アパートから数メートルの距離にあるゴミ捨て場に行くのに、所要時間にしてほんの二分。わざわざ鍵をかけようと思ったことは一度もない。しかし、今しがたゴミ出しを終えて部屋へ戻ってきたばかりの神楽は、今度からちゃんと戸締りしようと強く心に誓うのだった。

「なにやってるアルか」
「爪切り」

 それは見ればわかる!という神楽の声を、沖田はきれいに無視して爪切りに没頭している。
 勝手知ったるや人の家。新聞紙を敷いた床にあぐらをかく沖田。その手元で、ぱちんぱちんと軽快な音が鳴る。

「なんで私の部屋で爪切りしてんのかって聞いてんのヨ」
「さっき見たら爪伸びてんのが気になって」
「答えになってねーぞコラ!」

 踵を履きつぶしたサンダルをぽいぽいっと玄関に脱ぎ捨てた。大股で沖田に詰め寄った神楽が険しい顔をつくって凄んでみせるが、どうやら効果は望み薄の様子だ。涼しい顔した沖田は己の爪ばかり見ている。

「部屋んなか探してみたんだが見つかんねェし、ちょうどお前が部屋から出てくのがわかったんで。お前の爪切りをお借りした次第でさァ」

 しれっとした顔で説明する沖田は、手から足の爪を切る作業に取りかかろうとしている。手元が狂って深爪になっちまえ。神楽はそう切実に願った。

「じゃあそれ貸してやるからさっさと出てけヨ」
「バカ、俺の部屋でやったら掃除が面倒だろィ」
「バカはお前アル!」

 掃除という言葉にハッとして、神楽は床へと目を動かす。見たかぎり新聞紙からはみ出た爪の欠片は見当たらない。もしも見落としがあったら嫌だなと思う。他人の爪など、あとで見つけたら絶対ゲンナリする。「あーもうっ」と神楽が声を張り上げた。

「そのうち不法侵入で訴えてやるから覚悟しとくがヨロシ」
「その言葉バットで打ち返して逆転ホームランでさァ」

 ちょっとは我が身を振り返ってから話したらどうなんだ。沖田にそう言われてから、自分には前科が多すぎることに神楽は気づく。下手をすればこちらが務所行きである。たしかに逆転ホームランだ。神楽が今まで沖田の部屋からポテトチップスやアイスを物色したことは数えきれないのだった。
 きゅっと口を結んだまま何も言えなくなった神楽を、沖田は機嫌よさそうに見やって、また爪切りの作業に戻っていった。

「それより、俺の爪切りどこ行ったんだろーな」
「私が知るわけないアル」
「このまんま見つかんねーなら、午後から大学行ったとき買って来ねえと」

 面倒くさい、と左足の爪をパチンと切り落としながら呟く。
 爪切りくらい不法侵入さえしなきゃ普通に貸すのに。神楽がそれを言ってやると、沖田は片手を振って提案をつっぱねた。

「いや、俺の場合二、三日ぐらいで切るから。借りるくらいなら買ったほうが楽なんでィ」
「なんか意外ネ。お前って、結構な長さになるまで爪は伸ばしっぱなしのイメージだったヨ」
「オメーと一緒にすんな」
「失礼なこと言うんじゃねーヨ。私だってちゃんと切ってるアル。毎日深爪ネ」
「それはそれでどうかと思う」

 ぱっちん、ぱっちん。ほどなくして、小気味の良いそれがようやく途絶える。両手両足をさっぱりさせた沖田が、くしゃりくしゃに丸めた新聞紙を抱えて立ち上がる。
 さあ帰れと神楽が視線で促すけれど、そこに待ったの声がかかる。沖田が怪訝な声を上げた。

「……つーか、」
「お?」
「この爪切り、俺んちのじゃね」
「たまたまお前のやつと形が同じなだけかもしんないヨ」
「いや、これ絶対そうだろ。どうりで見たことあると思った」

 黄緑色の爪切りをまじまじと眺めて、借りパクじゃん、と沖田がぼやく。

「おうおう、証拠もないのに言いがかりつけんじゃないアル。アンタがそんな子とは思わなかった。私はそんなひどい子に育てた覚えはありません」
「なんで急にかーちゃん口調」
「いいヨ、そんなに爪切りが欲しいなら持ってけドロボー!」
「泥棒っつかこれ俺のでさァ」
「いいもん、今度から私がお前の部屋で爪切りするもん」
「それ根本的に解決してねーだろィ。買えよ、爪切りのひとつくらい」

 これは私のだ。いいや俺のだ。そうして話し合いが始まったが、二人共しっかり爪切りの所有権を証明できなかったので、持ち主の件はうやむやに片づけられてしまった。
 自分のかもしれない爪切りがあるのに、新しいものなんか買えるか!という貧乏性と意地を互いに発揮して、黄緑色の爪切りは沖田が預かるところとなり、神楽が週一で使うというルールが後日できあがった。



(20130912)

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