四月馬鹿の戻れない明日


「失礼します。書類を届けに参りました」

いつも通り事務的な言葉がかけられ、ようやく書類から顔をあげれば相変わらずの仏頂面である彼女が書類を差し出して立っていた。


「…ああ」

「こちらは先日の南流魂街の件ですが、七番隊担当地区と隣接するため、報告書を…」

私も表情に乏しいと言われる人間ではあるが、その私に負けず劣らずの仏頂面と言われているのが今書類を説明している彼女、みょうじなまえである。

彼女が六番隊に配属されてからもう一年になるだろうか。彼女の笑顔を見たことは私を含め、誰もいない。まず物静かな彼女が雑談をする場面にも遭遇したことがないのだから無理もない話だ。

馴染めていないのではないかと多少なりと気にかけてはいるのだが、どうも壁を感じさせる彼女にはあの恋次ですら今のような業務上の会話に限定されてしまっているらしい。


「ご高覧下さった上でこちらに印を押して頂けましたら、私が七番隊に提出致します」

「…ああ」

「こちらには署名をお願い致します」

「…ああ」

「それと私、妊娠したので結婚するんです。退職させていただけませんか」

「…ああ。……!?」

事務的な報告と指示に頷いていたが、ようやくその言葉の意味を理解した私は目を見開いて彼女を見た。彼女が言ったのはつまり、婚姻より早く子供が出来たということだ。驚きを隠せないほど信じられないことである。彼女のように真面目で浮ついた事や公私混同のなさそうな人間であるからこそ寿退社、それも妊娠発覚での結婚などと言われれば驚きは尚更大きい。


「……っは、」

すると見上げた彼女は、いつもは真っ直ぐに伸ばされている背を丸め、顔を逸らして口元を押さえていた。一瞬、妊娠症状でよく聞くつわりだろうかと立ち上がりかけたが、どういうこと訳か彼女の指の隙間から漏れるのは呻き声ではない。よく聞けば、押し殺した笑い声のようではないか。

「くくっ…あははは!お腹痛い!朽木隊長、反応良すぎます…っあはは!」

「……!」

ようやく私を見た彼女は腹部を抱え、目を細めて目尻の涙を拭っている。未だ状況が掴めずに呆然と彼女の屈託のない笑みを眺めていたが、彼女はまだ笑い止みそうにもないまま口を開いた。

「っはは、あー楽し!あはは、今日は4月1日、エイプリルフールですよ」

「……」

エイプリルフール、と聞いてようやく彼女の嘘を理解した。一度は私も聞いたことがある、確か現世では嘘をついても良いとされる風習がある日だ。

だが、私は彼女の言葉と状況だけに呆然としていた訳ではない。私が何よりも驚きを隠せなかったのは、初めて向けられた彼女の笑顔である。勿論そんなことは知らない彼女は笑いをこらえた顔で首を傾げていた。


「あれっ、ごめんなさい。嘘ついたの怒ってますか?」

「……いや…見事に騙された」

「あっはは!なら良かった!本当は一番許してくれそうな副隊長にする予定だったんですけど、難易度上げてみて正解でしたね」


そういってまた声を上げて笑っている彼女と、いつもの仏頂面で事務的な口調をしている彼女はなかなか結びつかない。それほどに印象が違っていてあまりにも信じがたい光景だった。ただひとつ確かなのは、普段笑わない彼女だからこそその笑顔の破壊力は想像を絶するということだけである。

「ーー朽木隊長?」

「…あ、ああ。済まない」

私はようやく彼女に釘付けになっていた自分に気付き、慌てて書類に視線を戻して署名のために筆を走らせた。しかしどういうことだろう、彼女から目を逸らしたのはいいが、再び彼女を見れそうにもないことに私は漠然と気付いていた。


「…恋次にした方が良かったかもしれぬな」

「あはは、そうですか?」


顔を見ることができないまま呟くように零せば、書類を受け取りながら彼女は首を傾げているようだった。

私ですら自分で言っておいてようやくその言葉の裏にあるものに気付かされたのだから、彼女はこの言葉が私から贈られた嘘だとは気付かないだろう。勿論、今となればそこに少しの忠告も含まれるということには、もっと気付くわけがない。


「うーん…でも隊長で大満足です」

「……っ、」


その言葉に迂闊に顔を上げれば、柔らかい笑みを浮かべた彼女と視線が交わり合った。たった、それだけのことだというのに。それに異常なまでに高鳴る鼓動だけは嘘をつけずにいるのだから、もう完全に手遅れである。

私の嘘をばらしてしまえるのはいつになるのだろう。この本心を隠した嘘は、今日だけに済みそうもない。



四月馬鹿の戻れない明日
(……わっ!)(…っ!?)(あっははは!)
(な…)(あー楽し!書類です隊長)(…っ)


***

エイプリルフールじゃないかと
通勤時に気付いてうっかり便乗

普段静かなのに笑い出したら
止まらなかったりイタズラ好きな
お茶目さがある方っていますよね。
割とどころじゃなく非常に好きです。



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