蛇を掛け合わせたような悪魔の巨体はそれほど異形めいている訳ではない。それでいて周囲の兵士があまり悪魔に挑もうとしないのは、きっとそういう理由があってのことだ。
「恋人同士が痴話喧嘩をして、しばしば別れに至るのは相手に理解を求めるからで、理解を求めるのは相手のことを想うからこそだ。そういう意味では戦争も痴話喧嘩も根源は同じだと言える」
 改めて剣を掴み、漸くそれを引き抜いて勢いのまま振り上げて叩き降ろす。がぃん、と臙脂服の楯がそれを受け止めて火花が散り、反動に手から逃げそうになる柄を握りなおして横に凪ぐ。
「愛し合うからこそいがみ合う。愛し合うからこそ憎み合う。愛し合うからこそ殺し合う。戦場は、ひいては世界は愛に満ちている」
 切っ先は臙脂の腹を引き裂いて、あわいから赤に濡れた内臓が溢れ出た。反射的にそれを中に戻そうと、戻したところでどうにもなりはしないだろうが、身を屈めて傷口を押さえる兵士の露わになった首元に剣を振り下ろす。
「暴論だな」
「同感」
 しまったと、思った時にはいつも遅い。こんな場所に居るのだから覚悟してなかった訳ではなかろうが、それでも死という概念は生者が想像し得るものでは到底ない。現実でもって身に降り懸かる死に竦んだ目。
「要するにこいつら全員愛の為に戦う言うなれば愛の戦士でそう思うとものすごくファンシーな気がしないかという話だ」
 目が、合ってしまった。
「気のせいだ」
 命を奪う対象に睨み返されるというのは決して気分の良いことではない。断末魔の表情は呪詛のように脳裏にこびりつき、手元に目を落とせば両手は“彼”やその他の人間や獣だのの血で濡れていて、それがじわりと染み込んでくるような錯覚を起こす。
 ああ、なんて。
 俺は残酷なんだろう。
 蛇行しつつも確かに俺の背中を的にして飛んでくる虹色に光る魔弾は、悪魔が弾くのだろうから避けるなどという面倒なことはしない。長斧を振り上げ真正面きって向かってくる重装備の黒服の斬撃をぎりぎりで回避しながら間合いを詰めて、下顎を蹴り上げる。露わになった喉笛に、切っ先を食い込ませて振り払う。噴水のように噴き上がる紅のあわいに見る血泡を吐く黒服の顔は、何が起こったのか解らないといったふうで、間もなく解るのか、解る前に意思を失くすのか、どちらだろうか。
 さんざん浴びた血脂を拭いながら視線の端で、術式障壁に軌道を逸らされた虹色の光球が今しがた殺したのとは別の黒服に襲い掛かるのを見た。ところが外から見る限りは黒服は何か負傷した様子もなく、ただ茫然と立ち尽くすばかりで、その後頭部を銃弾が砕く。
 あれは、もしかして、
「簡易的な精神干渉術式だな」
 推測を先取りして悪魔が簡潔な分析を述べる。精神干渉術式。文字通り、対象の精神に直接干渉して、戦意喪失や恐慌状態に陥れたり、高等なものでは行動を操作する術式。制御が難しく、事故が発生するととんでもないことになる、らしい。
「え。それって」
 精神干渉術式は他者の精神を直接蝕むという非人道性から、
「堂々たる条約違反だ」
 禁術として戦争での運用が禁止されているのだ。
 簡易的とはいえど、よほど魔術に明るくない限り使おうと思ってぱっと使えるような術式ではない。どちら側が使ったのだか知らないが、開戦前から着々と準備をしていたのだろう。制御に失敗した時の多大なリスクを、使うからには知っていて当然だ。それなのに運用を決めた上の人間どもは、なんて無慈悲で冷徹で人でなしなのだろう。恐らくこの戦場に彼らはいるまい。人でなしだからこそ、彼らの前では条約や法や人道だなんていうちっぽけなものは何の意味も持たないのか。
「勝つ為には手段を選ばない、という姿勢には好感が持てる」
 戦争とは、そうあるべきだと思う。
「同意する」
 ああしかし、正義もなく愛もなく押し付ける程の意志もなく戦争に加わっているような輩が、戦争とはどうあるべきかなど論ずるべきではないのだろう。僕は常に、徹底して部外者であるのだ。
 悪魔が尾で薙ぎ倒す臙脂服の首を撥ねて、地面に転がるそれは少し離れたところでこちらに銃口を向けている別の臙脂服目掛けて蹴り飛ばす。それが当たったことよりもそれの存在自体に竦み上がる臙脂服の顔を、悪魔が吐き出す魔弾が吹き飛ばす。
 頭部を失くした臙脂服は、まだ十六、七がいいところの少年だった。きっと長い道のりが待っていたであろう彼の人生で、これから彼が救うかもしれなかった命を、これから彼が愛するかもしれなかった命を、これから彼の子供になるかもしれなかった命を、僕らは殺した。それは少年兵だろうが新兵だろうが老兵だろうが、或いは商店の店主だろうが憂鬱な主婦だろうが無邪気な子供だろうが、一つも変わりなどはなく、老いていても若くても日常に居ても戦争に居ても、命はみな平等に素晴らしく尊いのだろう。
 しかし。言い換えれば、これから彼が騙すかもしれなかった命を、これから彼が強姦するかもしれなかった命を、これから彼が奪うかもしれなかった命を、僕らは救った、とも言える。未来は常に不確定で誰にも覗くことなどはできないのだ。
 こんなに多くの命が簡単に捨てられて、こんなに多くの命が簡単に拾われる場所は、他にない。
 ああ、なんて、なんて。
 戦争とは面白いのだろう。
「悪魔」
「何か」
 臙脂服の剣を剣で受け止めながら、殆ど背中合わせのようになった悪魔を呼ぶ。金属と金属とが擦れ合って耳障りな音を立てて、相手の押し込む力にしとどに濡れた手が滑りそうになる。
「僕はお前のことを良い奴だなんて思ったことは一度もないし、未だに信頼だってしていない。僕らは友達でもなんでもない、言うなればただの共生関係で利害の一致だ」
「薮から棒に」
 目端で一瞬捉えるものに、剣を引いて斜め後ろへ身を退かせると、案の定切っ先が肩へめり込んだ。直後、さっきまで僕のこめかみがあった場所に来た臙脂服のこめかみを銃弾が貫く。とはいえ瞬く間に熱を帯びる肩の傷も決して浅くはなく、重い剣を持っていられずその場に落とした。
「戦場で芽生える究極の愛というものがあるだろう」
 悪魔は悪魔で治癒を施す暇もないらしく、後ろの方から轟音混じりの叫び声と熱気と生き物の焼ける臭いが漂ってくる。崩れ落ちてくる臙脂服の死体を蹴り退けて、だらだらとながれる汗は痛いのか熱いのか、二、三歩下がったところにある悪魔の柔羽根に身を沈めた。
「僕に期待したって何もないからな。お前になんか一瞬だって惚れてやるものか、落とそうったってそうはいかない他の相手を探せ」
「寝言は寝て言え」
 ここぞとばかりに向かってくる兵士は悪魔に任せて、改めて回りを見回してみる。取り囲む、黒、臙脂、黒、臙脂、黒、黒、臙脂、黒、臙脂、臙脂。
「そうしたい」
 ここにきて、僕らがどちらの味方でも関係者でもないことがバレたらしい。いや、最初からバレていたのか。いよいよ帰って酒飲んで寝たくなってきたが、簡単には許してもらえなさそうだ。
「敵同士として戦っていた黒い兵士と臙脂の兵士が、僕と悪魔という共通の敵を得ることによって暗黙のうちに共闘の姿勢をとる。これぞ戦場で生まれる究極の愛なんじゃないか。なんて素晴らしい世界!」
「ふざけてないで働け」
 抉られた肩を包む温かい感触は心地よく、痛みを取り去り傷を埋める。折角一休みしていたのに余計なことしやがって。悪魔め。
「要するにその愛を一身に受けてる俺ってちょうモテモテだよなという話」
「同意しかねる」
 とはいえ。それが愛だろうが憎しみだろうが、ただの気まぐれで飛び込んだ戦場でなど殺されてやるつもりは更々ないのだ。この場はぼちぼち逃げることにする。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -