神楽が連れて来られた先は、かぶき町の小さな靴店などではなく大型の量販店だった。種類は多いほうがいいだろ、という沖田の意見に神楽も賛成したが、問題はそのあとだった。
「おら、好きなの選んで来い」
なんとも無責任なことを言い残して、背を向けた沖田はどっかへ行こうとした。神楽は慌てて隊服の裾をつかんで引き留めてやる。
「そうだよな、お前はそういう奴だったアル」
「なんで呆れてんだ」
わけわかんねえという顔を浮かべている沖田に、神楽はため息混じりに言った。
「普通こういうのは、一緒になって選んでくれるもんヨ」
「あーひょっとしてアレか、俺の好みのやつが欲しいとかそういう、」
「違うアル」
「けっこう可愛いとこあんじゃねーかィ」
「だから違うって言ってるアル!」
いいからさっさと行くぞと隊服を引っ張ると、伸びる伸びる、と苦情を言いながら沖田が神楽の横を歩き始めた。その顔は非常に面倒くさそうな顔をしている。だが一緒に靴を選んでくれる気になったらしく、神楽が手を離しても沖田はもうどこかへ行こうとしなかった。
さすがに大型店だけあって、フロアは大量の靴に埋め尽くされて選び放題だ。とはいえ、色とりどりの靴が所せましと並んだ空間から一足を選び出そうとすると、神楽はなんだか途方に暮れたような気分になってしまう。だからこうして隣に沖田が居てくれるのは神楽にとって心強い。
いろいろ見て回っていると、神楽が今履いているのと似たような靴を見つけた。色が綺麗だったので、傘を持ち運ぶ手とは別の手でそれを手に取ってみる。
「なんかあった?」
隣の棚をぼんやり眺めていた沖田が神楽の手元を覗き込んでくる。
「おい。なんで今履いてるのと同じの選んでんだ。バカなのか、チャイナはバカなんかィ」
「バカって言うほうがバカアル。ていうか、同じ靴じゃないアル」
「形がクリソツじゃねェか」
「底に鉄板入ってないネ」
「判断基準そこか」
神楽の言い分が気に入らなかったらしく、沖田は険しい顔をして言った。
「とにかく、今履いてんのと違うの選べ」
なんて偉そうな口ぶりをするんだ、ていうかお前が好きなのを選べと言ったんだろうと恨みがましく沖田を睨みつけてやるが、靴の代金が沖田持ちであることを思い出して、神楽はしぶしぶと靴を元あった場所に戻した。
沖田からは「違うのを選べ」と言われてしまったが、神楽には難しい相談だ。なんせ同じ靴しか履いてこなかったので、自分に似合うほかの靴のイメージが湧かないのだ。
なんとなく目に留まった真っ赤なハイヒールを神楽が手に取ると、やはり横から沖田が要らない口を出してくる。
「そんなん止めとけって。靴擦れするに決まってらァ」
「履いてるうちに慣れるアル」
「つか、ハイヒール履く奴にゃもっとこう色気がねえと」
「はー!?」
あんまりの発言に神楽が面食らうが、沖田は何食わぬ顔でほかの靴を物色している。「コイツに一緒に靴を選べなんて言ったバカは誰だっけ」と考えてから「あっ私だったアル」と二秒で思い出して、神楽はつくづくと後悔した。
それからも神楽が手に取った靴に対して、いちいち沖田が文句つけるせいで、靴は一向に決まらない。ああでもないこうでもないと二人で言い合いをして、神楽は疲れてしまった。
「文句ばっか言うんだったらお前が選べばいいアル」
そしたらどうせ面倒くさいとか言うんだろうと予想できていたが、神楽はあえて声に出した。すると沖田はキョトンとした顔になったあと、「サイズは?」と神楽に尋ねてきた。まさか本当に選ぶ気なのか、と驚きながらもサイズを告げる。
「待ってろ」
言い捨てるようにして沖田が行ってしまうので、お言葉に甘えて神楽は近くに置いてあった丸椅子に腰かけて待つことにした。真選組の制服は目立つ上に、それが女性用の靴コーナーにあると人目を引くが、気にせず売り場をウロウロしている沖田の姿が見えて、あいつスゲーな、と神楽はよくわからない感心をしてしまった。
しばらくして神楽の元に戻って来た沖田は、めぼしい靴をいくつか見繕ってきたようで、片方だけの靴を両手にひとまとめにしている。
「とりあえず全部履いてみろィ」
靴を抱えた両手を持ち上げてみせるので、神楽は手を差し出した。だが、靴はいつまでたっても沖田から手渡されない。
「……履くんじゃないアルか?」
「テメーは座ってろ」
その場にしゃがみ込んだ沖田は手持ちの靴を床に並べると、椅子に座っている神楽を見上げてくる。
「足出せ。履かせてやっから」
「いいヨ。自分でできるネ」
「いいから」
ほら、と顎をしゃくって沖田が促す。椅子から立ち上がろうとする神楽を制したその目は据わっていて、こういう時の沖田は何を言っても納得しないことを神楽は心得ていた。
もうどうにでもなれと思って神楽が片足を出せば、がっちり足の両脇をホールドされる。目にも留まらぬ早さで靴が脱がされて、ギャーッ!と悲鳴が出そうになった。
「ちっせえ足」
さっきサイズ聞いた時も思ったが、と呟いて、神楽の素足を沖田がまじまじと見つめてくる。
「あんだヨ、文句あっか」
「そうは言ってねえだろ。なんでオメーは喧嘩腰なんでさァ」
沖田が呆れたように溜息を漏らすが、一方の神楽は実はそれどころじゃなかった。今のは照れ隠しにわざとぶっきらぼうに言ったのだが、バレていないようで良かったと思う。
沖田の手が靴を脱がしにかかる時、神楽の脳裏には、足首を掴まれた先日のことが自然と思い出された。あの時の感触や力加減が甦ってきたせいで、神楽の心臓は先ほどからバクバクと騒々しい。
そうでなくても、今だって沖田の骨ばった指が神楽の足首と足裏に添えられているので、くすぐったいやら触れられた部分が熱いやらで神楽はもういっぱいいっぱいだった。
「まずこれだな」
沖田の平坦な声を聞くかぎりでは、幸い神楽の動揺は悟られていないとわかる。真っ赤に染まった顔色を見ればすぐに気づきそうなものだが、今の沖田は神楽の足元ばかりに注意がいっているようだった。
そんな沖田が選んだのは先端が三角に尖がった黄色の靴だった。光沢のあるそれは大人っぽい印象を受ける。一度は履かせてみたものの、どうも気に入らなかったのか、眉をひそめた沖田は靴をすぐ脱がせてしまう。
その際に、沖田の指が足の甲を撫でるみたいにするので、神楽はビクッとして目を瞑った。ゆっくり薄目を開けて確認すると、沖田が眉ひとつ動かしていないのを知る。意識してんの?と囃し立てられるより何倍も良かったが、なんだか自分一人だけで大騒ぎしているようでちょっと悔しかった。
「次これ」
「こっち履け」
「次はこれな」
つるつるした表面の紫色の靴、ゴワゴワした皮靴。さまざまな靴を神楽は履かされたが、触れてくる手の感覚と温度がいつまでも慣れなかった。
次に履いたのは練乳色をした靴だった。足の甲が出ているサンダルのような靴は、やわらかい素材で神楽の足にフィットした。足首を固定するヒモが太いので脱げる心配はなく、靴底も分厚いので、これならすぐ履き潰してしまうこともなさそうだ。
「どう?」
何個か靴を試して、ここで初めて沖田が神楽にお伺いを立ててきた。一目で気に入ったので、神楽は素直に頷き返す。
「これいいネ。かわいいアル」
「……じゃあこれ買ってくる」
言うが早いか、鮮やかな手つきで靴を脱がしてしまうと、沖田は靴のコーナーに戻ってもう片方を回収して、その足でレジへ直行した。支払いを済ませた靴はあっという間に箱に仕舞われて、紙袋に入れたそれを沖田が持った。
「あー疲れたァ」
自動ドアを抜けるなり、靴屋を背後にして沖田が深く息を吐き出してみせる。
「どこにお前の疲れる要素があったアルか」
広げた傘の日陰の下で神楽は顔をしかめた。ずっとドキドキしていた自分のほうがよっぽど疲れている、とは思うだけで口にしない。
「いや、慣れねェことはするもんじゃねーなって」
「慣れない?」
「そう。やっぱテメーで履けばよかったんでィ」
「でもお前がやりたいって言ったのヨ」
「そーだっけ」
「忘れんな」
見れば、沖田はうんざりしたように眉根を寄せていた。Sを称している人間としては、誰かに靴を履かせるというシチュエーションは苦手だったのかもしれない、と神楽は考える。だったら、なぜあんな頑なに靴を履かせようとしたのだろう。それが神楽にはさっぱり分からなかった。
「ねえ」
「なんでェ」
「それ履きたいアル」
「あー、俺も疲れたし、丁度いいからあっちのベンチ座るか」
沖田が指差す方向には心当たりがある。この通りを真っ直ぐ行けば駄菓子屋があって、店前に設置されたベンチのことも神楽は知っていた。
じゃあこれ、と沖田から紙袋を渡されて、ぱちぱち瞬きを繰り返して神楽が見つめ返す。
「なに、履くんじゃねーの?」
「履かせてくれないアルか」
「………お前、」
なぜだか沖田は悔しげに言葉に詰まっていた。ちょっとふざけて言ってみただけなのに、そんな反応をされるとは神楽も思っていなかった。疲れたと言っていたが、靴を履かせる気力すらないのだろうかと神楽は不思議に思う。
目の前の沖田は本当に弱りきった様子をしているので、神楽はわかったと納得した。
「わかったアル。じゃあ、私はこれ履いてるからお前は酢昆布買ってこいヨ」
靴だけじゃなく酢昆布まで買わせるのか、と愚痴を吐かれそうだったが、沖田にしては珍しく素直に従うらしい。早足で駄菓子屋へと向かって行く。
その真っ黒い背中を眺めながら、沖田が自分に靴を履かせることはもうないかもしれない、と神楽は思うのだった。
それがなんだか残念な気がして、そして残念だと一瞬でも考えた自分が恥ずかしくて、神楽はぎゅっと腕の中の紙袋を抱きしめた。
140210