天邪鬼とプレゼント





「は?…んだよ、あれ。」



呆然と廊下に立ち尽くした青峰の見つめる先には、バレンタインに健気に(?)お願いをしチョコレートをもらうことの出来た相手、若松孝輔が。そして彼と向かい合って楽しげに笑う可愛らしい女子生徒の姿があった。青峰の停止する思考とは裏腹に、広がる視界の中で、若松の持つ綺麗にラッピングされた包みがごく自然な流れで彼女へと手渡される。それが何を示しているかなんて、すぐに分かった。なんせ今日は青峰自身、柄にもなくワクワクと待ちに待ったホワイトデーなのだから。



この日のために、青峰は今まで経験したことのないお菓子づくりというものに初めて挑戦した。もちろん桃井に手伝いを頼めるはずもなく、ニヤニヤする母親に仕方なくサポートしてくれと願い出たのだ。


初心者向けで簡単に作れるクッキーを選んだが失敗に失敗を重ね、やっとの思いで作り上げた。そわそわと待ち続けた空き時間、青峰はラッピングし袋に入れたそれを抱えると気合を入れて若松の元へと向かった。



しかし、こうも現実を目の当たりにしてしまえば浮かれていた自分が馬鹿らしく思え、高ぶっていた気持ちは急激に冷えていった。あの時はチョコレートをもらえたことで喜んでいたが、よくよく考えてみればあの人がバレンタインに女子からチョコを貰わないわけがない。声はうるさいし、うっとうしいがそれでも長身で人受けも良く二年バスケ部の唯一のレギュラーなのだ。



青峰は、ハッと目の前に意識を戻した。どこか照れたように見えた若松の表情に、自分の抱えた小さな紙袋の持ち手をぎゅっと握りしめる。あぁ、この場から早く立ち去りたい。そんな感情が一気に青峰の中で膨れ上がった。





「あ、おかえり〜!早かったね!もう主将に……え、それ…」


教室に戻ってきた青峰の手には、桃井に「行ってくる!」と声をかけ、機嫌良く走り去って行った時のまま、変わらず紙袋がぶら下がっていた。


「あれ、若松主将いなかったの?さっきすぐそこの廊下にいたはずなんだけど…」


「…おう、いた。けど、」


「けど?」



青峰の頭に親しげに笑いあう二人の姿が蘇る。



「女と楽しそうにしてた。」


「……だから戻ってきちゃったの?」



男が女に返すのが当たり前。今日だって学校に来てから男女のそんな現場を何回も目に入れていたのに。何故実際見てしまうまでに、若松に置き換えてその可能性を考えなかったのか。自分にとって特別だからといって相手も同じとは限らない。普通に女子を好きになって、付き合う可能性の方が何倍も高いのだ。



「…今日、帰る。」


「え、ちょっと…!授業は!?部活も!!」



そんな桃井の声は最早届いていないのか、鞄をつかみ溜息を吐いた青峰は、あのバスケのプレーからは欠片も想像できない重たい足取りで教室を出て行った。








「はぁぁぁ!?授業もサボって帰ったぁ!?!?」



若松の叫び声が体育館に響き渡ると同時に、準備をしていた部員達が一斉に動作を止める。ぴたりと静まり返った空気に、はっと我に返った若松はすぐに何でもない、気にするなと合図を送った。


「あの野郎…最近はちゃんと出てたのに…」


「…主将、あの、部活後に一緒に青峰君の家まで来てもらえませんか?」


青峰が帰ってしまった原因を全てではないが理解している桃井は、変に拗れる前にさっさと二人で話しをしてもらい、面倒なことは極力さけようと考え一つ提案をした。


「え、家?アイツ…何かあったのか?」


「ま、まぁ。その、いろいろと…」


煮え切らない返事をする桃井に若松は若干眉を潜めたが、彼女が自分が言うべきではないときっと判断したのだろう。青峰の事も誰より理解している。となれば、むやみに自分が今口出しすべきではない。しかし休みの理由が分からないのは主将としても困る。直接行って確認が取れるのなら、その方が良いだろう。



…それに、ひと月前楽しみにしていろと言われたお返しとやらも結局まだ受け取らずじまいになってしまっている。そもそもあの青峰の事だ、果たして本当に用意してあったのかも怪しいところだが。実を言うと周りの空気と同様、意外にも朝からドキドキと期待していた自分がいた。


「分かった、部活が終わったら少し待っててくれ。」


「はい!ありがとうございます…!」







「あら、さつきちゃん!いらっしゃい。」


桃井がインターホンを鳴らすと、「青峰」と表札のある家の中からほんわかと優しそうな顔をした女性が現れた。青峰の母親以外に有りえないのだろうけど、あまりにもあの悪人面からはかけ離れすぎていて、本当にこの人があの青峰大輝の母親なのかと、若松はパチパチと瞬きを繰り返してしまった。


「やっぱりまた大輝が何かやらかしたのね!…えっと、こちらの方は…?」


桃井への視線が横に逸れ、隣に立っていた若松へと向いた。



「あっ、こ、こんばんは!桐皇学園バスケ部主将の若松といいます!」


「まぁ主将さんまで、……若松…?」


何故か青峰母が若松を見つめ、ぽかんと一時停止している間に、桃井は彼の手を引き足早に家の中へと突入した。


「おばさん!大ちゃん部屋にいますよね!?」


「え、あ…いるけど、」


「ちょ、っ桃井!す、すいません!お邪魔します!!」





唐突に、ドンドンドンッ!と凄まじい勢いで部屋のドアを叩く音が響き、青峰はベッドの上で飛び上がった。


「大ちゃん!ちょっと出てきて!」


どうせ勝手に帰ったことでご立腹なのだろうと小さく舌打ちをしながら、青峰は扉を開けた。頬を膨らませ起こった桃井の姿があると確信していた青峰は目の前に現れた人物に目を疑った。


「よぉ。」


今青峰が最も会いたくない人、ぶっちぎり1の若松が仁王立ちしていたのだ。その背後にはムッとした表情の桃井が。本人とちゃんと話しをしてみろ、そう言いたいのだろう。しかし今話せと言われても青峰の頭の中は未だにぐちゃぐちゃなままだった。



慌ててドアを閉めようとしたがもう遅い。反射的に一歩早く動いた若松に扉を押さえられ、部屋の中へと入られてしまった。



「具合が悪いわけじゃなさそうだな。」



ギギギ…と錆びついた音が聞こえそうなほど不自然な動きで、青峰は若松から視線を逸らした。


「何かあったのか?授業はまだしも最近部活は出てただろ。」


「・・・。」


「…青峰、言ってくれなきゃ何も分かんねーぞ?」



若松はぐしゃぐしゃと頭を掻くと、深いため息を吐いた。桃井が声をかければ素直にドアを開いたくせに、自分が居ると分かった途端に拒絶し、向き合えば沈黙。ただの部活の先輩である自分には言えないような事情があるのだろうか。それとも、



「…なぁ、俺が何かしたか?」



その瞬間、びくり、と青峰の身体が反応したのを見逃すはずがなかった。



「気づかないうちに何かしてたか?つーか何かあるなら言えよ。今までだって散々暴言吐きまくったりしてたじゃねぇか。今更黙ることねーだろ?」



そうなのだ。今まではイラついたって何だって、若松本人に何かあればそれをぶつけていた。けれど今青峰の頭の中を占めているモヤモヤはこれまでの物とは類が違う。別に若松に何かされたわけでもなく、青峰自身が勝手に不満を抱いているだけなのだ。女と居たからムカついた、なんて若松本人を前にしてとてもじゃないが言えるわけがなかった。



しかしそんな青峰の心情を予想すらしていない若松としては、相手が黙り込んでしまったこの場合、もう打つ手はない。



「…分かった、もういい。ただな、部活はちゃんと出ろ。主将が俺でエースがお前なのは変わらねェんだから、そこは割り切れ。」


立ち尽くす青峰に、分かったな?と強く念を押し、若松は部屋から静かに出て行った。




下の階に降りてきた若松に、青峰母と談笑していた桃井が気づく。


「あ、主将!…大ちゃんから何か聞けました…?」


「聞くも何も、一切俺の問いかけは無視してだんまりだ。」


桃井は表情を歪め、青峰母は申し訳なさそうに若松に頭を下げた。


「あの、若松主将…」


「桃井。青峰のこと、頼むぞ。」


ぽんぽんと桃井の頭を撫でると、若松は「お邪魔しました」と軽く挨拶をし、青峰家を後にした。





ベッドに凭れ掛かり床に座り込む青峰は近くに置いた鞄の中から少し形の崩れたプレゼントを取り出した。渡せなかった、若松へのお返し。リボンをほどき、中から一枚不格好なクッキーをつまむ。



「…まっず。」



砂糖の甘さなんてどこにもなく、苦さばかりが口の中に広がった。