割れるように痛む頭を起こせば、眩しすぎる陽の光が追い打ちをかけるかのように室内に差し込んでいた。どうやら時刻は正午を過ぎているらしい、すっかり寝過ぎた身体には倦怠感が重くのしかかっていた。

「……」

いや、倦怠感にしては随分と重い。
そう疑念を抱き、うつ伏せていた上体を軽く起こして見た己の背中には寝衣から惜しげもなくさらけだされた白い足が二本、乗せられていた。呆気にとられてその足を辿れば、数メートルは離れた場所に敷かれた布団がどうしてか横を向いて私の隣まで侵略している。そしてその上に寒そうに身を縮こめた女性。この状況、まさか昨晩女を連れ込んだのだろうか。全くついていかない思考には最早絶望の色しかない。

「……いや、そうか確か…」

ようやく冴え始めた頭に浮かんだのは昨晩の記憶、それは突如現れた礼儀知らずの女との妙な取引だった。思い出したところでそれはそれで絶望には変わりなかったが、思わず安堵の息をつく。溜息の先で無防備に眠る彼女の際どくめくれあがった寝衣を引きおろしてやれば、寝息が途切れ、薄っすらと瞳が開かれた。

「……あれ、今何時」

「もう正午を過ぎている」

「何時かって聞いてるのよ」

「…13時、31分だな」

「…あ、そ」

自分から聞いておいて興味なさげに呟いた彼女は寒そうに掛け布団を掻きよせてその身を包み出した。勿論彼女の掛け布団は寝相の悪さによりその身体の下敷きになっているのだから、犠牲になったのは私の掛け布団である。布団を失ったことでようやく身体を起こした私はまた眠り出そうとしている自由奔放な彼女を見て溜息を吐いた。

彼女、柚木馨は上流貴族柚木家の一人娘として生を受け、昔は病弱ではあったものの琴の才に秀でており、幼少期より彼女に目をつける貴族は多かったという。しかし数年前に両親の反対を押し切り真央霊術院へ入学、そして異例の速さで卒業し九番隊第五席へと着任した所謂神童である。周囲からは才色兼備で名高く、その優雅で凛とした佇まいに多くの貴族が縁談を申し込んでいる、というのが清家に調べさせた報告書の内容であった。他にも彼女を褒め称えた記述は数あれど、悪評は一つもないのだから恐ろしい。

正直この報告と目の前の彼女との差異には頭痛を覚えたが、容姿、身分、肩書き、どれをとっても不備はない彼女の登場に家人たちは喜び、今日行われるはずであった縁談をいとも容易く白紙へと戻した。何も言わないとは人が悪い、といくつか小言を言われはしたものの、結局彼女の策略通りになっている。この横暴で高飛車な女に借りを作りたくはなかったが、感謝せざるを得ない結果である。

「……まだ寝る気か?」

「あなたも今日縁談だったんだから非番だものね、迷惑なら外出するわ。私の縁談解消がわかればすぐにでもーー」

「そう言う意味ではない、食事だ」

どうやら出て行け、という意味に捉えていたらしい。目を丸くして私を見上げている彼女は初めて見た人間味ある表情だった。常に飄々としてどこか掴みどころのなかった彼女も案外普通の女性なのかもしれない。そう分かった途端、思わず気が緩み、笑みが零れかけていた。

「…そうね、そういえば昨日の昼食から何も食べてないわ」

「あれほど酒を付き合わせておいて、何故言わぬ」

「忘れてたのよね、きっと苛立ちで」

そう言って盛大に伸びをした彼女は昨晩私に持ってこさせた酒をまるで浴びるかのように呑んでいた女性とは結びつかない程にあどけなさが残っていた。それに付き合わされた私は冒頭の通りひどい頭痛と二日酔いを抱える羽目になっている訳だが。

「よかったわね、縁談消えて」

ぽつりと呟くようにかけられた言葉に、私はふと違和感を感じた。彼女が言う苛立ちというのは、恐らく望まない縁談に対するものだろう。そう思っていたのだが、彼女の今の一言はまるで他人事のようだった。あの母親の口ぶりからして彼女もまた縁談解消となったはずだというのに、一体何故だろうか。

「…そうだな、感謝する」

「それにしても見た目によらず一途よね。まだ亡くなった奥方様を想っているから断りたかったんでしょう」

彼女の晴れない表情にやや納得がいかないが、余計な詮索はやめたほうがお互いの為だろう。そう思って礼を言った私は彼女の言葉に昨晩のことを思い出していた。

強烈に記憶に焼き付いているのは、屋敷に入るや否やまるで別人のような優雅な振る舞いで挨拶を済ませた彼女の姿。それは非常に堂々としたもので、まるで怯えるようにして家人の顔色を伺っていた緋真とはまさに対極的であった。だからこそだろう、家人達は皆彼女にとても好感を抱いていた。それは同時に、いかに緋真が受け入れられていなかったかを何よりも明白に表していて、ひどく胸が締め付けられるものだった。

「…未練がましい、と言っても構わぬぞ」

いつまでも亡き妻との思い出を断ち切れず、一度は名を落とさせた朽木家の存続すら果たせない。そんな当主である私は、彼女の目にどのように映っているのだろうか。思わず自嘲めいた声で言って彼女を見れば、そこには先程の眠たげな表情の彼女はいなかった。

「愛する事を教えてくれたなら、忘れ方も教えてくれたらいいのに、卑怯よね」

思わず胸を掴まれたような感覚になったのは、小さく呟くようにそう言った彼女の思いつめたような暗い表情のせいか、それともその言葉のせいか。しかし私が深く考えるよりも先に、まるで見間違いかと思うほどすぐに変えられた表情は昨夜と変わらない勝気な笑みの彼女だった。

「別にいいんじゃない?忘れられるものじゃないんだから、時々振り返った時に後ろに奥方様がいた方が素敵じゃないかしら」

「…………」

「でも、朽木家の家人の言うことが間違いじゃないとも言えないわ。後ろを振り返れば背中を押してくれる亡き奥方様がいてくれてるんだから、前を向いた時にあなたの手を引いてくれる人がいてもいいんじゃないかしら。きっと、そういうことじゃない?」

不覚にも、核心をついたその言葉に胸が締め付けられた。それは私が想像もつかなかったような言葉であり、恐らく何年かかろうが出来ることのなかった発想である。だがそれと同時に疑問を感じたのは、恵まれた環境で誰からも愛されて育ったであろう彼女から出た言葉には到底思えなかったからだ。

当の本人は、私の受けた衝撃には気づいた様子もなく寝衣を整えて襖の先の縁側へと向かい、陽の光に目を細めていた。彼女の肩上で切り揃えられた艶やかな髪は冬の凍えるような風に煽られて時折寒々しい首筋をのぞかせる。

これほどに華奢で幼さが残る女性だというのに、全てを諦め傍観しているような言動と、昨晩の感情的で自我を貫こうとする行動。そのそぐわなさこそが、私が妙に彼女に興味を持った理由なのかもしれない。


「寒い、着替えを用意して。本当、気が利かないわね」

「…………」

振り返った彼女が発した言葉に唖然としたのは言うまでもない。やはりこれ以上は関わらない方がいいのではないか。そう思いながらも、何故かこの我儘に私は着物を取りに部屋を出たのだった。


02. に叢雲、花に風
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