「最近おまえ、友達できたんだってな。人間の」
テーブルに両肘をつき、へらへらしている男の頭へ封筒を投げる。中身のつまっていない音。ギルベルトは「痛え!」と叫んで突っ伏し、大人しくなった。
「フランシスから聞いたのか?」
「そうだよ。まるで奇跡のようなその存在を信じるか、とさ」
どうせ幻覚だろ、という問いを無視し、鞄からアスピリンの瓶を取りだした。給仕の女性に水を一杯。地味な顔だが、ブラウスの胸元が派手に開かれていて目が行ってしまう。男ってのは実にくだらん、が、あれは分かりやすくてよろしい。こちらも弁明の余地があるというものだから。
同じことを考えていたらしいギルベルトと、同点上で視線がかち合う。こいつのこういう所は嫌いではない。
「べつに、乳はでかくないぞ」
封筒の紐をといているギルベルトの眉が、跳ねあがった。
「……おまえのサイズ基準はどうなってやがる……?」
「ばか、なまえの話だ。飲み屋で先に声をかけてきたのはあっちで、つまり外見が特別好みというわけではなく、むしろ対極なんだが、これは彼女が云うところの盲目的で純粋な愛情というやつなんだな。分かるか?友達だよ。セックスの対象じゃない」
やっと水が運ばれてくる。先ほどの女性への態度がまずかったのか、ニキビ面の青年がグラスを放っていった。表面の汚れが気になるが、錠剤と共に口へ押し込む。ぬるくて不味い。
「今日はまた饒舌だな、先生? 朝から飲んでんのかよ」
「酔ってなんかない。ただ……」
「はは、欲求不満か」
嘲笑まじりの声が、額に当たってテーブルの上へ落ちた。
「仕事に影響するんならいっそ、その宗教女に迫っちまえ。強引に」
「紳士が友達にそんなマネできるか。そりゃ、」
「あ?」
「情欲がないわけじゃあないけどさ、男は。いや女もかな。どうなんだろ」
自分に関して云えば、プリミティブな肉欲を征服するのは不可能だし、その必要もない。しかしなまえはそういったものを潔癖なまでに嫌悪はしていないものの、しらばっくれるのが常だった。一度はずみで試そうとしたら、あまりにも鮮やかに受け流されて、厳かな気持ちにさえなったものだ。
「あいつ、そういう雰囲気を壊すのがうますぎるんだよ。そんですべてを悟ったような、聖母みたいな顔して俺のこと見やがるんだ」
「ああそう……。すでに実行済みですか」
ギルベルトが、憐れむような目をした。己の女々しさなど自認している、だから実際になまえと会っても何をしようでもない、ただ座って話す、それでいいのだ。友達だものな。彼女へ向けて言葉を吐くと、安穏を得られる気がする。腐らせないよう、紙に書きつけて脳から追いだすのと似ているが、それより孤独ではない。そこにいることが重要なのだ。
以前は一人で飲む日が退屈で、泥酔するのにも飽きたら夜じゅう街をうろついて、神に会えたら良いのにと願った。死んだばあちゃんの霊でも構わなかったけれど。
「うちの弟が心配してたぜ。おまえのこと」
「原稿なら、確かに渡した」
「……締め切りにゃ遅れたけどな」
まだ何か、ありがたい忠言を加えたそうにこちらを見ていたが、ギルベルトはコーヒー代を置いて席を立った。去り際、背中を見ないようにやりすごす。いつも、そうせずにいられないのだ。
誰かが去る姿は慣れない。俺も去る側になりたいと思う。