連日の勤務で疲れている。なんて言い訳は通用しないのだろう。確かに使えない助手の尻拭いで私はろくに眠れていなかったけれど、これは明らかに私の失態だ。
身動きの取れない状況ではあるが頭を抱えたくなった。よりによってこんな、低級で低俗な使い魔に侵入されたあげく組み敷かれるなど。

「ねえ」

燃えるような髪が鼻先を掠める。禁断の果実の色をしたそれは目が眩むぐらいに甘い背徳の匂いをさせて私を包み込んでいく。そして、ぷっくりと熟れた唇がこちらの掌に口づけた。

「どうして私を見ないの?」

夢魔は、降霊どころか除霊にすら値しない悪魔だ。よく覚えているし理解もしている。理想の姿になって精を奪いに来るのだとつい先日教えたばかりで。
勿論私の使い魔は夢の中にまで助けには来れないし、来たら殺しているところだ。
放った奴もまさか本気ではあるまい。大方生徒の冗談か、嫌がらせか、そのどちらもか。
だから、この程度の雑魚を処理出来ない筈は無いのだ。


「照れてるのかしら」

例えそれが熱く潤んだ瞳でこちらを見ていても。

「愛してる」

耳が蕩けてしまいそうな声で私に優しく囁いても。

「愛してるわ、ケイネス」

彼女が、私の上で愛おしそうに愛を唄っても。

蜜のように甘く絹のように柔らかく誘惑してくるそれは悪魔だ。その響きに、色香に、絆されてはならない。
色慾など捨て置けなければロードエルメロイの名が泣く。
所詮紛い物であるそれの、ガラス玉と目が合った。

「残念だが」

ふ、と歪んだ口の端から息が漏れる。汗が一筋流れ落ちた。

「ソラウは私に愛を囁かない」

陶磁器のように白く滑らかな肌が直に触れている。
自分は今、さぞかし余裕の無い笑みをしている事だろう。

「だから、余所へ行け」

そう言うと彼女の姿をしたそいつは首を傾けて考え込むようなそぶりをする。その拍子に下着の紐が肩から落ちて、私は慌ててまた目を逸らした。

「じゃあこうしましょう。あなたなんて嫌いだわ、大嫌い、死んでしまえばいいのに」

「それも不正解だ」

好きの反対は嫌いではないから。

そうなるといよいよそいつは溜め息を吐く。
相手から同意の言葉を引き出さなければ取り入れない。そういう使い魔なのだろう。

もういい。十分に遊んでやった。
追い払う事は簡単である。
拒否するイメージを強く持てばいい。

「つまらない人。あの人のところに行ってしまうわよ?」

嘲笑う声を聞いて、沈黙が寝台を支配した。

「あら、これは正解だったかしら。可哀相なひと」

「……彼女の姿で、彼女の声で、言いたい事はそれだけか」


ぶすり。
返事を待たないままに響く鈍い衝撃音と、
血液の代わりに流れ出す魔力。
突如として胸に空いた穴に、見開いた瞳孔は暗く、黒く。

もうその瞳は私を映してはいまい。
そうだ。それでやっと正解だ。
ソラウは私なぞ見ていない。


「……ぐ、あぁ……どうして……」

それは黒い渦を放ちながら、千年の呪いのように美しさを失って老いて枯れていく。呪詛の言葉はもう鬼女の持つ音である。

「失せろ」


醜く歪んでいく君が見たくなくて、
銀色で蓋をした。









夢から醒めて。

身体のけだるさは果たして疲れから来るものだけだろうか。
猛烈に嫌な予感を感じて冷や汗が流れ落ちる。


「……巫山戯るな」


気付いてしまった。出来れば気付きたく無かったがそういう訳にもいかない。
これではまるで思春期の少年ではないか。

AM7:00。出勤まではまだ時間がある。

さあ、下着の中の違和感を、
誰にも知られずに拭う魔術を考えよう。





(こんな傷口を恋と呼んでたまるものか!)


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