蠍蝗
 

□虫と劇薬

 真夜中なのだろう、暗い部屋だった。寝台に座っていると、寝台の下の暗闇から水澄ましが二、三、剥き出しの足を掠めつつ対岸の壁へと走り抜け、音もなく消えていった。不思議に思って寝台の縁に手をつき、腰を折って寝台の下を覗き込むと、そこでは赤い蟻が死んでいた。
 ――ぎちり。
 背中から菌類を生やした蟻が鳴く。ぞわりと背筋に嫌なものが走る。
 ――ごとり。
 机から落ちた硝子瓶が転がって、きっと見たら嫌なものがあるのだろうと思ったので見ないようにしていたが、どうしても見てしまう。瓶の中には虫と、それから木の実が入っていた。名前も知らない、茶色の虫と黒紫色の小さな木の実。きぃぃんと耳鳴りがして、訳もわからず拍動は速まり体中から汗が吹き出す。ひたすらに嫌だと思う。消えてなくなりたいと思う。浅く短い呼吸音がひどく耳障りで、目はやたらと彷徨い扉を捜す。扉の位置は知っている。間もなく濁った視界が金色の取っ手を捉え、
 ――がちゃり。
 と、取っ手は外から捩られた。
 扉が開いた瞬間、寝台も床も壁も水澄ましも蟻も硝子瓶も得体の知れない虫と木の実も音も扉も取っ手も、それとこれを除いた全ては消え失せ、部屋にはそれとこれだけが残った。
 それが白い指でこれの頬に触れる。
 これはそれが誘うままに顔を上げる。
 目に映る虫の顔をした悪魔は、歪んだ顔で嗤いながら虫の声で言った。
「 に が し は し な い 」

 ――ぎちッ。

 何よりも先ず身を起こした。それから殆ど発作的に右目に左手の爪を立てた。引き出すように抉るといとも容易くそれはぷぢゅりと音を立てて潰れ、しかしながらそこに居る筈の悪魔はそこには居なかった。遅れてやってくる痛みに我に返って、酷い夢を見たのだと漸く理解した。そして悪魔はその全てを見ていて、そういう行動に出ることに感づいて事前に退避したのだろう。
 真夜中なのだろう、暗い部屋だった。部屋を見回す迄もなく、悪魔はその片隅にうずくまって、じっとこちらの挙動を見ていた。ずんずんと、熱とも取れる痛みもさることながら、右の窩から頬を伝って顎から落ちる生温いものが不快だと思う。馬鹿げているとも思う。彼と自分とを混同したところで利点など何一つとしてないと、むしろ害でしかないのだとは解っている。頭では解っているが、どうやら体の方はそこまで聞き分けが良い訳ではないらしい。聞き分けの悪さの結果である左手の中の残骸を見下ろして、とりあえず苦笑してみる。
 目に映る悪魔の顔をした悪魔は、諦めたように笑いながら悪魔の声で言った。
「きみは、馬鹿だな」
「うるさい早く治してください」
 間もなく立ち上がる悪魔の施す治療は、心地良く眠気を誘う。とはいえ、この夜はもう寝ないことにした。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -