その咎がこの躯を生かすと言うのならば


「また、血のにおい」

少女は眉をしかめて言った。不愉快を顔に張り付けた少女に、一緒にいた少年は困ったように笑んで白い指をとる。彼の手もひどく細く華奢で、少女のそれとほとんど違いはなかったが、少年は彼女の指を大層気に入っていた。指だけではない、暗闇に浮かび上がる意思の強そうな薄紅色の瞳も、漆黒の艶を含んだ長い髪も、桃色に染まった唇も、人付き合いがうまくいかない彼女の性格も、すべてが好ましかった。
少年は少女の手のひらを掬い上げると、桜色の爪に口づける。服従を示すように頭を垂れ、たったひとりの女神に祈りを捧げる。二人は遥か高みに存在する神の姿を認識していたが、二人だけの世界においては確かに少女が神であった。

「そういえば、狼娘が言っていたわね。この街に新入りが来たと」

気だるげに目を細め、長い睫毛の影を頬に落とした少女の言葉に少年は、その狼娘と呼ばれた彼女の姿を脳裏に思い描く。早春に芽を出す若草よりも薄い不思議な髪色をした、二人よりも幼い見た目の小さな牙。古より伝わる巨大な狼の一族の末裔である男が、永遠に近い時を生きることに疲れ、その魂を切り裂いてまで造り出した唯一の家族。本来の魂は狼であるが、器となった短銃に魂が定着してしまい狼の姿に戻ることは叶わなくなったリリネットを狼と認める者は少ない。
少女、ロリは、そんなリリネットを狼娘と呼ぶことが多々あった。言葉の裏に秘められた優しさに、少年は彼女の知らないところでひっそりと微笑むのである。

「この月のような冷たさを纏った、招かねざる客人だと聞いたわ」

招かねざる客人。住人に招かれなければ、その家の門口を越えて建物内に入ることはできない。しかし一度招いてしまえば最後、その化物から逃れることは叶わないと聞いた。詳しい根源は知識の及ばないところだが、死人が墓から這い出たという噂や、得体の知れない致死の病が蔓延したことを吸血鬼の仕業だと謳った話は少なくない。
強大な力を持つがゆえに、古くからの数多いしきたりに縛られている。礼儀正しいが、固い思考を持つ者が多い。…そういうところはどこも似たり寄ったりである。

「血を啜って生命力を獲ているのはわたしも同じ。メノリ、会いに行くわよ」
「ロリはわたしとの呪いのせいで、わたし以外の血は吸えないけどね」

少年…否、少年の格好をしたメノリと呼ばれた少女は苦笑を溢して、先を歩む可憐な背中を追った。






「毎回、すまねえな」

影の濃い路地から顔を覗かせた白蛇に、スタークは申し訳なさを全面に出した情けない表情でそう言った。銀色の細い髪を揺らして、音もなく忍び寄るその姿は正しく白蛇に相応しいが、スタークは彼が淀みなくさらさらと嘘を言うことを知っている。呼吸をするのと同じように嘘をついて、まんまと騙された奴を笑ったあとに絶望を教えるのだ。しかしそれをしてもちっとも愉しそうには見えないのだから、いまいち何を考えているのやら、到底スタークには図りようもないことであった。
客観的事実として言えることは、男が蛇の皮を被った化け狐であること、それだけである。スタークが男の嘘を見抜いた理由は実に単純明快、青年から獣の臭いがしたからに他ならない。
東洋の島国から遥々海を越えて来たという白蛇もとい妖狐は、名を市丸ギンと言った。

「この霧はあんたがやったの?」

手元に収まっていたはずの愛銃はいつの間にやら人がたに戻り、興味深げに男を覗きこんでいた。リリネットは好奇心旺盛で、人見知りもないのでよく他人に可愛がられる。種族の壁のせいか、個人の性格のせいか、スタークに執拗に絡んでくるグリムジョーでさえ、リリネットとは仲良くじゃれあっているものだから、それを最初に見たときは大層驚いたものだ。スタークの知らないところで交遊関係を広めているらしいリリネットは、例外なく市丸とも親しげに会話する。

「きっちり結界張るんは苦手なん、こういう"誤魔化し"は楽でええよ」
「ふーん、いいなあ。あたしも何かできたらいいのに」

普段の絡み付くような異様な雰囲気は成りを潜め、おっとりとした口調で市丸はからからと笑った。外見だけでなく精神もまだ幼いリリネットと会話することによって、自分の中で死んでしまったはずの優しさがじんわりと表面に出てくることは、市丸も自覚済みだ。それはリリネットに、市丸が遠い過去の日に失ってしまった一人の少女を重ねてしまうからに他ならないのだが、そのことを知る者は彼を含めて二人しかいない。記憶に刻まれた少女は、決して今目の前にいるリリネットのように素直ではなかった。年齢や背の丈はちょうど同じぐらいだっただろうが、生まれた環境と時代のせいか、幼いくせに随分と達観した思考を持っていて、諦めたような瞳と儚げな姿ばかりが思い出される。
市丸はぼんやりとした思考に蓋をした。普段は閉じている瞼を持ち上げて、視界で空間の座標を把握する。真っ赤に染まった血色の瞳が銀色の髪の隙間から鋭く光り、指定する場所の情報を得た。するすると薄い唇から滑り出る言葉はこの国のものではない。長く短い詠唱に呼応するように霧はその色を濃くし、やがてその場を飲み込んだ。

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