こい【恋】


学生生活は気楽に見えて割と忙しい。友達との喧嘩もあれば、片想いで盛り上がったり、テストでは己の死を覚悟して徹夜し、学校行事に大いに羽目を外す時もあれば、渋々委員会に行ってみたり、部活に励み買い食いしたり。

中でもみんなが最も重要だと言うのが友情、恋愛、学業らしい。真ん中の一際甘ったるい単語をもう一度見て欲しい。なんなんだ、この胸焼けがする漢字。


「すみません〜前のお客様で最後で…」

「…じゃ、カレーまんでいいです」

なんなんだ、と改めて煮えたぎるような思いで前のカップルを睨んだ。レジ前でイチャイチャしているだけで目障りだったというのに挙げ句の果てに私のピザまんを奪い、分け合いながら帰ってるではないか。この格差は何だ。目の前で私自ら頚動脈掻っ切って死んでやろうか。消えないトラウマを植え付けてギスギスした関係にしてやりたい。

私があまりに恐ろしい顔をしていたからか、後ろにいた仏頂面が自分のコーヒーも置いて会計を済ませようとしていた。割と気がきく仏頂面の腕をつねりながらなんとか怒りを沈め、ようやくコンビニを出た。


「何だ、痛いだろう」

「そんなカシミアのお高いニット着といて何が痛いんだか。さぞかしあったかいでしょうねー白哉くんはー」

「…寒いのか?」

礼も言わずにこんな理不尽な怒りをぶつけても、顔色ひとつ変えずに見当違いな言葉をかけてくるこの幼馴染。その天然さは今に始まった事ではないがのれんに腕押しという言葉がぴったりすぎるほどだ。あれ、のれんに腕押しは確か手応えや張り合いのないことに使うが私は何を張り合っていたんだろう。

まあ難しいことはいい、私はピザまんが食べたかったのだ。そしてカップルが死ぬほど嫌い、むしろ死別しろと長年思っている。ただそれだけだ。来年の初詣は世のカップルがことごとく喧嘩別れすることでも祈願してやろう。


「…なにこれ」

「寒いのだろう?」

沈黙を肯定と勝手に捉えたのかぐるぐると巻きつけられた白哉のマフラー。またどうせお高いんだろう、すごく肌触りがよかった。昔から変わらない、白哉の家の匂いがする。

そういえば、白哉の家に行かなくなったのはいつ頃からだっただろうか。高校、いや、中学?まあ恐らく私が彼との経済的格差を感じ始めた頃だろう。白哉はお金持ちで、私はどちらかといえば質素な家庭だった。たまたま親同士が知り合いだったというだけで友達で居続けてもう18年目、高3になる。


「いい。いらない」

「黙って巻いておけ」

白哉もよくこんな素直じゃない面倒くさい私と仲良くし続けれるものだ。私はそれ以上反論するのをやめ、渡されたカレーまんをちまちま食べながらまだ前のカップルを睨んでいた。我ながらしつこいとは思うが、食べ物の恨みと長年抱えてきた憎悪の塊は計り知れない。そんな私の顔を白哉は空気も読めずに覗き込んできた。


「あの2人がどうかしたのか」

「私のピザまん盗った。それだけに飽き足らず、見せつけるかの如く2人で仲良く食べちゃってさ」

「それは…」

「言っておくけど、別に羨ましいとか思ってないからね!」

白哉が言う前に念を押すように言うと彼はコーヒーを飲む手を止めて何やら考え込んでいるようだった。どうせ白哉のことだ、また天然炸裂で馬鹿なことを考えてるのだろう。彼の素晴らしく賢い頭は勉強においてしか発揮されないのだから何とも勿体無い話だ。


「…なまえは、誰とも付き合わないのか?」

「付き合えたら苦労しないし、白哉とも帰ってない」


やはり馬鹿な思考に走っていたか、と私はやや呆れながら溜息をついた。何をやっても人並み、スタイルも顔も並み、いやどちらかというと中の下かもしれない私と比べて、運動神経も成績もルックスも抜群と持て囃される白哉に言われれば嫌味にしか聞こえない。

四季問わずモテる彼を幼馴染に持つ私は嫉妬されたり、告白の手伝いを頼まれたり、悪口を言われては媚びられたりと何かととばっちりにあってきた。さっさと誰かと付き合えと言いたいのだろうが、それはこっちのセリフだ。


「…何故そう思う」

「誰がこんな口悪くて色気のない女と付き合うの。私だって告白してもらえたらすぐ付き合ってますよーだ」

「では、誰でもいいのか?」

白哉に問われて、私は思わず言葉に詰まった。考えたこともなかったが、私はどんな人と付き合いたいのだろう。恋愛沙汰は勿論、その類いの話すらしない私だから、その疑問に行き着いたことがなかった。

「うーん…」

何かが一瞬よぎった気がするが、まあ浮かばないということは理想などないのだろう。いや、理想を思い浮かべる知識すらないのだ。こんな悲しすぎる18歳は、私以外にいるのだろうか。


「考えたことないけど…浮かばないし文句も言ってられないから誰でもいいのかもね」

何でもいいや、と適当に返事して残りのカレーまんをかじろうとした時、急に屈み込んだ白哉の横顔がそれを奪っていった。ほぼ残されていないカレーまんと白哉を交互に見て唖然とする私に対し、白哉は何食わぬ顔でそれを飲み込んでいる。

「え、なに?そんなに食べたかったの?」

「……」

庶民の味が気になったのだろうか。謎の行動ではあるが、まあ払ったのは白哉だからと私は文句は言わずに僅かに残されたカレーまんを食べた。


「おいしかった?庶民の味」

「…私もそのくらい食べるに決まってるだろう。違う意味を察しろ莫迦女」

「その馬鹿女の馬鹿がうつるんじゃないんですかー?そして富裕層の白哉くんは何を食べたいのかなー?」

馬鹿女と言われたことに全力で言い返し、加えて挑発することも忘れない。私ほど完璧に相手を苛立たせる口論が出来る女はいないだろう。まあこんなことで勝ってしまっても私の彼氏いない歴が更新されていくだけなのだが。我ながら可愛げのない女である。

「…なまえ」

「え?珍し、怒ってんの?」

「怒っている訳でない、質問についてだ」

「なに?わかるように言ってよ。馬鹿女なんだから、分かんな、」


言葉の意味よりも、我が身に何が起きたか分からなかった。い、と紡ぎたかった口が塞がれてて、コーヒーの苦味がして、これでもかってくらい白哉が近くて。

目の前の白哉が、私の顔を見て口角を上げた。私はこの顔を知っている、白哉が主に私にいたずらする時や意地悪をいう時の楽しくて仕方がないという笑顔である。


「悪くない味だな」

「え…いや…、え?」

いくら知識のない私でもわかる、今さっきのはキスだ。キスって恋人の愛情表現じゃないのか。いや、外国では挨拶っていうけども。どういう事かはわからないけど、私が古い思考なだけで今時恋人でなくてもキスするものなんだろうか。

混乱する頭で白哉を見返したら段々何故か、授業中先生に当てられた時みたいに顔が熱くなってくるのを感じた。こんな時にそんな例えしか出来ない私は、ボギャブラリーが貧困すぎる。


「…可愛いな、赤い」

「は…ちょ、」

「あまり可愛い反応をするな、止まらなくなるだろう」

熱い頬を白哉のひやりとした冷たい手が撫でた。ちょっと、いやちょっとどころではなくわからない。この状況もさっき起こったことも全部。それに何故か胸が苦しい。息がつまるみたいだ。

「え!?よくよく考えても意味わかんない!誰でもいいわけ?!」

「…誰でもいいと言ったのは、なまえだろう」

「あっ、そっか、ほんとだ」


白哉の言葉が正論すぎて、私は割と簡単に納得してしまった。事の元凶は私だった訳だから何も言えないではないか、騒いでおきながらあっさり言いくるめられてしまった。

第一騒ぐか罵倒するしか反応ができない私は本当に馬鹿で色気がない。私が経験者だったらもうちょっとかわいい対応ができたのだろうか。

「私、ちゅーするの初めてだったんだけど…まぁいっか」

「そのくらい知っているが」

「え!?そうなの!?」

こともなげにそのくらい、と言いやがった。開いた口がふさがらないとはまさにこの事である。私は唖然と白哉を見上げた。なんなんだこいつ、知ってて狙うとはいつの間にかとんだプレイボーイになってやがった。


「…ファーストキスなんだから遠慮するでしょ、普通」

「…だからこそに決まってるだろう」

「え?!なんでよ!?」

私が制服のセーターで無理やり唇を拭ってから白哉を睨み見ると、白哉は私の腕を引っ張った。若干よろけて、踏みつけていたローファーの踵ごと後退る形になり、いつの間にやら白哉の腕の中にいた。何を考えているんだ、この男。背中から抱きしめられるようなこの体勢に、思わず顔に熱が集まる。


「え、何、恥ずかしいって!離し…」

「…私ではだめか?」


白哉の腕の中から逃げようと必死だった私は、白哉に言われた言葉にようやく抵抗していた手を止めた。

「え?何の話?」

「私はなまえが好きだった、ずっと」

「…はぁ?!」

「何なら今すぐにでも襲いたい」

「は、ちょ…!」

「誰でもいいなどと言うのなら、私に抱かせろ」

「えっ?!ちょっと待って、ちょっと!」

私のリボンを緩めようとしている白哉の手を慌てて掴んで、私は呆然と言葉の意味を考えていた。私はファーストキスを奪われて、今は抱きしめられてて、白哉は私が好きで。え?白哉は私が好き?その辺りがよくわからない。大体ずっとって、いつからだ。

いつから、と考えた時、何故か私の心の中で中学あたりだよ、と返事があった。まさか、白哉の言うずっとなんて高校くらいだろう。そう私が勝手に思った時、ようやく気付いた。違う、中学あたりからなのは私だ、と思わず返事してしまったから。


「あれ、私…」

誰でもいいのか、と言われて一瞬よぎった人物。今わかった、紛れもなく白哉だ。なんであの時に浮かんだのかはわからない。だけど確実に白哉を思い浮かべていた。どうしよう、何が何だかわからない。


「…なまえ?」

考えれば考えるほど熱くなる顔と、口から飛び出してしまいそうな騒がしい心臓。私は顔を覗き込んできた白哉から何もかも隠すように慌てて反対を向いてその胸に顔を埋めた。


「…す…き、なのかも…」

「……今、何と言っ…」

「うわ!?聞かないでよ!」

思わず出かかった言葉も涙も、慌てて飲み込んだけれどほとんど言っちゃったしもう泣いてしまっている。バレるのも時間の問題どころか絶対バレた。

どうして浮かんだのか。どうしてキスがそれほど嫌じゃなかったのか。どうして今涙が出るくらい嬉しいのか。全部わかってしまった。


「…いいけど。白哉で、妥協してあげても」

「……それは、」

「…白哉、馬鹿なんじゃないの?意味わかんないよ。順番もめちゃくちゃだし、私みたいな女選んでるし…」

「…そうだな。なまえの言う通り、馬鹿が移ったのかもしれぬ」

顔を掴まれたかと思えば、無理に上に向かされた先の至近距離にさらにじわじわと顔が熱くなった。泣き顔も、真っ赤な顔も、見られたくないのに全然収まりそうもない。

嬉しさも苦しさも泣きたいのも、全てぐちゃぐちゃに混ぜたようなこんな気持ちを私は知らなかった。だけど、もう手遅れである。この感情の名前に気付いてしまった限りには、もう幼馴染には戻れない。


カップルの半分ことは恐ろしいものである。すっかり馬鹿を移されてしまった私は、白哉のネクタイをぐっと引っ張った。




こい【恋】

特定の異性に強くひかれること。
切ないまでに深く思いを寄せること。



***

ピザまんが好きなわけじゃないと
わかってくださった方いるかな…
わかりにくいですが恋とかけてます。

手に入らない事をないものねだり、
手に入っても妥協したフリをする。
そんな素直になれない女心と食品を
かけたお話なんです…が、長い…!
長過ぎたので削ったらまだ長い上に
わかりにくくなって笑えました…


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