雇い主が用事で家を出た。

すぐ戻って来るから休憩してて、と臨也は言っていたが、散らばった書類が気になっておちおち休んでもいられない。
本棚の整理をしていると、あの忌ま忌ましい首が目に入った。
ああ忌ま忌ましい、忌ま忌ましい。でもこれが手元にあったところで私にはどうすることも出来ない。壊しても、誠二はこの首を愛しつづけてしまうから。誠二はきっとこの首しか愛せなくなってしまうから。
無力なものね。溜息を付いた。

けれど、方法があるとしたら?

ふと、いつだったかあの女が言っていた事を思い出す。張間美香は、もし首を見付けたら食べて一つになると言っていた。馬鹿げてるわ、そんなの。きっと誠二が、首を壊した私を怨むだけよ。だけど、だけど。食べなくても一つになる方法があるとしたら…?

考えた瞬間、私は首を持って走り出していた。
確か、最近使われなくなった研究所があったはず。あそこなら誰にも見付からず…きっと…!




私はデュラハンの首を自分の首に縫い付けた。

どうやったのかなんて覚えていない。
そんなことは不可能なはずなのに、私は生きたまま手術を終えた。
もう私には私の脳みそが残っていないのに、手術する前と変わらず冷静に物事を判断できた。

血だらけになった白衣を脱ぎ捨てて誠二のもとへと向かう。



「君は…!」

目を丸くした誠二が見える。驚いた顔はすぐに笑顔に変わり、私はぎゅっと抱きしめられた。
ああ、誠二、誠二、これでやっと私を愛してくれるのね。


「………っ…?」


誠二、と呼ぼうとしたけれどうまく声が出せなかった。
手術で失敗したのか、デュラハンがそもそも声が出せない生き物だったのかはわからない。
まるで人魚姫のようね。けれど引き換えに誠二を手に入れらるなら、声なんて惜しくない。

馬鹿みたいに固まっている張間美香を置いて、私達は愛の逃避行を始めた。



「君を愛してる」

ああ誠二、私も愛してる。

「一目見たときから君の虜だ」

ありがとう、私もずっと貴方だけを見ていたわ。

「愛してるよ、セルティ」

私も愛して…え…?

「セルティ、綺麗だよ」

私は…私は、貴方の姉さんよ。

「セルティ、セルティ、セルティ」

セルティじゃない。私は、私は、


(私は…?)


誠二は私を見ていない。私を愛してなんかいない。
私は矢霧波江なのに、私を見て、私を見て…私?私は本当に私なの?私は誰?この記憶は誰のもの?わからない、わからない、わからない─────



気が付くと、誠二の手を振り払って駆け出していた。

これじゃあ『矢霧波江』が消えて『セルティ・ストゥルルソン』になっただけじゃない。
叫びたいのに声が出ない。泣きたいのに涙も出ない。なんて不便な体なのだろう。


誠二から逃げる途中で、街を歩く人々にぶつかる。その中には見知った矢霧製薬の研究者もいたけど、見向きもされない。首無しライダーは私を見つけて追いかけてきた。
誰も私を見てくれない。当たり前だ、私はもう矢霧波江じゃないのだから。これからずっと、セルティ・ストゥルルソンとして生きて、セルティ・ストゥルルソンとして愛されなければいけないのだ。

走って走って、ヒールの靴が脱げた。何度か転んで泥だらけになった。
もうこれ以上は走れない。そう気付くと、動かない足は自然とある場所に向かっていた。


無くなった首に体が付いて現れたら、あいつは一体どんな顔をするのかしら。

勝手に首を持ち出して、彼のゲームを台なしにして。デュラハンの首を付けて、もう人間じゃない私は、彼から無条件に愛を得ることも出来ない。

だけど、浮かぶのは臨也の顔だけだった。
なんでもいいから、あのふざけた笑みを見て、それから消えてしまいたかった。




部屋の鍵は開いていた。
ぺた、ぺた、と汚れた足で居間へと向かう。

「波江さん?」

ドアの閉まる音が聞こえたらしく、パソコンの方を向いたまま臨也が声をかけてきた。



「どこ行ってたの、……………」

「…………」


こいつに会ってどうするかなんて、何も考えていなかった。
なんて言ったら良い物か、と考えたところで声が出なかった事を思い出して考えるのを止める。
流石の臨也も目を丸くしていて、重たい沈黙が続いた。私はなんて言われるのだろうか。ここでもセルティと呼ばれるのだろうか。セルティ、と呼ばれて私はどうすればいいのだろう。



「波江さん」



細く白い指が頬に触れた。



「波江さんだろう?」



頬にあった指が、目尻に触れて涙を拭う。



「…い…ざ、や……」




拭いきれなかった雫がぽたりと落ちて、私は意識を失った。
















「……───『セルティ』」



誰かが名前を呼ぶ。
けどそれは、決して私の名前じゃない。
私は『セルティ』になりたかったわけじゃ、ない。



「『セルティ』……起き…て、…『セ…ティ』」



やめて。やめて。
その名前で呼ばないで。

その声は私を蝕んでゆく。


「目を覚まして」「愛してるよ『セルティ』」「はやく」「行こう」「会いたかった」『セルティ』「好きだよ」「…せ…てぃ…」「…る…………」「……、………」


耳を塞ぐと、段々と声は小さくなっていった。
これでいい。他の誰かとしてしか愛してくれないなら、私は誰にも愛されなくていい。
入って来ないで。本当の私は一人きりで、ここにいる。誰も構わないで。



「……、っ………」


けれどまた誰かが私を呼ぶ。
必死な声が、聞こえる。



「、……み…さ…」



私を呼ぶ声が、



「……さん、……なみ…さん……」



聞こえる。





「『波江さん』!」



青い顔が私を覗き込んでいた。
顔が近くて、瞳に映る自分がよく見えた。泣いている。
臨也は見たこともないくらい必死そうな顔をしていて、その腕はしっかりと私の肩を掴んでいた。

「ああ、やっと目を覚ました」

「…私、寝ていたの…?」

「うん。気持ち良さそうに寝てたのに途中から泣き出すし、びっくりしたよ」


何度かまばたきをすると視界がくっきりとして、周りの様子が見えるようになった。私は臨也の部屋のベッドに寝かされているようだ。白いシーツから体を起こすと臨也はほっとして、肩から手を離した。


「あなたは…臨也よね?」

「そうだよ」

「私は誰?」

「…変なことを聞くね。波江さん、矢霧波江さんだろう」


やぎりなみえ。
震える唇で繰り返す。

そう、それが私の名前。


首を盗み出した時の感覚もひたすらに走った足の痛みも、あまりにも鮮明に覚えていた。夢と現実が溶け込んで、もしかしたら私はまだセルティのままでは無いのかと思ってしまう。

だから、臨也が私を呼んだときにひどく安心したのだ。



「……う、あ…」

「……あ、ああ、っ、」


目尻に溜まった涙が再び溢れ出した。嫌な夢の記憶が涙と一緒に流れ落ちる。臨也は何も言わずに私を抱きしめた。ボロボロと落ちる涙は臨也のコートに染みを作っていく。
鎖骨の当たりに顔をうずめて嗚咽を押し殺すと、「我慢しなくていい」という声がした。だから私は声を上げて泣く、泣く。

涙が涸れるまでの間、臨也は何もせずただそこにいてくれた。
それだけで、私の心は救われるのだった。





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