迎えに来て欲しいと頼んだ覚えは一度もない。だと言うのに、男はそこに居た。
 スナックすまいるの裏口を出てすぐ脇の、街灯の傍ら。夜色の深まった闇にぼうっと浮かび上がる人影。紛れもなく銀時のものである。真っ白な銀時の姿かたちがあんまりにも気味の悪いものであったので、幽霊と見間違えてボディブローを喰らわせてしまったことがあった。あれは妙が初めてここで彼に遭遇したときのことだ、よく覚えている。
 電信柱に背中を凭れた銀時が妙の姿を見つける。「よォ」たまたま近くで飲んだ帰りなのだと、こちらが聞いてもいないことを銀時は毎度のごとく今晩も妙に言い聞かせた。勘違いするなよと言いたげなそれは、まるで効果がない。むしろ逆に、勘を違えと言われているようだ。

(嫌だわ、ストーカーが二匹に増えるのは御免被りますよ。)

 いつだったか、突き放すように言ったそれは、もう来るなと暗に告げたつもりでいた、のに。銀時は何食わぬ顔をして翌の晩も現れた。次の晩も、その次の晩も。そうして待ち伏されてしまえば、妙もいい加減慣れてしまった。
 どこかのゴリラのように下心を持ち合わせていないのもまたタチが悪い。これでは突き放す理由が見つからないではないか。


 ***


「こんばんは」
「……あー、うん」

 常ならばあちらから声をかけてくるものを。妙が銀時の眼前で手のひらを振ってやって、ようやく妙の存在に気が付いたようだった。
 今晩の銀時はどうにも様子がおかしい。妙が見上げた先に立つ彼は落ち着きがなく、視線をあっちらこっちらへ飛ばしている。

「今日もまたジャンプですか」
「……いや、」

 今日が月曜日であることから、妙はすっかり銀時の台詞を先読みしたつもりでいた。だが銀時の口から出たのは否定であった。「ジャンプは昼に買っといたから」確かに今の彼の手にはコンビニ袋は見当たらなかった。

 迎えに来る晩に銀時は決まって、妙を迎えに来る理由(妙にしてみればただの言い訳にしか聞こえない)を携えて来ていた。ある時はジャンプを買いに来たついでなのだと、またある時は仕事の帰りに寄っただけなのだと言った。では今晩は何だろう。
 じゃあお仕事ですか、それとも長谷川さんと飲んだ帰りですか、この場で思いつく限りの理由を妙が並べてみる。だが、銀時は横に首を振るばかりだ。

「理由が見当たらねえのに、来ちまったんだ」

 銀時が天を仰いだ。やってしまった、と言いたげな表情が垣間見えた。目を丸々とさせている妙に気づいたのか、居心地が悪そうに銀時が手で口元を覆う。
 銀時は、自分を迎えに来るための理由がないと言った。お得意の二枚舌で嘘を吐く余裕も、今の彼にはないように見える。それならば、

「理由なら、あるじゃありませんか」
「………」
「ここに、とびっきりの理由があるじゃない」

 妙は思わず、自分を指差してそう言ってしまった(だって、あなた、私のことが好きなんでしょう)。
 自惚れでも自意識過剰でもない、確信めいたそれはいつ頃からか妙に芽生えていた。己に向かって差した指をそのままに、真正面から妙が見つめてやれば、言わずとも伝わったのか銀時が苦い顔をする。

「それが言えてれば、こんな苦労してねーわ」
「ええ、そうでしょうね。知っています。銀さんはそういうことしたがらないの、ちゃんと、知ってるもの」

 銀時は心の内を明かしたり本心を言葉にするのをひどく苦手だ。長い付き合いで知ったことだ。何度も取りこぼしてようやく築き上げた関係を壊してしまいそうで。それが恐ろしいのだと、酒を飲み交わしたときに漏らしていた。壊すくらいならいっそこのまま、留まる方がいい。それが銀時の自論だ。
 しかし、だからと言って、妙は、ハイそうですかと簡単に引き下がってしまう女ではなかった。

「でもね、女っていうのは言葉にしてくれないと満足できない生き物だわ」

 いい加減、白黒ハッキリつけて欲しい。このまま、銀時の臆病につき合わされているつもりはなかった。
 例えば付き合ってもいないのに、こうやって毎晩迎えに来て一緒に帰る理由。あとは買物帰りの妙を街中で見つけると問答無用で荷物を奪い去るように運んでくれる理由だとか、神楽や新八が居ない二人っきりのときに限って何でもないのに突然名前を呼ぶ理由だとかを、今この場で教えてほしかった。
 聞こえたのは何かを覚悟するような溜め息。妙の思考が止まる、伸ばされた銀時の腕が原因だ。頭ごと抱き寄せられるように、前にぐんと引っ張られたのだ。
 こんなにも近くで瞳を覗きこまれたのも、煮え滾る熱を帯びた唇が妙のまぶたに触れるのもはじめてのことだ。今までも、銀時には指一本さえ触れられた記憶はない。押し当てられた熱に、びりびりと皮膚が震える。

「……これでもまだ、分かってくんねーの」

 思わず、分かったと頷いてしまいそう。唇はとうの昔に離れたはず、そうであるのに、妙のまぶたはいまだジリジリと熱を孕む。鼻先が触れ合うか合わないかの、すれすれの距離でまぶたをひらく。
 かちあった瞳は煌々と炎が燃えている、その瞳の前に、陥落してそうになる心をなんとか押し留めた。

「ええ、分からないです」

ちゃんと言葉にしてくれるまで、分かってあげません。



臆病者の心臓を殺せ '120130
title 彗星03号は落下した
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