「どちらが似合うと思います?」 居間に続く和室の奥から、妙がヒョッコリと姿を覗かせた。 その右腕にダラリと垂れ下がるのは黒の浴衣。もう片方の腕にも、同じく桃色の浴衣が細っこい腕に抱えられている。 そして小首を傾げた妙の視線は、間違いなく、居間に鎮座して茶を啜る銀時に向いていた。 (…どっち、と言われましても。) 銀時の眉根が眉間寄りになる。その質問に答えるのは、昨日万事屋に舞い込んできた溝掃除の仕事より幾倍も面倒くさそうだ。だがそんな銀時の心情はお構いなしと言った調子で、妙は両腕を大きく掲げてみせる。二枚の浴衣がヒラリと揺れた。 「最終的に二枚までに絞ったんですけど。決められなくて」 「銀さんはどう思います?」と妙から話が振られ、振られたからには仕方あるまいと、銀時は目線を妙から二枚の浴衣へと移す。 荒々しく毛筆された白椿の模様が踊る黒と、梅の花の繊細な刺繍が咲き乱れる桃色。 対照的な二枚の浴衣を二、三度睨みつけるように眺め、最後に妙の顔を見やって、 「ど、」 「どっちでもいい。なんて無責任なことを言ったら投げ飛ばしますから」 にっこり、綺麗に整った顔が眩い笑顔をつくる。しかしその隙間から漏れ出してくる黒いオーラに、銀時は口を噤んだ。 (じゃあ、どうしろってんだ) 実際のところ、二つの浴衣のどちらが妙に似合うかなんて、銀時には愚問だった。 「お前が着るならどれも似合うだろうよ」などと、真顔で本心を言ってやれば良かったのかもしれない。 しかし生憎そんな小っ恥ずかしい台詞を言うキャラや度胸は、今の銀時は持ち合わせてはいなかった。 「つーか、そもそも一体なに。浴衣なんて選ばせて何すんのお前」 「銀さんは、今晩のスナックすまいるが特別休業だってこと知ってますよね」 そんなこと言ってたっけと頭を傾げる。今日あたり店に行ってみようかと考えていた銀時にしてみれば、少し残念な知らせだった。 「今日は貸し切りでお得意様を集めた浴衣パーティを開催するんです。本当はコレ、参加者以外の人には内緒なんですけどね」 「へぇ・・・って、アレ?俺、呼ばれてないけど?」 「あら、聞こえなかったんですか?これはお得意様限定なんです」 あなたの耳は飾りですかと言わんばかりに声を大きめにされた。そして最後の辺りは特に強調。 「イヤイヤ、だから俺、お得意様じゃね?」 流石に毎日ではないが、結構な頻度で通っている自分はお得意様のカテゴリに分類されてもいいんじゃないでしょーかね、と。銀時は反論を試みようとした。 だがそこで、スナックすまいる、別名ぼったくりバーと称されるあの店で「お得意様」という単語は、単に常連を指す言葉ではないことに気付く。 (はいはい、どうせ俺はドンペリのドンペリ割りなんて頼めませんよ。) 「ですから今晩は、ホステス全員が浴衣を着た接待をするんです。 店が用意する浴衣の数が足りなかったので、私は家にあるからって他の娘に譲ったんですけど・・・。実は今日の今まで、そのことを忘れていたんですよ」 思い出したときには、あと数時間でパーティは始まってしまう時刻。まあ大変どうしましょう。 そんな最中に銀時がやってきたというワケらしい。この時間に来訪した自分を恨む。 「さあさあ、銀さん。理由に納得できたなら、早く決めてくださいな。私は急いでいるんです」 「決めるってなんで俺が」 自分の人生は自分で決める。それがこの女のやり方ではなかったか。 「だって。私の趣向と親父たちの趣向は違うでしょう」 「その言い方だと、まるで俺も親父の仲間だと言ってるみたいだな」 「あら、違うんですか」 「いやいや、俺はまだ全然親父じゃないからね?まだ二十代だから」 「心は随分と親父じゃないですか」 「俺の心はいつだって少年のつもりですー」 などと言葉を交わしながら、銀時が浴衣を選んでやろうとしたときだ。 お得意様という単語に、ふと思い当たる。 お得意様。妙はそう言うが、それはただの仮の名前で、好意を寄せるキャバ嬢のために足繁く通うエロ親父どものことを指す。あくまでこれは銀時一人の偏見だが。 ぐっと、先程よりも強く、銀時の眉根が眉間に寄せられる。 (今日はそのエロ親父どもが、店に群がるってことだよなぁ。) 「……そっち」 「こっちですか?」 銀時が選んだのは、妙の右腕にぶら下がる、黒の浴衣だった。 妙はしばらくの間、銀時の顔と黒の浴衣を交互に繰り返し見ていたが、やがて、「わかりました」と言って微笑を浮かべた妙が「こっちですね」と、小さく頷いて腕を持ち上げた。 だがしかし、実際に持ち上がったのは銀時が指差した右腕、・・・ではなく左腕。桃色の浴衣だ。 その様子に、「オイ」と銀時は異議を唱える。 「おーいオネーサン、今の俺の話ちゃんと聞いてました?」 「ええ、聞いていました」 「俺は黒を選んだよな」 「ええ、だからこっち」 妙はにこやかに笑って、桃色の浴衣をさらに持ち上げる。 アレ?日本語ってこんなに難しかったっけ? 再び痛くなるこめかみに頭を痛めた、そのとき。 クスクスと小さく笑う気配がして、銀時が視線を向ければ可笑しそうに笑いを堪える妙がいた。何を笑っているんだこのオネーサンは。 「銀さんは、嘘をついたでしょう」 「っは、」 「銀さん、本当はこっちが私に似合うと思ってるわ」 ふふっと堪え切れなかったような笑いが、妙の唇に押し当てられた手のひらから零れる。 その言葉に、銀時は目を見開いた。 今の妙の言葉は、真実だ。驚く銀時の前で、全てを見透かしたような妙の大きな瞳が睨むように見た。 「嫉妬深い男は嫌われますよ?」 「……お前ね、」 わかってんなら大人しく着てくれねェかな、そっちの黒い方をさ。 そう吐き出したら、もっと笑われた。なんだよチクショーと銀時はガシガシと銀髪を掻く。 悪い虫はできるだけ寄りついてほしくないんだよ、俺は。 ちなみにこれはどうでもいい余談だが。 男からすれば、桃色より黒の方が近寄りがたいイメージがあると思う。だから、こそ。 「確認しますけど。ねえ銀さん、あなた本当はこっちが似合うと思っているんでしょう?」 「え、あー…うん、まあ」 たしかに黒も似合うだろう。大人っぽいとよく言われる妙のことだから。 しかし銀時としては、18の彼女にはやはり華やかな色が似合うと思う。 でも、やっぱり桃色ってのは親父たちの脳内色みたいなもので。着たらどうなるかなんて、銀時は想像したくもなかった。 着てほしいけど、着てほしくない。 複雑な心情を込めた、そんな曖昧な返事をしてやれば、 「でも銀さんがこっちだと言うんなら、私は断然こっちを選びます」 そう言って、妙は桃色の浴衣を鼻先にまで手繰り寄せると、嬉しそうにぎゅーっと顔を埋めた。 ああ、クソ。そんなことをされたら、何も言えなくなってしまう。 オマケに今の銀時の頭の中では、既に今晩のことが展開されつつある。 桃色の浴衣を着た妙を迎えに来て、原付の後ろに乗っけて夜の歌舞伎町を鼻歌混じりに駆け抜ける楽しみばかりが胸に溢れているのだ。残念な脳みそだなと我ながら思う。 結局のところ、銀時は桃色の浴衣姿の妙が見たかった。妙には最初からお見通しだったようだ。だから今日の晩に迎えにきたときは、下手な駆け引きなんかはもう止めて、素直に浴衣姿を褒めてやろう。なんとなくむず痒くなった頭を軽く掻きながら、銀時はそんなことを思う。 下手な駆け引き '100803 title 銀妙好きに15のお題。 |