スナックすまいるのキャバ嬢である私が、いつも贔屓にしてくださっている(貢いでいるともいう)お客さまから桜御を貰ったのは昨晩のことだ。
貰った桜餅は重箱二段の詰め合わせで、私たち姉弟二人で食べきるには少し無理がある数。
このままじゃ食べきる前に腐っちゃうわね、どうしましょうと悩んだ末に思いついたのがお裾分けという手段である。
なんとまあ好都合なことだろうか。
ちょうど近場に、糖分好きの男と大食漢とも恐れられる少女がいてくれた。


***


「・・・どうしたんですか、その格好」

お裾分けにやってきた万事屋の玄関の戸に一声かけて扉を開いたところで、今から出かける様子の銀さんと鉢合わせした。そこで私の目が大きく見開かされたのは、銀さんのその格好だ。

「何って・・・、弁護士だけど」

いつもはライダージャケットの上に半分脱いだ着流しという独特のファッションスタイルの彼だったが、今日の彼は紫の背広を着こんでいる。あと眼鏡。

「どうして弁護士なんです?」
「長谷川さんがちょっとヘマやらかしてな」
「まあまあ長谷川さんが・・・」

いつかはやると思ってましたけど。そう私が口を開くと、銀さんはいやいや違うからね、と言う。

「長谷川さんのは冤罪だって。第一犯罪とかできない人だろ、あの人。マジでダッセェくらいヘタレなオッサンだからね、あのマダオ。・・・ていうか、どうしたの。それ」
「ああ、お裾分けですよ。お店の方から貰ったんです、桜餅」
「おう、サンキュー。・・・あ、でも俺今から出かけるから、冷蔵庫入れといてくんない?」
「はい、わかりました」
「悪ィな」

いえいえ、と私が返事をするのと共に、革靴を履き終えた銀さんが「どっこいしょ」と年寄り臭い掛け声を上げて玄関から立ち上がる。あれ、なにかしら。今更だけど、今日の銀さん、なんか。

「・・・・・・」
「何、どうしたの。黙っちゃって。・・・あァ〜、ひょっとして。今の俺に見惚れちゃってたとかァ?」
「はぁ」
「え、ちょ・・・っ!無言で溜息とか止めてくんない!?なんか恥ずかしい!」

ごめんなさい調子に乗ってすんまっせーん忘れてください!
少しだけ赤くなった顔を両手で覆って叫ぶ銀さん。その横で私はナルシストも大概にしてくださいなと冷たく微笑んでみせる。
本音を言うなら、私は本当に見惚れていたのだけれど。
でも実際そんなこと、私の口は言ってはくれない。出てくるのは、そう、こんな。

「まあ、良いんじゃないかしら。いつもの和洋折衷ごちゃ混ぜの奇妙な格好よりは大分マシに見えますよ」
「オイそれ酷くねェ!?ていうかお前、普段の俺の格好にそんな感想抱いてたの!?」

素直に「格好いいですよ」と言えない私に苛つく。こういうところが可愛くないな、とちゃんと自分でもわかっている、でも、こればっかりは仕方ない。

「そういえば、銀さんって弁護士の資格なんて持ってましたっけ」
「細かいこたぁ気にすんじゃねーよ」

細かいことかしら、これ。さらに追求しようとする私から逃れるように、銀さんは靴を玄関外へと運ばせようとする。
そのとき、私ではないソプラノの声が玄関に響き、彼の足は止められた。

「あ、アネゴ!」

振り返れば、私を見てパァと表情を輝かせる神楽ちゃんがいた。
もう昼だと言うのに、ペタペタと裸足で廊下を歩いてくる彼女は寝間着のままだ。もうちょっと歳が上がるまでにこの癖は直さなければ。お嫁にいけなくなってしまう。

「こんにちは神楽ちゃん。職場で桜餅を頂いたから、お裾分けに来たのよ」
「むおぅマジでか!私大好物ヨ、桜餅!」

桜餅の入った重箱を私が手渡せば、両手にそれを抱きしめて神楽ちゃんは満面の笑みでニシシと笑って見せた。俺の分残しとけよーと銀さんが呼びかけるけど、たぶんあの様子だと聞いていないだろう。

「そんじゃあ、いっちょ行ってくらァ」

行ってらっしゃいヨ、神楽ちゃんが重箱両手に笑みを広げる。それを恨めしそうに見る銀さんに、私も同じようにいってらっしゃいと口を開こうとした。
だがそのとき私はあることに気付いて、「あ、待って銀さん」彼を引き止めた。

「銀さんちょっと、ネクタイ。ネクタイ曲がってますよ」
「おお、・・って、あァ・・・?」

曲がったネクタイを直そうとする銀さんだが、上手くいかないようだ。もう一度引き抜いて、最初からやろうとするけれどどうにも綺麗にいかない。普段は器用な人なのに。慣れてないのか。そんな事を思いながら、私は銀さんに近づいた。

「何やってるんですか。ほら、こうですよ」
「・・ん、どうも」

ネクタイを奪い取って、銀さんの胸元でネクタイを結ぶ。自然に私は少し背伸びをすることになった。
意外に、この人は身長があるのだと気づかされる。

「そういや、お前。もう昼飯食べた?」
「・・・いえ、まだ」
「ならちょうどいいや。神楽に台所に炒飯作っといたんだけど、ちょっと作りすぎちまったんだ。よかったらお前も食べてけ」
「まあ、ありがとうございます」

キュッとネクタイを締めたら、完了。うん、我ながら良い出来だ。
そのとき「ほわぁ・・・」と何かに感激するような声が聞こえて、私と銀さんがその声のした方を見やると、重箱を抱えたままキラキラした瞳をした神楽ちゃんがいた。

「どうしたの、神楽ちゃん」
「今の、新婚さんみたいだったヨ」
「はぁ?」
「今の銀ちゃんとアネゴ、新婚さんみたいだったネ!」
「「は・・・っ!?」」

ああ、そういえば。思い返せば、まあたしかにそんな感じだったような気がしないでもない。
ネクタイ締めて、料理の会話とか。
でも、私たちは新婚じゃない。そもそも私たちは、恋人とかそんな関係じゃない。
困り果てた私が銀さんの方へ視線を向ければ、ちょうど同じくして視線を向けた彼と視線がバッチリ合ってしまって。
ぶんっと風を切って二人同時に顔を背けたのがわかった。神楽ちゃんの意地悪い笑い声が響く。

「今日は赤飯ヨ、新八に殴られて銀ちゃん死んじゃうかもしれないネ」
「うるせーバーカどっか行けバーカ」

横で銀さんがシッシと手を振る。でも神楽ちゃんは全く懲りたような顔はせず「はいはい邪魔者は退散ヨー」と言いながら奥の方へと消えていった。
そしてその場に残ったのは、私と銀さん。
なんとなく気まずい。
そういえば、さっきの銀さんの反応。あれは、期待してもいいのだろうか。てっきり私の片思いだと思っていた。
しかし今確認するのは嫌だった。雰囲気に流されるようで。
それに、顔がまだ熱い。

「・・・じ、じゃあ私、神楽ちゃんと一緒にお昼ご飯頂いてきますね」

早くこの場から去ってしまおうと決めた私は、素早く草履を脱いで銀さんから背を向けると廊下を歩き出した。
だが後ろから聞こえた、「おい待てよ」という声に私の足は引き止められた。
振り返れば、どこかニヤニヤ顔をした銀さんがそこにいた。

「行ってらっしゃいのチューはないんですかァ、奥さァん」
「な・・・ッ!!」

絶句だった。
先程も言ったとおり、私たちは新婚じゃないし夫婦でもない。そもそも付き合ってすらいない。
そしてニヤニヤとした笑うその様子からも読み取れる通り、これがただの悪ふざけだということはすぐわかる、わかるのだが。

「奥さん」という単語に嫌でも反応して、先ほどよりも強くかあっと熱くなる頬。ああ苛立たしい(なによ、余裕ぶって)(あなただってさっきまで私と一緒に赤面してたくせに)。
「わァ真っ赤になっちゃって可愛い〜」なんて、からかってくる目の前の男に、私の堪忍袋の緒はブチ切れた。
思い切り殴ってやることもできたけど、それじゃつまらない。あちらがそうくるのならば、こちらも目には目を歯には歯をでいかせてもらう。

「あら、そうでしたね。忘れてました」

にっこりと微笑んだ私は、折角結んでやったネクタイを乱暴に引っ張った。
ぐらりと揺れてこちらに傾いてくるスーツの男。その顔は「へ?」という何とも間抜けな顔だった。
そして一気に近づいてきたその顔に、私はぐいっと唇を押し付けた。
つまり本当に、言ってらっしゃいのチューという代物をしてやったのだ。
頬にだったが。
目を点にして、唇の触れたところを手で覆う銀さん。えっおま何して・・・と焦る彼が面白い。そこでようやく私はフフンと勝ち誇った笑みを浮かべることができた。

「行ってらっしゃい、あなた。しっかり稼いでくるんですよ?」
「・・・へいよ、奥さん」

帰ってきたら覚えとけよこんにゃろー。
どこぞの悪役のような台詞を吐いた銀さんは、素早く玄関を出て行った。
赤くなった顔を片腕で隠しながら言われても全然怖くありませんけど。



kiss,kiss,kiss!! '10711

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