春の畳というものはどうしてこう、気持ちが良いのだろう。
 薄く開いた障子からやわらかく降り注ぐ春の陽日が、沖田の部屋の畳の上に陽だまりをつくっている。背中からぼすんと身を投げると、い草の匂いが鼻をついた。ああなんだか。(春の匂いがする。)
 ふわふわと何処からか漂う花の匂いに、途端に沖田の瞼は重く垂れ下がっていき、視界はだんだんと閉じられていく。
 半分ほど瞼に覆われた世界に、真っ白なものが視界の端に見て取れたが見ない振りを決め込んだ。机の上には、終わりが一向に見えない、いまだ未処理のままの大量の書類が積まれているのだ。あんなものと面を合わせているよりかは、春の訪れを感じている方が沖田にとってはずっと有意義に思えた。

「仕事、また溜めてたアルか」

 いつもサボってばっかりだから。一気にツケが来たアル、ザマーミロ。春の日差しに紛れて、ぽんぽんと沖田の上から声が降って来る。沖田が畳の上で寝返りを打つと、いつのまに入ったのやら、自室に居座る女の姿を発見した。
 春という季節は人間をなかなかに堕落させるらしい。女が部屋に入ってきたことに沖田は気が付けなかった。たとえば、もし、この女が敵だったなら。自分はすでに殺されているだろう。しかしまあ、結果的には生きてたから良しとしようと楽観的な思考をする。それが沖田という人間であった。

「さくら」
「…桜?」
「うん。咲き始めたって」
「ほう、今年の開花は早ェのな」
「今年はあったかい日が続いておりますヨーって、今日ニュースで言ってたアル」

 満開になるのはいつになるかねィ、そう呟いて畳から起き上がる。長時間の仕事で凝り固まった身体をほぐすように、両手でううんと大きく伸びをする。沖田がそうしている間も、女はしばらくこちらをじいと眺めていた。なんか用かと沖田が聞いてやってから、うんと素直に返事をして、今までずっと握りしめていた右手をパーに開いた。

「お前にやるアル」
「……なんでィこれ」
「タンポポ」
「めちゃくちゃ潰れてっけど」
「おっ、押し花だもん」

 さすがにその言い分は無理があるんじゃなかろうか。ジト目を向ける沖田から逃げるように、女は気まずげにプイッと顔をそらしてしまう。

「公園に咲いてたから」

 お前に見せようと思ったアル、なんて。ずいぶんと可愛いことをする。似合わねー、だとか。そういう台詞は不思議と口から出てこなくて、ドS王子も丸くなってもんだと自分を笑いたくなった。

「押し花ねェ」

 タンポポからは瑞々しい草花の匂いがした。ただ、その外見は少し荒れている。
 女は力加減というものをするのがひどく苦手だ。それは彼女と親しい誰もが既知の事実だ。沖田に見せようと女が手に持ってきたのは、押し花っていうよりは、潰し花と言ったほうがいい。握力によって握りつぶされた、ぺちゃんこになったタンポポ。お世辞にも綺麗とは言い難い。
 しかし、これを沖田に見せようと、女は沖田のいる屯所まで持ってきたのだ。そう思うと、潰れたタンポポが沖田にはどうしようもなく愛しく見えた。
 本の栞にでも使ってやろうか。沖田に読書の趣味はないが、黄色を見つめていると口元が自然と緩んだ。

「ありがとよチャイナ」

 言って、沖田が面を上げれば、きょとんとしている女の顔と向き合うことになった。え? みたいな顔。てっきり、酷い文句の一つや二つ言われると思っていたのかもしれないし、文句を言われたらボコボコにしようと決めていたのかもしれない。見開かれた青い目ん玉が驚きを物語っている。場かみたいな間抜け面。この顔を是非写真に収めてやりたい、沖田は思った。

「どっ、どーいたしまして」

 沖田がカメラのしまった場所を思い出そうとしていると、突如、女の顔がふにゃふにゃと緩んだ。女の口元が、とびっきり綺麗な半月型を描いて、微笑む。
 真っ白な頬っぺたに小さくできたえくぼが出来る。笑顔がぴかっと白く光ったような、沖田にはそんな錯覚さえした。ようするに、女はとても可愛く笑ったのだ。
 女はなぜだか至極楽しそうに笑ってみせながら、沖田の顔と、その手にあるタンポポを見比べるように交互に見つめる。そこで沖田は、ああ春が来た、とひとりごちた。
 あたたかい陽だまりだとか、桜の開花しただの、タンポポが生えただの、そんなものはどうでもいい。沖田にとっての一番の春は、すぐそばに在った。



春をつれてくる人 ‘110414
title みずうみ
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