宣誓の夜に


「リリネット!」

低い声にぱっと顔を上げると、少女はまたねと言って笑んだ。駆け寄っていく後ろ姿を見送り、そういえばグリムジョーはどうしただろうかと存在を思い出す。少女の名前を呼んだスタークという男につい先程まで何やら絡んでいたようだったが、今二人の近くに姿は見えない。大方吹っ飛ばされたか、それでいて気を失ったか、そんなところだろう。前方の二人がまた一人になったところで、俺は男に歩み寄った。

「ああ、悪いな、グリムジョーならあそこだ」

スタークの顎をしゃくるような動作にそちらへ視線を向けると、大きく凹んだ壁の前に俯せに倒れている水色がいた。男の手の中の白い二丁銃がかちゃり、と小さな音をたてる。骨張った大きな手に違和感なく収まっているそれが、リリネットの本来の姿なのだろう。
段々と辺りに広がりはじめた霧にそっと天を仰ぐ。薄くぼやけた紺の空に輪郭の消えた月が浮かんでいる。まるで嫌なものを予感させるような、そんな青白い光が地上の目に見えぬものまで照らし出しているようだ。魔力を含む強い濃霧にくらりと理性が溶けていくのを感じながら、己の舌に緩く歯を立る。

「早いとこ離れた方がいいな…アンタひとりであいつ連れていけるか?」

強い意思のこめられた言葉に首肯するとコートを脱いだ。肌を突き刺すような寒さに気付かぬふりをしてグリムジョーのもとまで歩む。

「寒くないのか?」

煩い。お前は黙って見ていろと内心呟いて、恐らく打撲だらけであろう躯に闇と同化する漆黒の上着を被せてやる。いくら寒さに慣れているからと言って、流石にシャツ一枚では例え話だが凍死してしまいそうだ。人のいない静寂が支配する山奥に引っ込んでいたときは暖を取るためにもと当たり前に曝していた翼も、懐かしいと思えるくらいにはすっかり人型の姿が当たり前の日々になっていた。
翼を出すには少しばかりこつがいる。どうやらこの霧は目くらまし以外にも魔力を吸い取ることが出来るらしいが、簡単に枯渇して倒れてしまうようなレベルではない。弾けとんだカッターシャツがひらりと視界の隅を落ちていくのを見た。
自分の意思で一度大きく翼を動かす。神経の繋がった感触など感じるはずがないのだが、背を覆う黒い羽根の存在を強く感じて酷く安堵した。じっとこちらを見ているのだろう、突き刺さる痛いほどの視線を振り切ってグリムジョーの躯を担ぐとゆるく地を蹴る。脱力した奴の腕が羽ばたいた翼を掠めた。

「失礼する」
「ああ」

吐いた息が顔にかかっても気にならないくらいには、珍しく高揚しているのであろう自分を持て余す。皮膚の一枚下で沸騰したように熱くたぎる赤いそれが、心臓の鼓動を否が応にも高めた。霧の晴れた濃紺にぽっかりと浮かぶ光に目を細め、振り向いた街に巣くうひやりとした空気を肌に感じながら男と少女の魔力をそれとなく探った。他者が妨害するように存在を主張していて、よくわからない。

「っ、」

グリムジョーの低い呻き声に、意識がそちらへつられる。

「目が醒めたか」
「…ああ」

悪ィ。掠れた声が風にさらわれることもなく鼓膜を直接叩いたように、はっきりと聴こえた詫びの一言が胸の奥深くへと堕ちていく。口元がそっと緩んだ。首の後ろに回されたグリムジョーの腕に力が籠もり、従うように首を向ければ額の血を拭う男の姿があった。てっきり呼ばれたと勘違いして拍子抜けする。俺の視線に気付いた空色の瞳と目があうと、グリムジョーは何か用かとばかりに首を傾げた。気恥ずかしい気持ちになって視線を落とすと目についた建物の屋根の上に意味もなく降り立った。妙な気分だ、翼を揺らすそれだけのことさえ落ち着かない。

「貸し一つだ」

するりと腕から抜け出した躯が軽い身のこなしで俺の隣に立つ。左手は力のない手つきで横腹を押さえている。額と同じで、スタークにやられたものだろう。それでもグリムジョーは余裕を浮かべて満悦げにゆったりと笑う。

「何が欲しい?」

唇を掠めた体温に面食らった。口づけというにはあまりに味気ない一瞬に、満たされない何かが不満を漏らす。今に始まったことではないが、この男には内面を随分と振り回されているような気がする。感情的なことに疎いらしい自分には丁度良いのかもしれないが。

「そうだな、取りあえずお前の血が欲しい」
「取りあえずってなんだよ」
「ふん、色々と搾り取ってやるから覚悟しておけ」
「期待しとく」
「…馬鹿が」

舌先で触れ合った口腔からは、ふんわりと血の味がした。

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