Clap Thanks

 ――― ふ、と。

 視線を持ち上げればひらりひら、まるで花弁か何かのように舞い降りてくる白。どこまでも黒く深い夜空を背景にぼおっと照らされたそれらの煌めきは、ひどく幻想的だ。これにしんしんという擬態語を付けた奴には、ひどく感心する。
 見とれていたところにしかし…する、首元を狙ったかのように滑り込んできた冷気。おれはふるり、微かに背中を震わせた。北の海(ノースブルー)生まれの北の海育ちといえど、流石にこの寒さには堪える。悴んだ手のひらを持ち上げはあっと、おれはそこに微温を帯びた吐息を吐きかけてやった。
 ややあって前方へと視線を戻せば、そこは白銀一色の世界。感嘆の想いと共に漠然と胸の内に湧き上がってくるもの。それは、世界にただ一人取り残されてしまったかのような途方もない孤独感。

 しかし違う。今おれが後ろを振り返れば、そこに伸び並ぶ足跡はきっと―――…二つ。


「――この島、かなり寒いな」

 冷えた空気にすうと響いた声と共に、戻ってきた聴覚。さくりさくり、柔らかな雪を踏み締めるとき独特のこの音は一体、今までどこに置いてかれていたのだろうか。
 考えながらもはくり唇を開いて口内の貴重な湿気を逃しつつ、おれは静かに言葉を紡ぐ。

「ああ。…だが、北の海の方がもっと寒かっただろう」

 一度静寂を破ってしまえば、その場を満たしていた妙に厳かな雰囲気は霧散した。おれの隣に並ぶバンダナはくしゃ、己の眉相を軽くしかめるような所作を見せる。

「でも、このくらいの寒さは久しぶりだからさ。実際、ちょっとキツいよ」

 ふざけたように大袈裟な仕草で自分の二の腕を擦る動作を見せたバンダナにおれは呆れ、横目で冷たく視線を送った。

「あのな…。おれたちは、遊びに行くんじゃないんだぞ」

 雪道をぽてぽてと歩き進み早十数分。しかし船を停めた場所が人気のない入江だったということもあり、ここから街へはまだ随分と距離がある。

「ペンギンは大袈裟だなぁ。こんなの、ただの買い出しだろ?」

 緩い口調におれは思わず眉を潜めるがしかし、クルー全員の命に関わることにもなりえるこの食料品の買い出しをバンダナが本当に甘く見ている、という訳ではないのだろう。

――まあ確かにこの寒さには文句の一つや二つ、溢したくなるのも頷けるが…。

 どうにも、腑に落ちない。おれは内心で首を傾げる。
 バンダナは元々ふざけたことを頻繁に口に出す奴だが、何かについて文句を言うことは少ない。それはシャチとは違い、文句を抱くような出来事を罵ってみたところで大概はどうにもならないということを十分理解しているからだろう。
 しかし平生と違い、珍しくよくぶう垂れるバンダナ。おれが買い出しに行くことは、良い。しかし、どうして付き添いが選りにも選って――更には今少し様子がおかしいらしい――こいつなのだろうか。せめて、他の奴と行かせてくれれば良かったものを。どんなにおれがそう考えてみたところでしかし、脳裏に浮かんだふんぞり返る船長の姿は消えない。船長の命令は絶対、だ。

 と、そのときひょこり。おれの顔を突如覗き込んできたバンダナの双眸。それは、つい数秒前まで不満を口にしていた者とは思えぬ程に、凄く楽しげなもので。


「ね、手ぇ繋ごーよ」


 ああ、この所為か――と。

 この主張にたどり着くまでの回りくどい言葉の意図に、おれは漸くと気がついたのだった。
 にやり、瞬間その口端を持ち上げたバンダナは、おれが気がついたということを直ぐに悟ったのだろう。全く、難儀な奴だ。

「断る」

 呆れたおれは当然にべもなくその言葉を切り捨てる、が、緩い笑みをその顔に浮かべたバンダナは尚も食い下がってくる。

「え〜、寒いじゃん」

 しかし、それに一々応えてやる程おれは優しくない。適当に首肯だけを返し、その気なくすっと前方に視線を戻す。

 しかしその途端ぴたり、隣で止んだ一つの足音。それは、否応なしにおれを引き留める要因となる。
 一体何なんだとやや億劫な思いで、おれはゆるり後ろを振り返った。


 その瞬間。



「―――ほら、鼻」


 ずい、と。


 気がついたときには直ぐ目の前にあった端麗な顔。思わずびくり、おれは肩を震わせた。
 真っ直ぐにこちらを射抜く、その自信に満ちた双眸。…おれは目が離せなくなる。

 次の瞬間――きゅう…、と。

 いつの間にか伸びてきていた手のひら。細く、しかし確かに男のものらしく骨張った指が、しなやかな力でおれの鼻先を軽く摘まんだ。
 先端から伝わってきた微かな温もり。それはおれとバンダナとが触れ合ったほんの僅かな面から伝わり、冷えきった肌に広がり巡る。おれは驚き、己の瞼を真ん丸に見開いた。

 吐息の混ざり合う距離。おれの唇から溢れた白がバンダナのそれと溶け合い、やがて漆黒の中に消えゆく。


「…赤いよ?」


 にやり、おれの眼前で緩く弧を描いた唇。
 赤い、とは、果たしてどの部分の形容なのだろうか。おれの鼻の頭を温めた熱は、未だ顔から消える気配がない。
 数瞬置いてするり、呆気ない程に唐突な動きで離れていったバンダナの指先。それを目で追い掛けていたおれはややあってきゅっと、己の唇を真一文字に引き結んだ。

「…放っておけ」

 それから小さく小さく唇を開き、つっけんどんに突き放した言葉。ふいと己の顔をそちらから逸らしたその仕草は、我ながら随分と子ども染みたものだったと思う。
 おれの指先は依然、寒さにじんじんと痺れたまま。しかし僅かながらも頬が温かくなったのはバンダナのお陰、と言うべき…なのだろうか。


――いや、寧ろこれはバンダナの所為、だ。

 考えたおれは背けた顔をそのままにさくり、後ろを振り返ることなく真っ直ぐに歩き出す。


「ちょっと待ってよ、ペンギーン?」

 くすくすと笑いを含んだバンダナの声が、柔らかな足音と共にゆるり追い掛けてくる。


 さくりさくり、

 …きゅっ、きゅ

 さくっ、


 雪たちが奏でるそのやけに愉しげな音が、まるでバンダナに味方をするかのように聞こえて。

 おれは静かに首を竦め、深いツナギの襟に己の口元を隠す。


 …――この熱の原因となった男の手のひらを不意打ちでぎゅうと強く握ってやろうか、などと。


 火照った頬で唇を尖らせながら、おれは仕返し染みたことを悔し紛れにひっそり考えてみたりした。
 
 


ありがとうございました!
お礼は絵+文、文+絵の二種類です。

 
 
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