蠍蝗
 

□アフター・エイプリルフール

「博士! あのね、私、一人で旅に出ることにしたんだ!」
 と、シスがにやにや笑いを浮かべて博士にそう言ったのは、まだ薄ら寒さの残る、四月一日の朝のことだった。
 その言葉を聞かされる為に起こされた博士は、眠気に潰れそうな目を欝陶しそうに押し開いて、少しの間シスを見ていた。
「好きにすれば良いだろう、くだらんことで起こすな」
 と、博士が寝返りをうってシスに背中を向けながらそう言ったのは、シスが博士に打ち明けて少ししてからだった。

 四月一日、夕刻。シスが我が家に引っ越してきた。ちなみに、エイプリルフールではない。というかエイプリルフールとは午前中にだけ許されるもので、午後になってまでやってる奴こそ真の馬鹿だ。
 それはさておき、シスは突然我が家に押しかけて来た。そして俺の話など聞く耳を持たずにここで暮らすと言い、事情を聞くと何やら博士と揉めたらしい。
 俺の住む地区は広大なジャンクヤードの端の管理者の目が届きにくい場所で、それを良い事に頻繁に事件が起きている治安の悪い地区なのだ。無論、何年前からそうなのかは知らないが、中身外見共にどう見ても少女が住むような場所ではない。今日はここまで無事に来れたようだが、何かあったとしたら如何してくれるつもりなのだろうか。こっちはどうやら殺人予告されているのだ、それもシスの保護者らしい男に。その辺りの事情も酌んで欲しいが、やはりシスはお構いなしのようだ。
 そんな訳でそんな場所にそんな厄介な少女を住まわせる訳にはいかず、“俺が守る”などと言える程の甲斐性も実力も俺にはない。そのことを説明してとっとと追い出したいのだが、また下手なことを言えばただでさえよろしくないらしい彼女の機嫌を更に損ねることとなり、シスの機嫌を損ねて良い思いをしたことは一度もないのだ。
 何とか穏便に退去頂きたい。人の晩飯であるしょっぱいだけのシチューとやたらと堅いパンをまんまと強奪しておいて、美味しくないと言いながらも結構な勢いで口に運ぶシスを眺めながら、考えた。お前、城の中でさんざん良い飯を食ってる癖に。
「博士って酷いんだよ、私がいなくても良いって、出てけって言うんだ!」
 今や我が家の主然としたシスがフォークを片手に声高と博士を糾弾する。まあ、シスと血が繋がってるくらいなのだから良い性格はしているのだと思う。
「それって博士なりのエイプリルフールだったんじゃ?」
「博士は嘘つかないよ」
 このぐらいで出ていってくれたら有り難いが、そうであればそもそも押しかけてきて硬いベッドを占領したりはしないだろう。お前、城の中でふかふかの略。……そこはかとなく惨めな気分になる。
「今頃心配してるんじゃないですかね?」
「今頃は寝てる時間だよ」
 惨めな気分はとりあえず押し遣って、今はシスにお帰りいただかなければならない。というかあの男は一日どれぐらい寝ているのだろうか。城へは頻繁に出入りしているが、商人が来た時ぐらいにしか奴が起きて動いているのを目にしたことがない。良い生活をしやがって上流階級め。
「でも」
 ……さておき。追い出す算段を頭の中で組み立てて言葉を選ぶ。シスは首を傾けて次ぐ言葉を待ち、俺は言い出すべきかと勿体ぶるふりをしてから口を開く。
「シスが来る少し前、心配そうな顔で捜しに来ましたよ」
 それを聞いたシスの目が真ん丸く見開かれ、フォークが継ぎ接ぎだらけの床の上に落下して、かちゃんと軽い音を立てる。
「か、帰る!」
 立ち上がりつつシスは宣言して、俺は勝利を確信した。
 エイプリルフールでなくとも、このぐらいの嘘ならば許されるだろう。
「あ、送ります」
 今頃城は夕食時だろうか。人の言葉を最後まで聞くこともなく、慌てふためいてすっかり暗くなった外へと飛び出して行くシスを追い掛けた。シスに何かあっては、困るのだ。

「博士、ごめんなさい!」
 と、扉を開けた途端にシスが飛び込んで来たものだから、博士は少し驚いた。扉の向こうにはシスが気に入っているらしいカグーと名乗る青年が立っていて、どうやら彼がシスを連れて来たようだった。
「あー……、まあ、入れ」
 博士が全く会話に加わらないまま三人で食事を囲んで、シスは疲れたと言って早々に眠りについた。それから何を話すでもなく、客がウィスキーの二杯目に手を付ける頃、
「お前だったのか」
 と、聞こえるか聞こえないかの声で博士がぽつりと呟いた。
「ハイ?」
 普段口にできないような美味な食事に美味な酒に、すっかり上機嫌になっていたカグーは素っ頓狂な声を上げて聞き返した。
「城の内外捜し回り、あの気に食わん骨頭にまで出入りを聞き、それでも見付からんと思ったらお前が匿ってたのか」
 口数の少ない博士がやはり呟くように語る声は低く、その表情も薄く感情らしいものは見て取れない。それでもカグーは中途半端にグラスを持ち上げたまま動けなくなった。
 ――とてもとても、嫌な予感が。
「よくも恥をかかせてくれたな」
「え、エイプリルフール?」
「終わりだ」
 カグーが壁掛け時計に目をやると、時刻はちょうど十二時を回った頃だった。なるほど勘違いしてる真の馬鹿でも二日になってまでやってる奴はいるまい。そんな奴はただの嘘つきなのだろうと、カグーの頭の中には余計なことばかりが回っていた。

(アフター・エイプリルフール)

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