押入れの戸を引けば、張り詰めた空気に身震いした。戸の隙間から入り込んでくる日差しがないから、変な時間に目が覚めてしまったようだ。
 ごっさ眠いアル。神楽は寝ぼけ眼をごしごし擦りううんと唸った。
 別に、どこかの天パのように、昼間寝すぎて眠れないなんてわけじゃない。そうでなければ誰がこんな夜中に、と、文句を言うための声は潜めながら、神楽は口を尖らせる。へんな時間に起きるのは美容の大敵だ。神楽はちゃんと知っているのだった。
 足裏の冷たさに耐えながら、押入れから抜け出してそのまま廊下へ。暗がりを歩いた。神楽が起きなければいけない理由というのは、眠りに落ちようかという頃に聞いた、物音の出所を調べるためであった。多分あれは、廊下の軋む音だった。誰かが歩く音だと思う。
 普段ならすぐにでも布団に戻って、二度寝だろうが三度寝だろうが昼まで眠り続けてやるところなのだが、今日は例外だ。物音の正体が気になった。そうして神楽はゆっくりと廊下を歩き進めた。


 寝癖のついた頭をそのままに、冬のつめたさをまとう廊下を歩き出す。かじかむ足裏がふらふらして足元が心元ない。
 居間の方へ神楽が目をやった時に、おやと気付かされる。こんな時間だというのに、居間が明るい。ぺたりぺたりと廊下を歩きながら、神楽は小首を傾げた。銀時が電気を消し忘れたまま眠ってしまったんだろうか。あのダメ天パめ、雇い主の顔を思い浮かべて神楽は溜息を吐いた。

「お店の人にお休みをもらうって。ちゃんと言ってあったじゃありませんか」

 どうして寝てしまってるのかしら、この人は。
 いきなり居間から聞こえてきたのは妙の声だった。障子の向こうに立っていた神楽はひやりとする。なんで! と声には出さず呟く。なんでアネゴがいるんだろう。
 障子の前に屈んで中を盗み見れば、ソファに横たわって静かに眠りこける銀時と、床に落ちてしまっていたジャンプを回収してやっている妙がいた。
 今のは妙の独り言だったのだろう。妙のそばで横になる銀時は固く目を閉じて、すうすうと寝息をかいている。
 その寝顔を眺めて、まったくもう、と呆れた様子で妙がテーブルにジャンプを置くのが見えた。

「ねえ銀さん、起きて下さいな。…起きないと帰ってしまいますよ」

 いいんですか、ソファの側に腰を屈めた妙が銀時に呼びかける声。着物の袂を押さえる妙の細い指は、明るい蛍光灯の下で白く輝いている。もう片方の妙の手が、寝ている銀時の前髪を梳いた。その手は恐ろしく優しいものをしている。銀時を起こそうとしているとは思えない代物だった。
 銀さん、妙の唇が再び銀時の名前をなぞる。

「折角会いに来たのに、こんなの、さびしいじゃありませんか」

 見たことのない顔、聴いたことのない声音。そういうものを、今の妙はしている。少なくとも、普段の妙が自分や新八に向ける表情とは違う。仕事のそれとも違うものだ。
まるで、拗ねた子供のものみたいだ、と。咄嗟に思い浮かんだ例えは大人びた彼女に失礼だったかもしれない。
 妙の台詞を頭の中で何度も反芻しながら、妙はどうしてこんな時間に万事屋を訪れたのだろうと神楽は考える。
 万事屋を訪れる時にいつも持ってくる菓子折りも、今日はテーブルに置いていない。そもそもこんな時間に来ることだっておかしい。
 寂しいと、妙は言った。では、妙は銀時に会いに来たのだろうか。
 そこまで考えた先で、神楽は障子に頭をぶつけた。考え込んでいたせいで、近づきすぎたことに気付けなかった。鼻先と障子とが当たって、カタンと小さく音が鳴る。

「誰かいるの?」

 妙の声がした。首を捻って、音が聞こえた方を見やっている。幸い、廊下の電気は落ちているので神楽がいることには気付いてはいない。しかし時間の問題だった。妙がこちらへやって来て、この障子を引いてしまえば簡単に見つかってしまう。それはマズいと神楽は多いに焦った。
 別に、やましいことなんか何もしてはいない。だが先程の、銀時を見つめていた妙の瞳。呼びかけた穏やかな声。あれは、神楽が知ってはいけなかったものだ。
 どうしよう、障子の前でおろおろと立ち尽くす。今から急いで押入れに戻っても、戻る途中で姿を見られてしまうに違いない。それなら潔く、見つかってしまおうか。などと、考えながら神楽がふと障子の方へ視線を戻したときだ。
 あれは、何だ。
 突然視界に奇妙なものが入り込んで、神楽は青色の眼を見開いた。
 妙の背後のソファからノロノロと音もなく伸びた腕がある。こちらを向いている妙はそれには気付けない。
 手はゆるゆると緩慢な動きで伸びていく。やがて妙の肩へたどり着くと、素早い動きで肩をつかんで、一気に強く引き寄せた。
 きゃあ、と声がした。


 ***


 しばらくガタガタ物音が鳴っていたが、やがて静かになった。
 のっそりと誰かが身体を起こす気配。息を殺して障子の向こうを窺っていた神楽は、びくりとする。身体を起こした誰かは、覆い被さるようにソファ倒れた妙ではなく、下敷きになったはずの銀時だった。そう、あの天パ、やっぱり起きてやがったのだ。

「…ずるい」

 起きていたのなら言ってくださいな。銀時の狸寝入りに怒っているのか、それとも押し倒されているこの状況にか、妙がわなわなと唇を震わせる。対照的に、にやあと銀時の唇が悪げな笑みをつくる。

「何を笑っているんです、人のことを騙しておいて」
「騙す、なんて人聞きの悪いこと言うんじゃねェよ。起きるタイミングが掴めなかっただけですぅ」

 けろりと言ってのける銀時の言葉は、神楽から見ても怪しいものだ。押し倒された妙の体の上に薄暗い影を落とす銀時の、にやにやと笑う口元が怪しさを助長させていることに銀時は気づいていないのか。妙も目を細めて、どうかしらと訝しげに呟いている。

「どこから起きていたんですか」
「お前が寂しいとか言ったあたり」
「っ…!」

 着物の袖が捲りあがるのも気にせず、妙が腕を振り上げる。だが次の瞬間にはその細腕は銀時の手に掴み取られてしまって、銀時には届かない。
 いつもとは違う展開に、状況を見守る神楽は目を白黒させられるが、妙もそれが分かっていたのかのようにこれ以上は抵抗しない。

「寂しかったんですかオネーサンは」
「狸寝入りなんてふざけた真似する人には教えてあげたくないわ」

 鼻を鳴らしてそっぽを向く妙の、顔のすぐ横に銀時の手が置かれる。ギシリ、ソファのスプリングが軋む音。ぱっと、顔を元の位置に戻した妙が「ちょっと、銀さん、」声を潜めながら、距離は縮まるばかり。二人の視線が絡む。妙の片手を掴み取ったまま、じわじわと銀時が妙との距離を縮めていく。
 神楽の予感は的中したのかもしれない。
 しかし、ごくん唾を飲み込んで、障子に貼り付くようにして二人の行き先を見守ろうとした矢先のことだ。
 二人の距離が鼻先ほどまで近づいたあたりで銀時が首を捻った。
 えっ、と神楽の思考が固まった。銀時は一度もこちらを見ていなかったはずだが、神楽は確かに銀時と目が合ったのだ。気だるげな目が一瞬だけ細められて、一睨みされる。ヒイと声にならない悲鳴が喉奥からした。

「あっちいってろ」

 声はなくともそう言われたことぐらい、神楽には分かった。立ち上がって、その場から一目散に逃げ出した。足音を隠す余裕はなかったので、神楽がいたことに妙は当然気付いたはずだが、妙が追い駆けてくる気配はない。
 勢いのままガタガタと押入れの中に飛び込んだ。その際、膝小僧を盛大に打って押入れの中でのた打ち回るはめになった。
 布団を被り、蒸し暑くなった世界の中で瞼を閉じた。

(ひょっとすると、自分はとんでもないものを見てしまったのかもしれない!)

 こういう場合はどうするんだっけ。黙って泣きながら赤飯製造マシーンにならなきゃいけないんだっけ。それともこれは夢なのか、夢だったらどんなにいいか。神楽は思う。もしも夢じゃなかったら、今後銀時や妙にどんな顔して会えばいいというのか。
 うんうん唸りながら、神楽は再び訪れた睡魔の中に吸い込まれていった。あのあと二人がどうなったのかは誰も知らない。



目撃者はひとり '111205
title 弾丸
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