short | ナノ
『キヨテルさん、お帰りなさい!ご飯にしますか、お風呂にしますか?』
「それじゃあ、☆さんをいただきます」
新婚ごっこ
ふふっと優しく笑って、いつものように帰宅を迎えた私の頭を撫でる、先生。
一方私は、先生の爆弾発言に驚いて固まっていた。
「いただけませんか?」
さらにスキンシップはエスカレートして、先生の手が私の頬に…
もう片方の手は腰に回された。
『なっ、な…えぇ!?』
「ふふっ、冗談です」
『!!』
チュ、とおでこにキスを落とし、腕から解放された。
それから何事もなかったようにいつもの優しい微笑みを浮かべて、リビングに向かっていった先生。
…おかしい。いつもの先生はこんなこと滅多にしないのに…
(でも、ちょっと嬉しかったことは否定できない。)
「☆さん?」
『はっ!い、今行きます!』
先生の一声が、恥ずかしいような嬉しいような不思議なような感覚で未だに玄関で固まっていた私を正気に戻した。
慌ててリビングに駆けていくと、先生はすでにスーツの上着を脱ぎネクタイを緩め、ソファに腰掛けていた
それはいつもの光景だけれど、いつも私はその姿にドキッとしてしまう。
先生はそんな私の視線に気付いたのかこっちを向き、また微笑んだ。
「ご馳走様でした。今日も美味しかったです」
『あ、ありがとうございます』
ふたりで綺麗にお皿を空にして、キッチンに運ぶ。
全ての食器をシンクに置き終えると、隣で先生が腕捲りをしているのが見えた。
「今日は僕が洗いますよ」
『えっ!い、いいですよそんな!お仕事で疲れてるのに…』
私の曲を歌ってくれながら、なおかつ小学校の教師までしている先生に替わって、家事全般は私がやることになっている。
だから今日も先生にはゆっくり休んでもらおうと思っていた私は、少し焦った。
「じゃあ、一緒に洗いましょう」
それならいいでしょう?と、有無を言わせぬ微笑みを再度向けられたじたじな私を余所に、早速水を流しお皿洗いを始める先生。
私も慌てて腕捲りをして、手伝い始めた。
…それからは特にこれと言って会話はなく、淡々とお皿を洗い続け…られなかった。私は。
何故かというと…先生と凄く密着してしまっているからだ。
この家のキッチンのシンクはそんなに広くない。だから身長差があっても必然的に肩と肩が触れ合うほど近付かなければならない。
それに加えて、お皿を取ろうとするとたまに先生と手が触れ合ってしまう。それが原因だった。
先生がうちに来て大分経つけれど、こればっかりはいつまでたっても慣れずに、いつも顔が真っ赤になってしまうのだった
「あ…☆さん。ほっぺに泡がついてますよ。」
『え…』
「じっとしていてくださいね…
…はい、とれました」
『あ、ありがとうございます』
「どういたしまして」
側にあったタオルで頬を拭いてもらい、また手元に視線を落とそうと思ったら。
チュッ……と、頬の泡がついていた場所に、一瞬柔らかい感触がした。
『……えっ!?』
「真っ赤で美味しそうだったので、つい」
『なっ!!』
何度も言うけれど、普段の先生だったら滅っっ多にこんなことしない。
本当に、どうしたのだろうか…
『せ、先生!今日、な、何か変ですよ!どうしたんですか…!』
「はは…少し調子に乗っちゃいましたね」
先生によると、こうだ。
帰りを迎えたときの[キヨテルさん、お帰りなさい!ご飯にしますか、お風呂にしますか?]の私の一言が、いけなかったらしい。
普段私は先生のことは名前で呼ばず、"先生"と呼んでいる。
私はたしかにボーカロイドとしての氷山キヨテルのマスターだけれど、小学校の教師をしている"キヨテル先生"に慣れてしまったため…だと思う。
さっきうっかり名前を呼んだのは、たまたま直前まで自分がアップした動画を見ていて、"氷山キヨテル"のタグやコメントををたくさん見ていたから。
「それに…ご飯にしますか、お風呂にしますか、それとも私?と言う意味に受け取ってしまったんですよ」
『え、えぇ!!』
「王道じゃないですか」
『どこでそんなこと覚えてくるんですか、先生…』
「おや、もう名前で呼んでくれないんですか?」
『っ……』
嬉しかったんですよ、と言いながら手を拭き、袖を元に戻す先生。私が真っ赤になっているうちにお皿は全て片付いていた。
それに気付きまた慌て始める私を見て、先生はもう一度私の頬に口付けた。
(さて、お風呂にでも入りましょうか)
(あ、沸いてますから、お先にどうぞ)
(せっかくの新婚ごっこですから、一緒に入りましょう)
(えっ!?ま、また…からかわないでくださいよ!!)
(僕は至って本気です。さぁ行きましょう)
(えっ…わぁ!?)
お姫様だっこをされてお風呂に連れ込まれた☆のその後を知る人は誰一人いないのだった