「あなたの彼氏、たくましくて素敵よね。何してる人なの?」
香ばしい麦の香りをさせた彼女は、たった今しがた焼き上がったという小さなバゲットを数個、紙袋へと放りこんだ。
「いつも買いに来てくれるから。温かいうちに食べて」
「どうもありがとう――それで、ええと、たくましい彼ってのは?」
袋へ手を伸ばすなまえの返事を受けると、女主人はさらに溢れんばかりの微笑みを浴びせてきた。ほら、この前ちょうど見ちゃったわけよ、角のシュレッカーのところでさ。その目敏さをもってしても、なまえの隣に並ぶご婦人が迷惑そうに顔を歪めるのには気がつかないらしい。
「ひとつの傘に入って歩いてたでしょ。てっきりデートかと思ったんだけど」
そこで当たりがついたなまえは「ああ」と頷いた。狭くはない街とはいえ、ごく近所のことだ。どこで誰に目撃されているか分かったものではない。
「残念だけど、あれはただのお隣さんですよ」
「なあんだ!彼氏じゃないの。でも可能性ないわけ? 彼ってシングル?」
「さあ……」
「さあって。仲良くないの?」
「良くも悪くも。お互いの職業すら知らないし」
袋を抱えて木枯らしの吹く外へ出ると、底にあてた掌が温かい。その温度が罪悪感を小さく刺激しているような気がして、思わずため息がもれてしまう。
店主にはガラス窓ごしに挨拶を、仏頂面のご婦人へは半笑いを捧げておいた。