※パラレル捏造設定。実際の地名も出てきます。たいへん長くてアーサーが不憫です。
Baby, stay clean
あまりに品のない言葉で、そのくせ聖職者のようなことをべらべら喋る女だと思った。どこまでも平等に他人を愛し、欲に溺れず平静を失わず、常に温かく真摯であるよう生きる、だって?バカじゃねえのか。みな互いに友でありすべからく愛し合うものだ、あなたもそう思うでしょと急に隣から話をふられたので、ギネス10パイント分のアルコールが耳の穴から抜けるところだった。だが次の瞬間には、なんだか、笑いが止まらなくなってしまった。彼女はひとしきり笑いまくる俺をうさんくさそうな目で見たあと、Go straight to hell, baby.――「地獄へ落ちやがれ、ベイビー」と真顔で云った。
ほとんど泣き腫らしたように真っ赤な目尻だった。彼女もまた、ひどく泥酔していたのだ。
「おまえの云うのが正論ならば、俺たちも今この瞬間、お友達だってんだな?きみはぼくがすきで、ぼくもきみがだいすきさ、ダーリン!俺たちゃ仲良しこよしってわけだよ。おまえ、俺を見捨てず突き放さず、どこまでも一緒にいてくれるの?云っとくけど俺はなあ、友達なんか、あんまりたくさんはいねえんだからな!」
ええ、もちろん。彼女は酔っ払いを殺すには十分すぎる声色で答えた。キリング・ミー・ソフトリー。揺れた髪から甘ったるい、たばこの匂いがした。
「すぐにでも。あなたがその気ならだけど」
「俺はいつでも正気だよ」
「だったらもう私たち親友だわね。素敵!」
「互いに愛し合ってるよな」
「そう。心の底から」
「じゃあセックスする?」
「Now, piss off.(今すぐ失せやがれ)」
「Piss off yourself.(おまえがな)」
ところであなた、お名前なんて?となまえに聞かれた頃には、終電の時刻をとっくに廻っていた。
その晩は、ほんとうにセックスはしなかった。
酔って女性を泊めても事に及ばないのは初めてだ、とアーサーが云ったので、心底呆れて「あなたは底なしのクソったれ」と教えてさしあげた。私はカウチによりかかり、キッチンから拝借したスコッチを飲んでいた。古めかしく品のある調度のそろった部屋は、冷たく湿った穴ぐらのようだ。
「男ってのはだな、朝から晩まで紳士じゃいられんのですよ、レディ。おまえのご立派な博愛主義こそどうかと思うぜ」
「そう?すべての人を憎むより生産的じゃないの」
「ヒッピー極論は、学校を卒業したら裏庭にでも埋めちまえ。持ってても買い手はつきゃしねえ」
「ここの庭にある花がおきれいなのは、そういうわけか……」
「云うね。ありゃ買った苗だよ」
酒をちびちびやりながら、短い話が止めどなく続く。パブにいたころよりも酔いは冷めて、会話自体が音楽を奏でるような、いい具合の振動に私は浸り始めていた。アーサーは、一人掛けの椅子に正しい姿勢で掛けながらも、ステラの瓶をだらしなく掲げるという器用なことをやってのけていた。高尚とは呼べないことばかり口走るくせ、上品で不思議な風情がある。首の後ろを気だるげに掻く仕草など、人間のふりをしている生き物みたいだ。
「さっき、あなたさ」
「ん?」
「カウンターの隅で、何か紙に書きつけてたね。文壇人を気取っているみたいで、おかしかったなあ。普通そういうのってちょっと、ださいじゃない?注目してくれって云ってるようなもんだし」
「ああ、あれな。騒がしい場所の方がいいんだよ。静かだと考えごとが多すぎて、考えることすらできないから。書くときは大抵外だ」
「ふうん、書くって何?」
「主に詩だよ。伝統的な風刺詩だって云われるけど、自分じゃそんなつもり全然ない」
私はその自嘲を聞きながら、跳ね上げ式のブックケースを眺めた。ブレイクやポープ、キーツなんかの王道作品に追いやられるように、真新しい背表紙が数冊並んでいる。緑色の革に箔押しされた、金の文字に目がとまった。
「……ねえ。あなたの姓って、カークランド?」
「そうだけど」
「アーサー・カークランド? もしかして、詩人のA・カークランド?あの世界の終わりの方がまだましってほど死にたくなる詩を書く、あのカークランド? 本当に?」
「なんだ、俺のこと知ってんのか」
アーサーは相当に驚いたらしく、ゆらついていた瞼を急に全開にして私を見た。ふいに、瞳の色がきれい、と思う。明るすぎるパブより、こういった暗がりに潜んでいる方が、ときおりパッと閃光のように印象づけるのだ。その美しさを。
先ほどと同じ仕草でありながら、首を掻く彼は、心なしか照れくさそうにも見えた。
「こんなに若い人だったのか。でも、どうしてあなたの方が驚いてんの?」
「……だって、俺の本って、いつも5人くらいしか読んでないから。ファンもストーカーじみたのとか、サイコパスばっかだし」
「まあ確かに、兄はそう云えなくもないな。あなたの詩に完全傾倒してるの。本人にナンパされたって自慢しなきゃ」
「床上手だったってのも加えとけ」
「責任とらないわよ。うちの兄、ゲイっ気あるから」
彼の顔が一瞬、ざっと青ざめた。私が笑いだした拍子にグラスが傾いて、上等のスコッチが着ているセーターにしみ込んでいった。飲みすぎて幸せな気持ちになり、そのまま祈るように目を閉じる。最後に一瞬、美しく背筋を伸ばして座る、天使のような男が見えて終わった。
きっと明日にはもう、私はすっかり死んでいるのだろう。