蠍蝗
 

□しびとのゆめ

 彼の死に様はひどいものだった。
 遠目からも体中ぼろぼろだということは解ったし、歩み寄った時、何か踏み付けた感触で足元を見下ろすと、僕はどうやら彼のはらわたを踏み付けていたらしく、そこいら中に広がった血液は既に乾き始めてか汚れた色を晒していた。踏み付けたモノの出所を辿っていくと彼の腹に辿り着き、当然そこには穴が開いていたのだが、それはもう穴が開いているというよりも皮が引き剥がれているというような様相で、茶色い染みのこびりついた白いあばらが虫の足のように見えた。生白い首には赤黒い(といってもそこいら中赤黒く汚れていた)痣が染み付いていることも容易に見て取れた。何かに引き裂かれたように頬はえぐれ、化け物みたいになった口の上で、片目は潰れ、もう片方の辛うじて開かれていたような目には、汚らしく濁った青い瞳が泳いでいた。
 彼は僕をじっと見上げていて、僕は彼をじっと見下ろしていた。
 “ひさしぶり”
 彼が声にならない言葉で言う。
「お前なんか知らない」
 僕がはっきり声に出して答える。
 “でもひさしぶりだ”
 彼が薄く目を細めて笑う。僕はそれを不快に思う。
 “きみにわたしたいものがある”
 彼が真剣な様子で言う。差し出された手には確かに何か握られているようだったが、彼の手に無数と蠢く埋葬虫が僕の手にまで来るのが嫌で、僕はそれを拒んだ。
 “おねがいだ”
 彼の手は微かに震えていて、それと同じく声も震えていた。僕はそれを醜いと思う。
「誰か他の奴に渡せば良いだろう」
 “きみいがいだれもいない”
「そんなに大切なら自分で持ってろよ」
 “それじゃあだめなんだ”
 “おねがいだ”
 “あのひとをころさないで” あまりに彼がしつこくそれを押し付けようとするものだから、僕は剣を取り上げて、彼を殺した。振り下ろす剣を拒む手を切っ先で払い除けて、何度も何度も何度も、剣を彼に突き立てた。彼の血は殆どが流れ出していたとばかり思っていたけれど、気が付けば手は真っ赤に濡れて、剣を取り落としそうになる程にぬめっていた。乾き始めている色とは違う、赤くて紫色で不愉快な色をした血は服や顔すらも汚して、ずっと刃を振るっていたせいか、疲れていたらしい僕は血だまりに膝を着いた。ばしゃりと飛沫が上がって、蛇のような姿をした烏がとぐろを巻き、それをじっと見詰めていた。いつから見ていたかなんて知らないが、彼女は僕を咎めることも讃えることもしない。
「お前のせいだ」
 彼女に剣先を向けて、僕は言う。
 彼女はそれを肯定も否定もしなかった。

 目覚めはいつだって憂鬱で、その目覚めも例外じゃなかった。ベッド中に乾き始めた血が飛び散っていて、服も手も僕もそれに汚れていた。それを目の当たりにして、漸く夢の中の彼は僕だったのだと気付く。
 気付くのはいつだって遅く、きっと僕が渡したかったのは、絶えず頭の中に流れるピアノの音色の主のことだったのだろう。けれども、僕は彼になりたくなかったが為に、
「あの人を殺してしまった」
 もう二度と、彼は現れはしないだろう。そのことに気付いて僕は、烏が見ているのも気にせずに泣いた。

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