沖田の通う高校の近くには小さな公園がある。手入れの行き届いていない芝生と錆び付いた遊具しかない小さな公園だった。粗雑に植えられた落葉樹に囲まれた公園は、沖田がいつ訪れても人っ気ひとつない。
 ところどころ塗装が剥げた水色のブランコの脇に、いっとう背の高い木が植わってある。放課後や塾の合間に時間を見つけてはその木の下で本を読む。それが沖田の密かな楽しみになっている。このことは知り合いの誰にも言っていないし、言うつもりもない。
 そんなことを知られた日には、(特に土方や山崎あたりには)似合わないと馬鹿にされるのが関の山だからだ。


 その日の放課後も沖田はいつものように公園を訪れた。汚れることを気にせず鞄を地面に放り出し、冷たい木の肌に背中をぺたりとくっつけた。辺りを無音が支配するこの空間が心地よい。学校の図書室よりこっちの方がよっぽど快適だ。
木漏れ日が漏れる木の下に胡座をかき、沖田は文庫本を広げた。そこまではいつも通りだった。
 ギシリ、ギシリ。
 沖田の耳が、木の枝が軋む音を拾い上げる。何の気なしに本から視線を外し、頭上を見上げた。
 空に向かって手を伸ばすような、いくつもの伸びる太枝。その端っこで、こげ茶色の革靴が揺れている。
 ぎょっとして沖田の目が革靴を追うと、高校指定の膝下スカート(今時珍しい)とセーラー服。次いで、オレンジ色の髪を風になびかせ、枝の上に立つ少女が視界に飛び込んできた。

「おうい、アンタ、何やってんでさァ」

 声をかけると、少女はハッと弾かれたように沖田を見下ろしてきた。眉をへの字に垂らし、ひどく困惑した様子で少女が口を開く。

「い、いぬ!」
「はあァ?」

 たった二文字じゃ何が言いたいのかわかんねえだろう。沖田は顔をしかめた。そんな矢先、少女の両腕にまっしろな子犬が抱えられているのが見えて、ああと理解する。少女は子犬を助けようとして木に登ったらしかった。それで自分も下りれなくなったとかそんなところだろう。

「じゃあソイツ落としなせィ、俺がキャッチしてやらァ」

 わかったアル! 妙な訛りのある返事があったあと、慎重な手つきで少女から子犬が落とされた。難なくキャッチして、掴んだぞと少女に報告しようと沖田は頭を上げた。

「ちょっ、待て…!」

 沖田が再度見上げた先、枝からひょいとジャンプしてくる少女の姿。なんでアンタまで落ちてくるんでさァ! 内心で叫びながら、沖田は慌てて子犬を放り出して両手を伸ばした。


 近距離で見た少女の顔はやけに丹精なつくりだった。肌が恐ろしく白い。少女の橙色の髪が沖田の顎を撫でた。かゆい、と率直な感想が声に出る。それを契機に、沖田の腕の中にいた少女が、伏せていたまぶたをそうっと開いた。
 沖田を見つめてパチパチと瞬きを繰り返す青い瞳に、どき、り。なんというか、まるで天使が降ってきたみたいだった。

(天使、だなんて。うわ、柄にもねェ)

 沖田は地面に落としてしまった文庫本の表紙をちらりと見た。中ほどまでしか読み進めていないが、人間の主人公と天使の少女のストーリーだということが判明している。あー成る程これの影響かと、沖田は一人で納得する。

「おーい大丈夫か…って、あァ?」

 一応しっかりと受け止めてやったつもりだが、怪我はないかと確認しようとしたところで、沖田は異変に気づく。こいつ、笑ってやがる。沖田の腕の中に納まった少女はぷうっと頬を膨らませて、必死に笑いを堪えていた。

「なに笑ってやがんでィ」
「ふっ、だって…、ふふ、天使なんて、ふくくっ! お前って、ひょっとしてロマンティストさんアルか?」

 少女の言葉に沖田は目をカッと強く見開いた。心の中だけで呟いたはずだったのに。どういうわけか、外に漏れていたらしい。うわ、恥ずかし。一気に熱が集まっていくのを自覚して、沖田は慌てて顔を片手で覆った。
 沖田の狼狽っぷりが可笑しかったのか、少女はゲラゲラと笑う声を大きくした。地面だろうが構わずゴロンと背中から倒れて笑い転げる少女の姿に、天使の面影は沖田の目には重ならない。

「ふははっ! ははっ!」
「おい。笑ってんじゃねえや、ちょいと撤回させろィ」

 転がっているせいでスカートの中が見えてしまってるのを注意するべきか。笑われた仕返しに眺め続けてやるべきか。それを悩みつつ、沖田は少女に向かって指を突きつけた。

「俺の勘違いだった。アンタは天使なんかじゃありやせん。天使はゲラゲラ腹抱えて笑わねェだろうし、あんなに重くない」
「お、おも…っ!」

 笑い声が止み、大口を開けた少女の唇がパクパクと上下する。同時にこめかみがピクピクと痙攣を引き起こす。キッと少女の目尻が釣り上がる。笑ったり怒ったり忙しい奴だ、沖田はまるで他人事のように眺める。ポーカーフェイスだと言われる自分とは全く違う。

「乙女に向かって重いってワードは禁句ネ! 小さい頃にマミーに習わなかったアルか!」
「あァ? お前の言う乙女ってのは一体どこにいるんですかィ。生憎俺には、目の前に一匹いるマウンテンゴリラしか見えねえや」
「おーし、お前が私に喧嘩を売ってることはよく分かったネ。受けて立ってやるヨ、さあ表に出るがヨロシ、ロマンチスト野郎。この神楽様とタイマン張る気なんて良い度胸アルなゴラァ!」

 自分のことを乙女と言い張る癖に、タイマンなんて言葉を使ったり制服の袖を腕まくりするそれは到底乙女の所業ではないんじゃないか。つーか、表出ろってココ表じゃねえか。
 そしてロマンチスト野郎って誰のことだと思案して、数秒遅れて自分のことかと沖田は気付く。どうやらあの天使発言のせいで、少女の中の沖田には変なアダ名がついてしまったらしい。
 色々と考えたりツッコミたいことは山々だったが、沖田が引っ掛かったのはある単語だった。
 少女は自分のことを神楽様と言った。かぐら。カグラ。恐らく、それが彼女の名前らしい。

「神楽」

 試しに声に出してみると、「は?」呼ばれた神楽はポカンとした反応。あれ、名前じゃなかったのか。首を傾げる沖田に、神楽が「な、ななな、なんで!」と声を上げる。

「お前、なんでっ! なんで私の名前知ってるアルか!」

 なんでって今お前が言ったからだろうが。それをツッコむ余裕も無く、沖田は噴き出してしまった。まるで宇宙人とかエスパーを見るように大きく見開いた目で神楽が沖田を見てくるのが、我慢できなかったのだ。



天使と邂逅 '110528
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -