午前の魔法薬学の授業までで、通算4回。
午後の分も加算すれば、両手の指では足りそうもない。どこからどう広まって歪曲したのか、噂とはすなわちモンスターである。
The frog in the well knows nothing of the great ocean.
「シリウス・ブラックとは付き合っていませんし、そのような予定も毛頭ございません」
青筋を立てた女生徒も、その呪文ひとつで可愛らしい笑顔にフワリと変化する。スキップで立ち去ってゆく背に、ナマエ・ミョウジはくわばらくわばらと掌を合わせた。彼女たちのおかげで、なかなか寮にたどり着けない。
「……シリウスって本当にもてるのねえ。なんか腹立つけど、あれだけ好かれるってすごくない?」
そうだね、とリーマス・ルーピンが苦笑する。彼はいつもより大層くたびれた様子だった。たまっていた宿題を終わらせても、温かい夕食をお腹いっぱい食べても、近頃の彼は元気がなく、またナーヴァスでもある。
「リーマス、こっちから月が見えるよ。きれいだよ」
「いいんだ。ここの方が落ち着くから」
リーマスの歩く場所はとても暗く、ナマエにはその表情がよくわからない。外の月明かりでまったくの暗闇にならずにすんでいるものの、廊下の蝋燭はひとつも灯っていなかった。
「人を好きになるってのは、僕は、いいことだと思うよ」
ぼんやりと光ったオレンジ色の月は、もうすぐ真円だ。リーマスはひっそりとした口調で続けた。
「誰かを好きになれるなら、なったほうがいいに決まってる」
「うーん。そうかもねえ、まあそういうのって、理屈じゃないしね」
「……ナマエはシリウスのこと、好きじゃないの?」
「あら。なに、突然どうした」
ようやく薄明かりの下で見えた表情は、ひどく強ばっていた。やはり近頃の彼は少しおかしい。
「ねえリーマス、顔色悪いけど大丈夫? 何かあったの?」
彼は誰かに恋をしているのだろうか?だからこのところ、様子がおかしいのだろうか?
「ううん。でもごめん、僕、先に寮に戻るね」
「リーマス、わたしもしかして何か悪いこと云った?」
「そんなことないよ」
どこか頼りなさげな背中が闇に溶けてゆく。暗に踏み入るなと線を引かれたようで、何となく追いかける気にもなれなかった。
立ちつくしたナマエは、窓の外の光に目を細めた。