ぺたり、触れた指は無意識だった。妙の指が痩せた頬をそうっと撫ぜると、じわり、触れた先から熱が滲む。なんて冷たいのだろう、暦はとうに春を迎えたというのに、触れた銀時の頬には未だ冬が息づいているような。そんな冷たさを引き連れている。

(青白い肌。固く瞑った瞼。乾燥して切れてしまっている唇。)
(ああ、なんだか、死んでるみたい。)

 縁起の悪いことを思うものではないが、布団に横たわる生気の感じられない寝顔は、見ている側をどうしようもなく不安にさせるのだった。
 遂に我慢がいかなくなって、妙は銀時の胸に手をついた。はらりと結い残した髪の毛が垂れるのも気に留めずに、身体を丸める。包帯でぐるぐる巻きにされた胸板に耳を近づけて、瞼をきつく閉じる。どくりどくりと、弱々しくも、確かに脈打つ鼓動。その音は妙の耳にもはっきりと届く。

(ええ生きてるわ、ほら、しぶとく生きてるじゃない。)

 眠る銀時の胸に耳を押し当てる体勢をそのままに、ふううと息を吐き出す。気が付けば、背中と額には冷や汗が浮かんでいた。

(私はそれほど何を心配しているのだろう……いや、違う、恐れているんだわ。馬鹿だわ、この男が易々とくたばるわけがないってことは、誰よりもよく知っているでしょうに。)

 銀時の身体に巻かれた包帯の表面に、血が滲み始めている。そろそろ替え時かもしれない。そう思って、手拭いと水桶を一旦布団の端に寄せ、枕元に置いてある包帯と鋏に触れようとする。
 ぴくりと銀時の身体が動いたのはそのときだ。伸ばしかけの手を慌てて引っ込める。見間違いか、と妙が己の目を疑ってみたところで、もう一度ぴくりと動く。

「銀さん」

 声をかけても返って来るのは浅い呼吸だけだ。だが、諦めない。汗の滲む手のひらを着物の上から膝に擦り付けて、もう一度。銀さん、もう唇に染み付いてしまった名前を呼んだ。

「……なにしてんの」

 かけられた声にどきりとした。掠れた声だった。焦点のあわない瞳が、ゆらゆらと、瞼の隙間から覗いていた。そこで思い出すのは妙が傘を貸した、いつかの雨の日だ。あの日も銀時は酷い怪我をしていた。あんなに経つのに、この男は全然成長していない。思わず零れそうになる溜息を堪える。そういえば久しぶりに声を聞いた気がする。

「あァ良かった、起きられたんですね」
「違ェよ、起こされたの。お前に」

 いちち、と身体の痛みに顔をしかめながら、銀時が布団から上半身だけを起こしてくる。まだ起きない方がいいと言っても、あちらは全く聞き耳を持たない。薙刀を準備していれば良かったのかもしれない。起こされた、なんて。こんな時でも得意の嫌味を忘れないのか。
 銀時が困惑気味に妙を見下ろしてくる。「で、なにこの状況」

「なんか重てェなって思ったら。なんで俺、お前にのっかかられてんの」
「あっ、」

 言われて気がつく。そうだ、自分は今、銀時の胸にもたれかかっている体勢であったのだ。妙は完全に忘れていたが、起こされた、と銀時が言ったのはこれが原因だったのだろう。
 急いで身体を離そうとする。が、それを許さないとばかりに妙の首のうしろ、丁度ポニーテイルが揺れる辺りに銀時の手がぐるりと回る。捕まって、がばりと引き寄せられた。むっと鼻につく消毒液の臭いが妙にまとわりつく。

「ちょっと…! 何するの、離して頂戴」
「やだ」
「やだって、あのね銀さんあなた怪我が、」
「やだね。だってお前、今、すごく泣きそうだ」

 お前、どうした。
 妙の耳元で銀時が囁くような響きを伴って言う。どうしたなんて聞かないで欲しかった。泣きそうになっているのは誰のせいだと思っているのか。
 抱きしめられながら涙を堪えるのはひどくむずかしい、それでもなんとか軋む涙腺をなんとか押し留める。自分を泣かせた男に涙を拭かせるわけにはいかない。そんな変な意地があったのだ。

「どうして、私が泣きそうにならなきゃならないんです。銀さんごときに」
「ごときって、ひどくないですかオネーサン」
「言っときますがねえ、銀さん。私はちっとも、泣きそうなんかじゃないですよ。銀さんの気のせいじゃありませんか」
「ホントにそうかね」
「ええ、そうですよ」

 あっそう、聞こえてきた軽い返事とは裏腹に、妙の首に押し付けられる銀時の手の力が一層強くなった。きっと何もかもお見通しなのに違いなかった。悔しい、銀時はいつだって、妙が気付いて欲しくないことばかり気付いてしまう。たまらなくなって、瞼を伏せた。

(今度こそ、死んでしまうかと思ったのよ。)
(またあちこちに傷をこさえて帰ってきて、いつもいつも、あぶなっかしい。何があったのか、そんなの一々根掘り葉掘り聞く女じゃありません。けどね、何も知らないまま生きていけるほど、私は強くはないんですよ。)
(さみしいんです、本当は。)

 妙を逃がさないための手とは逆の手が、だらしなく布団の上に投げ出されている。その手に触れてみる。先程までの冷たさが嘘だったように、手のひらは熱い。どくどくと血液が流れる感覚。その熱を確かめてようやく、銀時が生きている実感ができた気がする。ぎゅう、妙は掴む力を強めに込めた。

「銀さんは、私が掴んでおかないと、その内ふらっと居くなってしまいそう」

 妙はそれが怖くて仕方ない。妙のそばから、銀時がいなくなってしまうことが酷く恐ろしくてたまらない。抱きとめられていた身体はとうに離れている。向かい合った銀時の、色素の薄い眉が不審げに曲がる。

「掴んでないと居なくなるって。そんな、子供じゃねーんだから」
「銀さんは立派な子供でしょうが。しかもただの子供じゃないわ、クソ生意気な悪ガキかしら銀さんの場合」
「誰が悪ガキだコラ」

 ガキだ子供だと言われたことに機嫌を悪くしたらしい。むっと銀時が不服そうに眉をひそめる。いいや、この男は子供だ。妙は絶対の自信を持ってそう思う。
 なかなか帰って来なかったり、大小たくさんの怪我をこさえて人様に心配をかけまくる銀時の行動は完全に子供のそれではないか。普通の子供は夕方になったら家に帰ってくるが、銀時は行方も告げずに勝手に出て行っては、いつまで経っても妙の元に帰って来ない。この男は、そんじょそこらの子供よりもずうっと性質が悪い子供だ。

(行き先も告げないで、いつもフラフラと消えてしまうの。)
(いつ戻ってくるのかって、もう帰って来ないんじゃないかって、ヤキモキして待っているこっちの心情も知らないで。)

「…だからね、そんな悪ガキが勝手に離れないように、ちゃんと私が銀さんの手を掴んどいてあげる」

 自らの手の内にある男の手を妙はさらに強く、強く握り込む。ぎしぎしと、肉に爪が食い込むほどの力であったが、向こうから痛いと抗議の声が飛ぶことはない。

「だったら、ちゃんと掴んどけよ」

 何かの気配を感じ、妙が俯きがちになっていた頭をあげると、いつのまにか銀時が妙の瞳をのぞきこんでいた。ああ、ずるい。こういうときだけ瞳を輝かせるなんて。妙は銀時がいつもしている気だるげな眼を思い出しながら、悔しそうに唇を引き結ぶ。見つめられながら、そっと、掴んだ妙の手のひらが握り返される。

「手を、離して欲しくないんだろお前は」
「ええ」
「だから俺もお前のこと、しっかり掴んどいてやる。だからお前も、この手を離さないでおけよ」

 お互いに重ね合った両手が熱を持つ。細めた両目で、妙はにこりと微笑む。

「ええ、もちろん」

 死んでも離してやるつもりはないわ、と、手の中の温もりを確かめるようにして、妙は傷だらけの手のひらをまじまじと見つめる。
 今後、銀時がふらりと消えることはあったとしても、妙はもう今までのように、銀時が消えることに恐怖したり怯えたりしなくて済むのかもしれなかった。例えどんなに死にそうになったって、誰が死ぬかバカヤローなんて言いながら、いつだって銀時はこうして妙の手を再び握りしめてくれるに違いないのだ。



わたしが愛すので消えないでくださいね '110505
title cabriole
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -