運命には逆らえない、とはよく言ったものである。偶然、ほんの気まぐれで選択したことで後々の人生を大きく変えることがあるのだから、それを運命というのは間違いではない。人は時に理屈ではなく衝動で動く生き物だからこそ、運命に突き動かされたと表現するのだろう。

「………」

空を仰いで深く息を吐けば、遅れながらにやってきた疲労感が秋風で冷えた身にのしかかるかのようだった。

ここ数日に渡って帰宅は定刻を大幅に過ぎている。ろくに眠らずに仕事と屋敷を往復し、疲労の少しもとれた気がせぬまま仕事を片付け、それでようやく明日は非番だというのに何を思ったか私は散歩をしていた。死覇装を脱ぎ捨ててすぐに家を出たものの特に行くあてもなく、かと言って帰宅する気にもなれず、それでいつもとは違う道をひたすらに歩いている。

そろそろ帰らねば、と頭では思っていても足が屋敷から遠退いてしまう。それは現実逃避に近く、実に幼くて我ながら自嘲めいた息が漏れた。

「…往生際が悪いな」

私の気を重くしていているのは、翌日に迫る上流貴族との縁談だ。

元より緋真を亡くしてすぐに数多の縁談を持ちかけられていた。それを全て断り続け、もう五十余年になるだろうか。何故今更に、という話ではあるが、今回の縁談は朽木家の存続を懸念する声に焦燥感を抱いた家人数名が組んだものだった。

会うだけでも、と譲らぬ彼らは祖父の代から朽木家に勤めている家人ばかりである。実質現在朽木家の財政や商売、領地の管理も行う彼らにそのような危惧までさせていたかと思えば情けない話だ。家人とはいえ、死神の仕事と当主を両立できているのは紛れもなく彼らが日々の細かい管理を行っているからである。そうして結局のところ断るに断れず、着実に縁談の日取りが迫ってきているのだ。

「ーーほんっと、往生際が悪い!」

頬を撫でた風は湿り気を帯び、随分と長い時間仰いでいた秋空も雲行きを怪しくさせていた。それでようやく、一雨来る前にと踵を返した時、思わぬ声に足を止められた。


「お待ちください、お嬢様!」

「待ちなさい!あなた、こんな夜にどこに行く気なの?」

「嫌なものは嫌よ!今度という今度は、絶っ対に従わない。何があってもよ!」

騒々しい足音と言い争う声に思わず呆気にとられていたが、どうやら私を向けて発された言葉ではないことだけは確かだった。独り言を拾われたのかとも思ったが、どうやら自意識過剰だったらしい。安堵して声の出処に目を向ければ、目の前に広がるのは四大貴族のものとまではいかなくとも、随分と立派な屋敷である。恐らくは上流貴族だろう、偶然にも私はずっとこの屋敷の側を歩いていたらしい。

「まったく、どちらよ。往生際が悪いのは」

「勝手に決めといてよく言うわ」

「恋人もいなければ想い人の1人もいないんだから、別に構わないじゃないの」

「こればっかりはお断りよ、あんな男との縁談は願い下げ!大体、恋人くらいいるわ!」

少しの間、彼女の言葉を最後に沈黙が訪れた。その沈黙に助けられて我に帰れば、見上げた空は着実に厚い雲に覆われ出していた。不覚にも思わずこの会話に引き込まれていたのは、彼女の境遇が私に似ていたからだろうか。最も、私は彼女のように抵抗する意思も恋人も持ちあわせてはいないのだが。

「言ってみなさい、どこの誰か。流魂街?それとも死神かしら?」

「誰だっていいでしょう、今日はその方の所に行くのよ。迎えに向かって来ているわ」

「…相変わらず嘘が下手だこと」

「嘘じゃないわ、残念ながらね」

「なら今すぐ連れてきなさい」

更なる言い合いが繰り広げられているが、これほどに外に声が漏れるということは玄関先での口論だろうか。帰路に着くにはこの屋敷の門前を通過しなければならないのだが、これほどに白熱していれば気配などわからないものだろうか。そう思いつつ私は念のために霊圧を消し、通りすがりざま少しの興味本位でその門の表札へと目を向けた。名字はーーー、

「連れてこればいいんでしょう!お母様のお望み通り、今すぐ連れてきてあげるわよ!」

「ーーー!」

表札を読み取る前に勢いよく開かれた門に思わず目を見開けば、名字の代わりに怒りで紅潮した頬の少女が目に入った。紛れもなく、先ほどまで盗み聞きをしていた会話の少女だろう。決してやましいことはしていないはずだが、私は何故か動揺していた。盗み聞きがやましい、と言われればそれまでではあるが。

「ーーーああ、この人よ。ちょうど来てくれていたのね、感謝するわ」

「……な…」

彼女の射るような視線から目を離せずにいたはずが、次の瞬間に彼女は私の隣で腕を絡ませていた。展開についていけないにもほどがある、と組まれた腕の先に目をやれば、彼女が有無を言わせないような鋭い目で口元に指をあてていた。

「ーーー今だけは黙って」

「…待て、私はーーー」


「嘘、まさか…朽木家の…!?」

小声で囁かれた言葉は、実に冷たい声だった。それとは真逆に、私の声を遮って発された複数名の声は興奮と歓喜が入り混じり、そしてその場にいる誰もが慌てたように頭を下げていた。1人残った女性は、彼女の母親だろう。信じられない、と言った顔で立ち尽くしていた。

「まさか…本当に、朽木家の…?」

「……何?もしかして知り合い?」

「四大貴族、朽木家の御当主様よ!知らない訳がないでしょう!信じられないわ…!」

「………私は…」

「失礼致しました、まさか娘のお相手が朽木様だとは存じ上げず他で縁談を…」

「しかし奥様!お相手が御当主様では…」

「いいのよ、今はお黙りなさい。朽木様、娘を今後もどうかお願い致します。邪魔してはならないわ、あなた、門を」

とてつもなく嬉しげな笑顔で一方的に言い終えた彼女の母に目前で閉められた門は、先程見ることが出来なかった表札を露わにしていた。柚木、と書かれた表札はかなり古い。しばし茫然としていた私が再び彼女へと目を戻せば、彼女もまた私を見上げていた。

「…言おうとしただろう、」

「……チッ…使えないわね」

「…………」

まさに開いた口が塞がらないとはこの事である。唖然として彼女のその鋭い目を見ていたが、勢いよく解かれた腕にようやく視線が外された。大きく吐かれた溜息は、紛れもなく私に向けられたものだろう。

「…身元が判明してるんじゃ話にならないわ。朽木だか四大貴族だか知らないけどーーー」

ぐい、と引っ張られた襟元に、思わずよろけて一歩踏み出せば、間近に彼女の顔があった。

「乗り掛かった船よ、最後まで付き合いなさい。私は柚木馨、あくまで貴方は仮の恋人として振る舞うの。報酬は後払いよ」

「ーーーな…」

何を勝手なことを、と言いかけた時、彼女は懐から取り出した伝令神機で誰かへと連絡を取っていた。何故彼女が伝令神機を持っているのか、そう驚くより早く、彼女は通話先に口を開いていた。

「…あぁ、今いいかしら?五席の吉田よ。少し聞きたいことがあるのだけれどーーー」

五席、と言っただろうか。一体どの隊に所属しているのかは知らないが、死神にして護廷十三隊の隊長全員を知らない等あり得るのだろうか。一度くらい見かけていても、いや名前くらい聞いていてもおかしくはなさそうだが、先程からの言葉にしてもこの高飛車な口調にしても、彼女は本当に私を知らなさそうである。

「朽木、という方をご存知かしら。長身に長髪の男性。ええ、そう彼はーーー」

伝令神機を耳にあてている姿にようやく彼女の顔をまじまじと見たが、落ち着いた声と横柄な態度があまりにも不釣り合いなほど純粋そうな顔をしていた。決して誰もが振り返るほどではないが、美人と言われる類の女性だろう。近寄り難い雰囲気を纏ってはいるが、恋人くらいいてもおかしくなさそうである。何故彼女が仮の恋人を演じろというのかが、私には理解できなかった。

「…十分な情報量よ、感謝するわ。それじゃ」

そんなことを思いながら、断らずにうやむやにしていては面倒なことになりかねないと通話の終了を待っていた私はようやく伝令神機を切った彼女と目があわせた。彼女の意思の強そうな瞳に対抗して私も鋭く彼女を見返したが、彼女は全く怯むことがなさそうである。

「言っておくが、私はーー」

「…朽木白哉、という名前だそうね。六番隊隊長にして四大貴族朽木家当主。歴代最強と謳われるお方、そして遠い昔に奥方を亡くされている。義理の妹は朽木ルキア、十三番隊所属の死神である。そしてーー」


「ーーー明日に控えた縁談を、貴方は望んでいない」

「………!」

私が思わず目を見開けば、彼女は懐に伝令神機を直し、不敵な笑みを浮かべていた。

「…交渉成立ね?わかったならとりあえず、見ての通り帰る場所がないの。屋敷に案内するのよ、いい?」

一体どうしてこうなったのだろうか。私は忘れていた疲労に更なる疲労を重ねて、屋敷への道を高飛車な女を連れて歩くことになっていた。


01.一陽来復

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