※未来捏造注意



もう三十日を過ぎて二日ばかり過ぎた今日。
壁にかけられた六月分のカレンダーを見て、そういえばまだ六月のままだったわねと私は洗濯物を畳む手を止めて壁の方に近づいた。


ビリッと紫陽花のイラストの描かれたそれを破ると、夏空と向日葵のイラストが添えられた新しいカレンダーが現れる。夏一色のそれを見ていたら、今年の水着はどんなのにしようかしらと、まだ旅行の話すら出ていない海水浴の予定を考えてしまう。
そして破ったばかりのカレンダーを手の内で丸めようとした私だったが、ふと動きを止めた。


それを見つけたのは、カレンダーの真ん中よりちょっと下のあたり。桃色のペンで囲まれた、何の変哲もない一日。だけど、それはとても大切な記念日の印だ。


あれからもう一年が経つのかと、あまり実感の湧かない頭で感慨に浸りながら、私は改めて小さく丸めたそれをゴミ箱に放った。




今から一年ほど前の、初夏の近づいた日のこと。私は結婚という女の幸せを手にした。


結婚は人生の大きな岐路とも呼べる重大イベントとよく言われる。
だが実際、私に大きな岐路を通った記憶はなく、それからのことも別段今までと何かが変わったと思うわけでもなかった。


私の弟や、妹のような少女も、背や髪が伸びたりして外見には多少の変化が訪れたが、内面は今でも私より年下の可愛い子供たちのままである。

それに私と夫婦になった男も、結婚前となんら変化はない。一応ジャンプ主人公の一人なのだから、一年も経てば必殺技の一つでも習得してもおかしくないのだが本当に何もない。死んだ魚のような目と、常に体にまとわりつくダラけた雰囲気は今も全く改善の様子が見られない。
時折私だけに見せてくれるさりげない優しさや弱さも、本当に何も変わっちゃいなかった。



むしろ、変わらなすぎではないかと呆れるくらいである。



洗濯物を畳み終えて居間から廊下へ出れば、結婚前と同じ場所、志村家の縁側でゴロリと寝転ぶ白い背中を私は見つけた。

今は真昼間であるのにもかかわらず働くこともなく廊下に寝転ぶ男のこの姿は、もう何度見ただろうか。そんな男に呆れながら、私は寝転ぶ背中を強く蹴り飛ばす。オイ天パ、真昼間から寝てないで仕事に行けやと。


夫に向かってそれはないんじゃないですかね?
蹴りが入った脇腹を苦しそうに擦りながら、男はそんなふざけたことを抜かした。夫に向かってと男は言うが、真昼間から仕事もせずにゴロゴロしているこの男を夫と認めることは難しい。


はぁと溜息をつきながら、仕事がないなら私の仕事を差し上げますよと、特売品のトイレットペーパーと今晩の夕食の買出しをとびっきりの笑顔で頼んだ。
開きかけた男の口が何か文句を吐き出す前に、私が拳を握った腕を持ち上げるとあら不思議。少しの力しか入っていないはずなのに拳からメキッと音がした。


「何か言いたいことがおありですか?」

「いいえ全くッ!」


行って参ります、と男は若干震えた声と共に玄関へ颯爽と走り出して行った。うん、この感じだって昔と変わっていない。というか一生変わらせる気はない。



ご覧の通り、一年経った今だが私の周りは何も変化がないようである。



では、私自身はどうだろうか。
まだ19なのだから年を取ったとは思えないし思いたくもない。だから外見で変わったのは髪の長さと、あとはこの薬指の指輪くらいだ。

私の薬指で鈍く輝いている銀色はどう見ても安物だけど、あの男に言わせれば給料半年分らしい。結婚する相手を間違えたかしらと思う。

これを付けてから、ナンパなどが減ってくれたが、あのゴリラには結婚や指輪など関係ないようで今でもストーカーは健在だ。ちなみに男の側のストーカーも消える気配はない。人妻ならぬ人夫となった私の夫は彼女にとって逆に燃えるシチュエーションらしいのだ。ゴリラも同じ理由だと言っていた。どうせ燃えるなら本当に燃えてしまえばいいのに。



それと、これは変わっていないことの話になってしまうのだが、私は結婚した今でもキャバ嬢を続けている。あのダメ侍の不安定な給料で安定した生活が送れるとは思えなかったからだ。

だがそこは私も妥協して、道場の借金を返済し終えたら、すぐに寿退社ということで堂々と店を辞めてやると決めていた。

ダメ侍だろうが天パだろうが、相手はどうあれ、私は女の幸せというものを掴んだ。そんな私が店を去るときに向けられるであろう、独り身(ここ強調)の、寂しい(あとここも強調)同僚たちの引き攣った顔を想像するだけで、今も口角が右上がりになる。

ちなみに当たり前のことだが、キャバ嬢が結婚しているというのは店にとってはマズいことなので、仕事の際には必ず指輪を外す。たまに失くしそうになるから、いちいち外すのは本当に面倒だ。

では初めから指輪なんてつけなければいいという話なのだが、そうもいかない。

前に一度だけ、男の前で指輪を外していたとき。そのとき男が見せたあの落胆ぶりというか、落ち込みようと言ったら・・・・・・。この安物を中々外せなくなってしまったのはそのせいだ。ああ、別にノロケてるつもりではない。



あと他に、私にとって何か変わったことってあったかしら。



「坂田さん、・・・坂田さん?」

「え・・・、あっ、はい」


一年経っても全然慣れないその響き。ああ、これだ。

変わってないようでこれが一番変わったこと。「しむら」も「さかた」も同じ三文字だから似たようなものだと私は思うのだけれど、どうやら全く違うらしい。

さかたさん。そう呼ばれるたびに、私の耳がくすぐったくなる。それとなぜか、心をぎゅうぎゅうと押し潰されてしまいそうになるのだ。


もしや本当に病気なのかしらと、身体の不調で訪れた病院の座席で私はしばし不安になった。
だがそれも杞憂だったようで、扉を開けて待っていたのは満面の笑みを浮かべた医者だった。


産婦人科へ行ってみたらどうですか


その台詞に何の意味があるのかなんて、わからない私でもない。そしてすぐに産婦人科へと向かえば、やはり予想通りの答えが返って来た。


よかったですね、坂田さん


その言葉に、また心が締めつけられる。しかも今度はとても強くて痛いくらい。だけどその痛みはとても嬉しいものだった。残念だけど今年の夏は泳げないわねと、ちっとも残念じゃなさそうに私は苦笑した。




家に帰れば、私の鼻を掠めるいい匂い。夕飯の今日は魚料理のようだ。
ただいま、と小さく呟けば、「おかえりー」と台所から顔を覗かせる男。

病院行ってきたのか?
心配そうに眉を落として見せる男を目の前に、少しの不安を抱えながらも私は勇気を出して口を開いた。


あのね、銀さん私、実は・・・・・・






・・・・・・こんな顔、初めて見た。


これも結婚して変わったことに入るのだろうか。
とても強く抱きしめられながら、私はそんなことを思っていた。そして同時に、結婚してよかった、とも。


愛してる、なんて。男が滅多に言ってくれない台詞も聞くことができたから今日はとても気分がいい。さらにありがとうなんて付け加えられて、今日何度目かのむず痒さを私は味わった。




今はまだ、何も変わっていないように思えるけれど。
きっとこれからは、今日みたいなことを重ねて少しずつゆっくりと、私たちは変わっていくのかもしれない。



来年の水着はどんなのにしようかしら。家族が増えて同時に騒がしさも増すであろう来年の夏を思い浮かべながら、私はそっとおなかに手を当てた。





【変化の兆し】





それでも私の隣にいるあなたの位置は
ずっと変わらないけど
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