喝采




いつも通りのミーティング。いつも通りのウォームアップ。いつも通り、本気でボールを追い掛けて、つかみ取った勝利。

ただ一つ違ったのは、試合後に遥々アメリカへとやってきた幼なじみから手渡された、一通の手紙。軽いはずのその紙切れは、ずっしりと俺の手に収まった。


久しぶりに見た笑うあなたの周りには、黒い縁取りがありました。





 若松サンと別れたのは今から三年前。寒い冬の空港だった。当時俺達は付き合っていて、いわゆる恋人という関係だった。だけど、幸せだと噛み締めていたあの時間に終止符が打たれた。そして…それを打ったのは、俺の方。


NBAからの誘いは高校卒業と同時に話をもらっていた。一年待ってほしい、そう頭を下げた俺に周りはとても驚いた。だってそうだろう。バスケットボールプレイヤーにとって夢の場所であるそこは、喉から手が出るほど欲しい地位なのだ。了承一択に違いないと誰もが思っている中でのことだった。けれど、アメリカへ行ってしまえば若松サンとの関係は続けられない。だから一年だけ、一年だけ時間が欲しかった。 若松サンは多忙な大学生活の合間をぬって俺との時間を過ごしてくれた。高校の頃はあまり出来なかったデートを沢山した。山や海、テーマパークへ行った り、互いの家でのんびり過ごしたり。そんな幸せな時間はあっという間だった。    


俺も一緒に行くと、そう言ってくれた言葉にしがみつきそうになった事もあった。もっと一緒にいたいと、口から零れそうになったこともあった。遠距離、二人の時間、スキャンダル、課題はやまずみだが俺達なら大丈夫だ、と若松サンは笑ってくれた。でも、もし取り返しの着かないような喧嘩をしたら?全く会えない状態が続くとして自分は試合に影響を出さないか?…もし、周りにバレたら?スキャンダルは御法度である。軽い処分で済まされるとは限られない。


「アンタとは、別れる。」


待てよ、と呼び止める声に背を向けて。あの日、搭乗口をくぐった。

要するに、俺は恋人とバスケを天秤にかけたのだ。



勝ったのは、バスケだった。





青峰が日本へ降り立ったのは、それから約5日後のことだった。もちろん彼を送り出すための式はとっくに終わっている。青峰は、自然が多い若松の故郷の街を一人歩いた。地元の人でにぎわう商店街を小学生達が駆け抜けた。きっと若松もここを何度も通ったのだろう。真っ黒なスーツに身を包んだ長身が花束を片手に歩くその姿は、少しだけ人目を引いた。駅から30分程歩いた頃だっただろうか。少し斜度のある坂の上に古びた小さな寺院が見えた。





桶の水が揺れ中の杓が、かたんっと桧の桶を鳴らす。

『若松家』

そう刻まれた石碑に青峰の目頭がふと熱くなった。彼がこの世にもう居ないことを、ここに来て漸く認めることが出来たのだ。ふわりと漂う線香の香りに、掌を合わせた青峰は言葉のない祈りを捧げた。


駅は来た時と同様に閑散としていた。青峰は墓石に花だけ添えあの場を後にしまっすぐ駅へと戻った。若松の実家の場所はもちろん分かっていたが、どうしても彼の家族と飾られているであろう遺影を前に、向き合う勇気が出なかった。きっと自分を恨んでいるのだろう。若松自身も、その家族たちも。どの面下げて会いに行けと言うのだろうか。青峰は自分自身に問いかけた。

古びたホーム。錆びついた白い柱には、長いつたが絡まっていた。日が沈んでいくのと共に、映し出される自分の影は細くなっていく。ここへ来て彼の死に直面し、あの頃を想う。互いにぶつかり合い、確かに想いあっていた時間がそこにはあった。そんな青峰の複雑な思いは、まるであのつたのように胸に絡み付いた。流れるはずの涙はどこかに忘れられてきたのだろう。知らせを聞いてから濡れることのない頬に指先が触れた。


地方ということもあり、次の列車は当分やってこないようだった。薄暗い、無人の待合室に青峰は一人座る。ぼんやりと列車を待つ青峰の耳を、観客の声援、、聴きなれたドリブル、ネットの擦れる音が通り過ぎていく。


捨てたあの人の埋まるこの街で、成功した自分の姿が瞼のうらを駆け抜けた。





アメリカに戻った青峰を待っていたのは、何の変化もない今まで通りの生活だった。チームメイトも現地の人間も、青峰の過去を知らない。若松孝輔という人物を知らない。ふと視線を上げれば輝かしいくらいのライトに照らされるコートが見える。横に立つ仲間たちと共にゆっくりと足を進めれば、大きな喝采が青峰を包んだ。


何も変わりはしない、それはいつもの日常。






あとがき
死ネタは苦手なのですが、大好きな曲を元に書きました。タイトル通りのアレです。また次回作もよろしくお願いします。