Q8

言ってしまった。言えた、というよりその言葉が相応しいほど私は愕然としていた。大幅に予定が狂ったこのめちゃくちゃな告白に、唯一確信が持てる事は最早どこからも修正が効かないことだけである。これほど人生で死を渇望したことら今までにあっただろうか。

私は思わずネガティブループに陥りそうな脳を無理やり逃避に追い込み、平然を装って目の前のペンポーチを拾うべく屈み込んだ。実際は沈黙が激しく気まずくて何か行動を起こさずにはいられなかったわけである。

濡れた頬にうけたグラウンドからの風が冷たくて袖で乱暴に拭い去れば、明瞭になった視界にばさりと音を立てて教科書が投げ捨てられた。

「…え?落ちたけど……」

「………」

「…、これ…」

何も言わない白哉を不審に思って教科書に目を戻せば、教科書には”数学”の文字があった。それは私たちの、唯一関係を繋ぐもので。この教科書が見つかったということが表す事はただひとつである。

「…本当になくなったね、接点」

思わず小さく漏れた言葉、それすらも風がさらっていく。隠したはずの気持ちは、表情とは裏腹に声に現れていた。

私はいつからこんなに弱くなってしまっていたんだろうか。こんなにも執着している自分の弱さへの嫌悪感も、固執し続けていた接点も、友達でもなかったのならあっても意味のないことだ。それでもなお、私は白哉と繋がる何かを欲しているだなんて、我ながら諦めが悪い。

「何を惚けている」

「えっ、ちょ、痛!何!?」

私の視界に割り込むように屈みこんだかと思えば急に掴まれたのは頬。鈍い痛みに驚いて白哉を見返せば、呆れたような顔が向けられていた。

「鈍感にもほどがあるだろう、この馬鹿」

「…白哉も鈍感のくせに」

「……私が本当に無くすとでも思うのか?同じ理由ならば、いい加減に気づけ」

「………え?」

白哉は何故か少し赤い顔で、私のペンポーチも持ち上げて立ち上がっていた。全く伝わらない説明に唖然としながらその背中を目線で追えば、白哉は悠々とベンチに腰掛けている。何だ、その余裕。私はといえば計画崩壊にただでさえ混乱しているというのに、何を気付けというのだろうか。

私の理由、といえば白哉と接点を持ちたいという一心であった。となれば同じ理由とあらば、白哉も接点のために無くしたふりをしていたということになるのだろうか。友人でないと言われたのだから多少辻褄が合わないが、白哉なりに私とは友好関係を築こうと努力してくれていたことになる。


「…私と友達になる為に忘れたふりをしていてくれてた、ってこと?」

「……ここまで馬鹿とは感心する」

「………」

私なりにこの複雑な状況をうまく理解しようと努力して言葉を紡いだ結果がこれである。私は改めてどうしてこんな男を好いているのかと白哉の言葉通り己に感心しながらその横顔をねめつけた。

「結果はこれか?」

「え、あっ待っ…!」

睨んでいた先の白哉の手には私の無惨なテスト、そして説明するより先に開かれてしまったその点数に私は間に合わなかった制止の声を途切れさせる他なかった。白哉の反応が怖くて、そしてこの結果が申し訳なくて、私は目線を地面へと落とした。あれだけ面倒を見てもらっておいてこれだ、幻滅されて当然である。白哉からの反応など直視できる自信がなかった。

「………」

「…お、怒ってる……?」

「…………」

何も言わない白哉に私もそれ以上は何も言えず、白哉が私のペンポーチから何かを取り出す音だけを聞いていた。さぞかしがっかりさせてしまっただろう。私なりに努力はしたのだが、結局過程など言い訳に過ぎないのだ。

この尋常ではない気まずさにふと白哉の表情を伺うように顔を上げれば、タイミングよく向けられた視線が絡み合った。

「なまえ、これを見ろ」

「…?」

「問6の解答は9で正しい。だが丸をされずに減点されているだろう」

問題を指差している白哉におずおずと近付いて隣に腰掛ければ、白哉はその解答用紙を私の膝において赤ペンのキャップを外した。

「つまり、採点ミスだ」

そう言ってから、赤ペンで丸をつけた白哉は私の解答用紙の右上の点数に斜線を引き、数字を書き直した。

「…え、」

呆然としてそれを眺めていたが、その点数に思わず目を見開いた。訂正された点数は、紛れもなく赤点を回避した点数。白哉と解答用紙を交互に見れば、ふっと柔らかい笑みが向けられていた。

「え、もしかして、私…」

「採点ミスを申告するには遅いかもしれないが、お前は赤点ではない」

「……え…、本当に!?」

「…よく頑張ったな、なまえ」

白哉に書き足された点数とその言葉。それは約束を守れなかった後悔の大きさに比例して、とても大きな喜びとなって胸へとせり上がってきていた。成績が訂正されなくてもいいのだ、誰より見せたかった相手に伝えられたのだから。私は思わず解答用紙を抱きしめて白哉を振り返った。

「白哉、私…!」

言いかけたとき、頭に回された大きな手に導かれるように触れた熱に、まるで時が止まったかのようだった。一瞬だけ触れて離れたそれに思わず茫然としていると、白哉の赤くなった顔が慌てたようにそらされていた。

「…え、」

それが白哉の唇だと分かると同時に一気に熱くなる顔と、うるさいほどの心臓の音。その全てに思考が途切れ、何故か私に負けないほど赤い顔をした白哉に目を奪われた。

「…一度しか言わぬ」

「……」

「…私はなまえが好きだ」

白哉は何を言ったのだろうか。私が胸の内で何度も何度もつぶやいていたことを、どうして白哉が言っているのか。私は白哉が好きで、白哉は私を好きで。何か言わないと、と思うほどに言葉と胸がつまり、意思に反して視界は滲み出す。

「私、もしかして、白哉の彼女…?」

もう少し言い方があったであろうに、実際はこんな斜め上の発言しか出なかった口を塞げば目の前の白哉は目を見開いていた。私も好きだとか、嬉しいだとか、少しはかわいい発言ができないものだろう。そう思って私が恥ずかしさに顔を熱くするのと同時に、白哉までもが赤くなっていた。

「…っ、好きにしろ、帰るぞ」

ふいに白哉に重ねられた手に引かれて立ち上がれば、白哉のマフラーが私の肩を撫でた。こんなに近い距離にいてもお互いにぎくしゃくしながら帰り道を歩いているのだから、まるで告白する直前と変わらぬシチュエーションである。そう思っては笑みがこぼれた。

「…何を笑っている」

不機嫌そうに振り向いた白哉の手は、何度も掴んでは離れ、今は固く繋がっている。あれだけ縋っていた繋がりが、こんな形で叶えられ、そして同じ気持ちで隣にいられるなんて。私は返事の代わりにその手にぎゅっと力を込めた。

結局ろくに言葉も交わさずに真っ赤な顔で別れた金曜から、全く眠れぬ3度の夜を過ごして寝不足で迎えた月曜の教室で、予想だにしなかった席替えの結果に白哉と赤い顔で驚くのはもう少し先の話である。


Question 8.
Do you mind
if I stick around ?
(そばにいてもいいですか?)

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