ホストクラブ短編・京介世莉 | ナノ



寂しい唇


隣にあるはずの温もりを探すが、触れたのはまだ温かいシーツの感触だった。

「…世莉さん?」

目を開けると部屋は暗く、デジタル時計の明かりが深夜の時刻を表示している。

(一体どこに行ったんだ?)

何も言わずに帰ってしまったんだろうか…。
そうだとしても仕方ないのに、当然のように寂しさを感じてしまう。
自分達の関係が“そういうもの”であるのは最初の頃から分かっていた。
言葉で言えば体だけの関係。

勢いだけで奪えず、相手を想って手放す事も出来ない。
想いを言葉にしてしまうと壊れてしまうかもしれないそんな関係だと分かっていても、この頃それを超えてしまいそうになる。

「はぁ…」

息を吐きながらベットを出て、寝室のドアを開けるとリビングのカーテンがゆらゆら揺れていた。
自分の部屋なのに足音を立てずに静かにカーテンに近付く。窓が少しだけ開いていて、その隙間から小さな温かみを帯びた風がセットしていない俺の髪を揺らした。

「あ…」

ベランダを覗くと手摺に両腕を乗せ空を見上げている世莉さんの姿があった。
伸ばした指に挟んだ煙草の先が赤く光っているのを見て、思わず眉を潜めてしまう。

「悪い、起こした?」

「いえ…」

目線の先は火の点いた煙草。その視線に気付いた世莉さんが「ああ、これか」と何故か少し照れくさそうに笑い、まだ長い煙草を携帯用の灰皿に押し込んだ。

「煙草、吸ってるんですか?」

一度も見た事のない姿に、小さな怒りを感じてしまった。
“知らない”事への嫉妬。こんな自分の感情に胸の裡を騒がせる。

「煙草はもうやめてる…」

沈黙が続く。暫く待ってみたがその後に続く言葉はなかった。

『では、何故いま吸ってたんですか?』

それを聞く事はいけない事のような気がした。
これがきっと、俺と世莉さんの関係なんだろう。

聞けない…。
確認しあえない…。

口にしないからこそ成り立ってる関係。
その先に進む事は“終わり”を意味するような気がして何も言えなくなってしまう…。

「何か、変な感じ」

暖かい風が世莉さんの呟きのような声を俺の耳に運んだ。
何がですか?という問いに世莉さんは驚いたようにこっちを見たから、伝えるつもりで口にした言葉ではなかったんだと知る。

「まだ、空が暗いのがさ…」

世莉さんが空を見上げるのを見て、釣られるように俺も目線を向ける。
この辺りは住宅街で割と栄えているから星なんか見えないけど、雲一つない空に浮かぶ月がやけに眩しく見えた。

「いつもはこの時間に仕事して、明るくなってから帰ってきてさ…暗い空を見るのが変な感じしたんだ」

「そうですね」

こういう些細な事から自分達の生活が世間からずれているのを実感する。
ネオンに囲まれた生活の中で空を見上げる事は殆どない。雨や雪は地面を見て知る。
当たり前に訪れる夜を、俺達が一番知らないのかもしれないと思った。

「さっき…」

ひどく静かな声にドキッとした。
嫌な予感のような重い空気に息を呑む。本能的に話題を変えようとしたのか「あの」と口を挟むのと同時に世莉さんが話を続けてしまった。

「目が覚めたら部屋が暗くて、時計見たら夜中で…」

感じた予感とは違う話題のようでホッとする。しかし世莉さんは少々言いづらそうで、一体何の話だろうと静かに耳を傾けた。

「お前が隣で寝てるの見たら、オレの生活変わっちまったなと思って」

「……」

良い意味で?
悪い意味で?

何故、こんな単純な事も聞けないんだろう。感情が膨張して破裂しそうになる。
けど世莉さんは俺が何も聞かない事で語ってくれているのだと知っている。だからこそ何も言えない。

「お前のせいだ」

顔を逸らしたまま近付いてきた世莉さんが、突然こつんと俺の胸元に額を寄せた。
驚いたのと嬉しいので、どうして良いのか分からず戸惑ってしまう。

「…寂しいんだ」

「……」

俺と居る事で寂しい思いをさせているという事だろうか。
不安に言葉が上手く出ず無言になってしまう。そんな中、世莉さんはがばっと顔を上げて真っ赤な顔で言った。

「口が…寂しくなった」

「え?」

「お前のせいで、口が寂しいんだ…」

「どういう意味ですか?」

精一杯の言葉だったんだろう。
俺には良く分からないが、世莉さんのプライドが邪魔をしているのは確かなようで言葉を必死に探しているのが分かる。

「お前がいつもベタベタしてくるからだろ!何か…寝てるの見てたら…ッ。前までこんな事なかったのに」

「それはつまり…キスがしたいという事ですか?」

「――っ…!」

元々赤い顔が耳まで赤くなるのを見て、俺までつられて顔が熱くなりそうになる。

「それで煙草を吸ってたんですか?」

「だって…今はオレの生活の中でお前との時間が当たり前になってて、その時間が長いんだから仕方ねぇじゃん」

ああ、この人は容易く俺の心を動かしてしまう。
そんな世莉さんが時々憎くなるほど愛しい。

「世莉さん、俺はアナタの…」

「待て。『アナタの寂しい唇は、俺が塞いであげます』とでも言う気か?」

「え…」

予想外でとても的を射た世莉さんの言葉に、少しだけ我慢してみたが抑えきれずに噛み殺した笑いを洩らしてしまった。

「んなっ…!お前がいつもそういう――んぅ…!」

可愛い、愛しい。こんなに強く人を想った事はない。
何度となく重ねた唇を確かめるように角度を変えて口付ける。

「そうですね、何なら寝てる時もキスしますか?」

「馬鹿じゃねぇの…」

照れ隠しの口癖が出た所でまたキスをした。

確認しあえない仲なのは辛いけどこの人の傍に居られるなら、気持ちを確かめ合わなくても構わない。そう、いつも繰り返している。

どうやっても知らない頃には戻れないんだから。

ただ、この寂しい唇が今は俺を必要としている事だけで十分。







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