一発殴らせろ、と笑顔で告げられたのは生まれて初めてだろうと思う。
ふわりと白いものが視界の右側に飛び込んできたかと思うと、リーマス・ルーピンの体は地面に叩きつけられていた。
シリウス・ブラックとピーター・ペティグリューの声が重なった。
「「ジェームズ!!」」
「あ……やべ、つい本気で」
視界には、拳を振りかぶった体勢のままのジェームズ・ポッターがいる。ぐらぐらする脳味噌で立ち上がると、口の中に熱いものが流れるのがわかった。血でふさがっていた傷が開くのも。
そのまま前方を睨みつける。口とは裏腹に、ジェームズの顔は悪びれる風もない。
「ごめん。頭は悪くないと思うけど、きみって結構バカなんだな」
怪我人に手加減をするタイプではないらしい。ジェームズにしては珍しく、表情も言葉も感情的だ。だからそれが余計に、リーマスの胸をえぐるのだ。
抑えようとするシリウスを制して、ジェームズは再び前へ踊りでた。一瞬体が強ばるが、ここで視線をそらせば負けだ。
「……きみたちに、何が分かるっていうの」
「それがどうにもならない”奇病”だってのは分かってるつもりだよ」
「どうにもならないなら、こんなの、ずっと放っておいてくれたら良かったんだ」
「きみみたいな哀れなバカ、放っておけないね」
ぎり、と奥歯を噛み締める。避けられるのは承知で大きく振りかぶった腕は、予想通りに空を切って、続く二発目がジェームズの横面に入った。彼のものにくらべると、パチンと頼りない音がした。
体勢をなおす前に、左頬へ鋭い一撃が飛んでくる。耳のそばで、ヒュッと風を切る音がした。今度はよろめいただけで倒れずにすんだが、鈍い重低音が響いたのを聞いた。
「ジェームズ、いい加減にしろ!」
「……外野がうるさいなあ。こういう時はとことんやらなきゃ、だろ」
「おまえが主導権握るとロクなことにならねえんだよ」
「手の早いシリウスなら、始めっから殴り合いになってたと思うけど?」
「野郎。云いやがったな」
罵り合う二つの声が、頭蓋骨にガンガン響く。力が抜けてしゃがみこむと、殴られた頬骨がジンジンと痛んだ。まぶたの上が切れているのか、生温いものが頬を伝って流れてきている。
いつのまにか近づいてきたピーターが、おずおずと白いハンカチを差し出していた。体は距離を取っているので、手だけを突きだした妙な格好になっている。それでも、ほんの少し躊躇してから受け取ったそれを、リーマスは目の上へそっと当てた。
どうして僕はよりにもよって、彼らと同室になってしまったんだろう。
地雷原に踏み込まれたこと自体がショックなのか、それが”彼ら”だからこんなにも恐ろしくなっているのか、リーマスにはもう分からなかった。
霧は徐々に、晴れてきていた。