01
花粉との死闘を繰り広げた激動の春がやっと過ぎ去り、疲弊した私を差し置いて季節はすっかり夏に近付いていた。しかし、春という因縁の敵が倒れようとも、新たな強敵が入れ替わりにやってきやがった、そう梅雨である。
大好きな彼と同じ黒髪ストレートヘアに異様なほどの執着を持つ私にはこれ以上ないくらい煩わしい季節だ。現にもう朝から丁寧に伸ばしてきた髪が湿気でうねりだしている。そんな髪を無理に手で引き伸ばしては溜息をつき、腕時計を確認した。そろそろ彼が屋敷から出るところだろう。
読み通り、彼が天にも届きそうなほど高い門をくぐってきた。踏み鳴らされた砂利の音がやけに響く、そんな朝の静けさで彼の声がこだまする。
「……雨か」
雨か、だって。ああああ可愛い。たったそれだけの台詞で、雨も、雨露を垂らす若葉すらも彼のために用意された小道具のように一斉に彼を美しく引き立たせてしまう。これはいいショットだ、拡大コピーしてポスター化せねばならない。
あ、申し遅れたが小雨が降って迷惑そうな顔をしている彼にレンズを向けているのが私、名字名前だ。片想い始めて6年目、こうみえて死神の端くれである。ちなみに彼とは、当然麗しき朽木隊長のことだ。
「撮れた…!よしっ」
毎日の日課を終えて一息つきながら、髪に湿気と共にまとわりつく鬱陶しい木の葉を払い落とした。とまあ、ここまでは何年も全く変わらない私の日常である。だが、今日は違った。私はこのストーカー生活に終止符を打ち、第一歩を踏み出すのだ。
「くっ、くく、朽木隊長!」
先行く彼を慌てて引き止めるために声を張り上げて私は茂みから走り出た。彼の驚きを露わにした顔にシャッターを押したい衝動を堪えながら私は後ろ手に隠したカメラを指で撫で付けた。ああ心臓の音が漏れてるんじゃないだろうか。右も左も自分の鼓動でうるさすぎる。そんな心配をしながらも私は勢いよく頭を下げた。
「おはようございます!」
「…あ、ああ…」
私の異様な登場にまだ動揺している朽木隊長に思わず口元が緩む。初対面からこんな出会いとは向こうも警戒して当たり前だろう、彼は急に駆け寄ってきた私の行動を訝しんでいるようである。私はようやく息を整えて、拳を握りこんだ。
「朽木隊長が、ずっとずっと好きでした!付き合って下さい!」
思い切り吐き出した一世一代の告白に、朽木隊長が唖然とした様子で私を見つめ返していた。私はといえば十番隊の友人に借りた少し大きい死覇装が纏わり付いて気持ち悪いな、なんてことを考えながら乱れた心拍数を穏やかにしようと必死だった。実際は極度の緊張で握りこんだ手まで震えている。私にも一応は女らしい一面というのもあるのだ。
「…私は、」
「わ、わかっております!お返事は本日の夕刻に執務室に伺った際お聞かせ下さい!それまで少し考えて頂けませんか!」
「…待、」
「では夕刻に伺います失礼します!」
朽木隊長の話を食い気味に遮りながら私は踵を返して思い切り走り出した。走らなくてもすごい速さだった心臓が、急な運動も相まって恐ろしい速度になっている。私は震える足に鞭を打ちながら愛する一眼レフカメラを小雨から守るように猫背で隊舎へと足を前へ前へ動かした。
「はぁっ…はぁ、おはようございますっ」
息を切らしながら入った隊舎には既にちらほらと隊士が出勤し始めていた。始業時間にはまだ早いが既に出勤していた上司と目が合う。途端ぎょっとした顔を浮かべた二人は日番谷隊長と松本副隊長である。
「どうしました松本副隊長、日番谷隊長」
乱菊さんとプライベートでは呼んでいるが職場での公私混同をしないのは崇拝する朽木隊長を見習ってのことである。予想済みであるその反応を楽しむかのように口元を綻ばせれば、乱菊さんに恐る恐るといったように指を差された。
「え、え、名前…?」
「はい、私です。どうですか?」
「ど、どうですか、って…」
短く切り揃えた襟足を触りながら首を傾げれば、日番谷隊長が手に持っていた書類を全てぶちまけて硬直していた。乱菊さんに至っては、塗り直していたネイルを思いっきり指にはみ出させている。
昨日まで腰まであった私の長い黒髪は、今では肩にもかからない長さになっていた。そしてあれだけマスカラを重ね、ラメ入りのアイシャドウをのせていた目も見えない程度にアイラインを引いただけ。代わりと言ってはなんだが眉毛だけは前より濃くなぞってある。
「私、告白してきました。朽木隊長に」
ほぼベースメイクしかしていない、非常にあっさりとした顔になった私は性格までもあっさりしてしまったようである。あれほどこの二人に黙ってきていた片想いの実態を簡単に今ぶちまけた。そして代わりにぶちまかれていた日番谷隊長の書類を拾いながら私は茫然とする隊長に手渡した。
先に言っておくがこの断髪は失恋を見越してしたわけではない。先程の通り、むしろ私の恋は臆病な一歩をようやく踏み出したばかりなのだ。
「じゃあなんでそんな…まるで…」
「あはは、まるで男の子、でしょう?」
「いや…まるっきり少年に見えるわ…」
まじまじと私を舐め回すように見つめる乱菊さんに私はさらに笑顔を浮かべた。乱菊さんに言ってもらえれば自信が出るというものだ。
「そうです少年です!男装大成功!」
「えっ!?告白、なのよね?」
完璧だ、私の目論見は男装をして朽木隊長に告白をすることであったのだから。うまく上司まで騙せているならこれはかなりの手応えだ。朽木隊長もまさか私が女とは思うまい。そう思うと自然に口元がにやけた。
「ふっふっふ…説明しましょう」
目を見開いて突っ立ったままの日番谷隊長の横を通り抜け、私は乱菊さんの前で胸を張る。まあ、張るほどの胸もないのだが。こればかりは男装ではない、悲しい補足をさせないでほしい。
「私は朽木隊長を観察する中である疑念を抱いていました。そう、皆さんもお気づきである、あの更木隊長との妙な関係…!」
「はぁ!?いや朽木隊長には亡妻も…」
「奥様の亡き後はどうです?」
「いや確かに女性の噂はないけど…」
戸惑っている乱菊さんを問い詰めるかの如くぐいぐいと顔を近づけていた私は彼女の返事に大袈裟な動作で頷いた。まるで探偵気取りだがちょっと楽しい。
そう、朽木隊長は今は亡き妻、緋真様の後から誰とも恋愛の噂はない。しかも六番隊隊士によれば、やはりあれだけの地位、財産、才能、美貌となれば群がる女子隊士の数も尋常ではないと聞く。しかし、ことごとく彼女らの求愛を拒絶し、加えて朽木家への美しい姫君からの縁談も断り続けていると言う。となれば、真実はただ一つ。
「名字名前、改め名字男装名は朽木隊長の性的嗜好に合わせ今日から男として生きていきます!」
乱菊さんが掌で握りしめていたネイルボトルが床に転がり、鈍い音をたてる。私の後ろでバサバサという乾いた音が広がっていた。音を聞く限り、また日番谷隊長が書類を落としたのだろう。全く、仕方のない二人である。
何がともあれ私の新たな人生の幕は上がった。私はまだ少し大きい死覇装の袖をめくり上げながら、この幕の向こう側の輝かしい照明ともいえよう雨雲から覗き出した太陽を、目を細めて満足げに見つめ返した。
01:今日から俺は
大好きな彼と同じ黒髪ストレートヘアに異様なほどの執着を持つ私にはこれ以上ないくらい煩わしい季節だ。現にもう朝から丁寧に伸ばしてきた髪が湿気でうねりだしている。そんな髪を無理に手で引き伸ばしては溜息をつき、腕時計を確認した。そろそろ彼が屋敷から出るところだろう。
読み通り、彼が天にも届きそうなほど高い門をくぐってきた。踏み鳴らされた砂利の音がやけに響く、そんな朝の静けさで彼の声がこだまする。
「……雨か」
雨か、だって。ああああ可愛い。たったそれだけの台詞で、雨も、雨露を垂らす若葉すらも彼のために用意された小道具のように一斉に彼を美しく引き立たせてしまう。これはいいショットだ、拡大コピーしてポスター化せねばならない。
あ、申し遅れたが小雨が降って迷惑そうな顔をしている彼にレンズを向けているのが私、名字名前だ。片想い始めて6年目、こうみえて死神の端くれである。ちなみに彼とは、当然麗しき朽木隊長のことだ。
「撮れた…!よしっ」
毎日の日課を終えて一息つきながら、髪に湿気と共にまとわりつく鬱陶しい木の葉を払い落とした。とまあ、ここまでは何年も全く変わらない私の日常である。だが、今日は違った。私はこのストーカー生活に終止符を打ち、第一歩を踏み出すのだ。
「くっ、くく、朽木隊長!」
先行く彼を慌てて引き止めるために声を張り上げて私は茂みから走り出た。彼の驚きを露わにした顔にシャッターを押したい衝動を堪えながら私は後ろ手に隠したカメラを指で撫で付けた。ああ心臓の音が漏れてるんじゃないだろうか。右も左も自分の鼓動でうるさすぎる。そんな心配をしながらも私は勢いよく頭を下げた。
「おはようございます!」
「…あ、ああ…」
私の異様な登場にまだ動揺している朽木隊長に思わず口元が緩む。初対面からこんな出会いとは向こうも警戒して当たり前だろう、彼は急に駆け寄ってきた私の行動を訝しんでいるようである。私はようやく息を整えて、拳を握りこんだ。
「朽木隊長が、ずっとずっと好きでした!付き合って下さい!」
思い切り吐き出した一世一代の告白に、朽木隊長が唖然とした様子で私を見つめ返していた。私はといえば十番隊の友人に借りた少し大きい死覇装が纏わり付いて気持ち悪いな、なんてことを考えながら乱れた心拍数を穏やかにしようと必死だった。実際は極度の緊張で握りこんだ手まで震えている。私にも一応は女らしい一面というのもあるのだ。
「…私は、」
「わ、わかっております!お返事は本日の夕刻に執務室に伺った際お聞かせ下さい!それまで少し考えて頂けませんか!」
「…待、」
「では夕刻に伺います失礼します!」
朽木隊長の話を食い気味に遮りながら私は踵を返して思い切り走り出した。走らなくてもすごい速さだった心臓が、急な運動も相まって恐ろしい速度になっている。私は震える足に鞭を打ちながら愛する一眼レフカメラを小雨から守るように猫背で隊舎へと足を前へ前へ動かした。
「はぁっ…はぁ、おはようございますっ」
息を切らしながら入った隊舎には既にちらほらと隊士が出勤し始めていた。始業時間にはまだ早いが既に出勤していた上司と目が合う。途端ぎょっとした顔を浮かべた二人は日番谷隊長と松本副隊長である。
「どうしました松本副隊長、日番谷隊長」
乱菊さんとプライベートでは呼んでいるが職場での公私混同をしないのは崇拝する朽木隊長を見習ってのことである。予想済みであるその反応を楽しむかのように口元を綻ばせれば、乱菊さんに恐る恐るといったように指を差された。
「え、え、名前…?」
「はい、私です。どうですか?」
「ど、どうですか、って…」
短く切り揃えた襟足を触りながら首を傾げれば、日番谷隊長が手に持っていた書類を全てぶちまけて硬直していた。乱菊さんに至っては、塗り直していたネイルを思いっきり指にはみ出させている。
昨日まで腰まであった私の長い黒髪は、今では肩にもかからない長さになっていた。そしてあれだけマスカラを重ね、ラメ入りのアイシャドウをのせていた目も見えない程度にアイラインを引いただけ。代わりと言ってはなんだが眉毛だけは前より濃くなぞってある。
「私、告白してきました。朽木隊長に」
ほぼベースメイクしかしていない、非常にあっさりとした顔になった私は性格までもあっさりしてしまったようである。あれほどこの二人に黙ってきていた片想いの実態を簡単に今ぶちまけた。そして代わりにぶちまかれていた日番谷隊長の書類を拾いながら私は茫然とする隊長に手渡した。
先に言っておくがこの断髪は失恋を見越してしたわけではない。先程の通り、むしろ私の恋は臆病な一歩をようやく踏み出したばかりなのだ。
「じゃあなんでそんな…まるで…」
「あはは、まるで男の子、でしょう?」
「いや…まるっきり少年に見えるわ…」
まじまじと私を舐め回すように見つめる乱菊さんに私はさらに笑顔を浮かべた。乱菊さんに言ってもらえれば自信が出るというものだ。
「そうです少年です!男装大成功!」
「えっ!?告白、なのよね?」
完璧だ、私の目論見は男装をして朽木隊長に告白をすることであったのだから。うまく上司まで騙せているならこれはかなりの手応えだ。朽木隊長もまさか私が女とは思うまい。そう思うと自然に口元がにやけた。
「ふっふっふ…説明しましょう」
目を見開いて突っ立ったままの日番谷隊長の横を通り抜け、私は乱菊さんの前で胸を張る。まあ、張るほどの胸もないのだが。こればかりは男装ではない、悲しい補足をさせないでほしい。
「私は朽木隊長を観察する中である疑念を抱いていました。そう、皆さんもお気づきである、あの更木隊長との妙な関係…!」
「はぁ!?いや朽木隊長には亡妻も…」
「奥様の亡き後はどうです?」
「いや確かに女性の噂はないけど…」
戸惑っている乱菊さんを問い詰めるかの如くぐいぐいと顔を近づけていた私は彼女の返事に大袈裟な動作で頷いた。まるで探偵気取りだがちょっと楽しい。
そう、朽木隊長は今は亡き妻、緋真様の後から誰とも恋愛の噂はない。しかも六番隊隊士によれば、やはりあれだけの地位、財産、才能、美貌となれば群がる女子隊士の数も尋常ではないと聞く。しかし、ことごとく彼女らの求愛を拒絶し、加えて朽木家への美しい姫君からの縁談も断り続けていると言う。となれば、真実はただ一つ。
「名字名前、改め名字男装名は朽木隊長の性的嗜好に合わせ今日から男として生きていきます!」
乱菊さんが掌で握りしめていたネイルボトルが床に転がり、鈍い音をたてる。私の後ろでバサバサという乾いた音が広がっていた。音を聞く限り、また日番谷隊長が書類を落としたのだろう。全く、仕方のない二人である。
何がともあれ私の新たな人生の幕は上がった。私はまだ少し大きい死覇装の袖をめくり上げながら、この幕の向こう側の輝かしい照明ともいえよう雨雲から覗き出した太陽を、目を細めて満足げに見つめ返した。
01:今日から俺は