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 「ずいぶんと、寂しい感じのするところ」そう云って彼女が吐いた息が、ガラス窓にパチリと当たって白く濁る。顔が、鈍く、青白く光っている。寒いのは嫌いではなかったのか、やけに薄着をしているので、見ているこちらの鳥肌までもが立ちそうな気がした。彼女がえっちらおっちら運んでやってきたあの大きな黒いトランクには、セーターの一枚も入っているのだろうかなあ、果たして。
 今回はまた、ずいぶんと暖かな場所へと逃げていたらしい。無造作にテーブルに置かれていた航空チケットの半券を見て、笑ってしまう。何もそんな遠くから、こんなに寒い場所に、それもこんなに寒い時期に帰ってこなくたって、ねえ、なまえ。きみ死んじゃうよ、そんな格好してたら。
 仕方がないので肩掛けでも渡してやろうかと声をかけたら、振り向いた彼女の意識はぼくのすぐ後ろ、戸口の下へと向いてしまった。毛糸の玉みたいにちっちゃな猫が、頼りない足取りで部屋へ入ってくるところだった。

「あら、かわいい子。お名前は何です?」
「さあ」
「さあって」
「ぼくの猫じゃないもの。いつも勝手に入ってきて、勝手に出ていく」

呆れ声を出した彼女は、猫を抱き上げ、暖をとるように腕を巻きつけた。柔らかい毛がむきだしの腕に当たる。毛が曲がる。どこから入るのだか、外は雪だというのに毛の乾いているところを見ると、案外、屋敷の中に住み着いているのかもしれない。

「それに、名前をつけたら飼わなくちゃいけないでしょ」
「そういうものですか」
「餌をあげて寝床を用意して、そうすると最後にはお墓も作ることになる」

ふうん、と彼女は気にも止めない様子で頷いた。人間に抱かれるのに慣れていないせいか、はたまたその人間の体温が低すぎるのか、猫は体をよじっては不安そうに床を見下ろす。もう逃げたがっている。自分から勝手に、震えるほど寒いところ、寂しい感じのするところへやってきたくせに。ばかな子だなあ。よもやここへ、死んでしまいに来たのかしらん。あんなに大きな荷物を持って。そんなに薄っぺらい皮、いちまいきりで。ぼくだったら、どうせなら暖かい日だまりの下で死ぬのがいい。ひまわり畑の上なら、なおのこと。

「場所に捕われるってのはつまりさ、そういうことなのさ」

分かるでしょ、とぼく。

「どこまで行っても自分は自分だし、もう逃げられっこない。それって絶望的に哀しかったりもするけど、結構マシなこともあるんだよ」
「……たとえばどんな?」
「そうだねえ。少なくとも帰るべき場所に、誰かが絶対に待っている保証があるところとか」

なまえが眉を歪め、ぼくを下から睨みつけるように見る。『Like what?』の云い方なんか、無理に矯正した訛りが恐らくうっかり飛び出していて、思わず嬉しくなった。彼女の表情はすっかり青ざめて、瞼も唇も何も、みんな血の通いが滞っているが、それがよく似合うのだ、と思った。暖かい場所は、きみみたいな陰気な肌の子には水が合わないでしょう、花が咲いたりだとか、そういうのぜんぶぜんぶ、台無しにしてしまうものね。ぼくらは。

「だから、寂しくないってのさ」

不自由になった腕から猫がそっと床に下りると、ああ、となまえはため息を吐いた。

おかえりなさい。



それは命取り


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