紙パックの罠 −  Leonardo

「おはようございまーす」
 ライブラの朝。
 レオが事務所に入ると、ソファには一番乗りの◆が居た。
「◆、早いね」
「おはよう、レオ」
 タブレットをいじっていた◆は顔を上げて、それをテーブルに置くと、立ち上がってキッチンの方へ行ってしまった。
 入れ替わるようにレオがソファへ腰掛け、なんとなくタブレットを手に取る。そこにはぎっしり文字で埋め尽くされた経済新聞が映っていた。
 うへえ、とテーブルへ戻すと、傍らには紙パックの野菜ジュースがあることに気付く。
「ねえ、朝ご飯食べてきた?」
 ソファに戻ってきた◆は、コーヒーを淹れたレオのマグと、温かいベーグルサンドが乗った皿をテーブルへ置いた。
「いや、食べてないけど……あ、もしかして、これ食べていいの?」
「うん、どうぞ」
 にこ、と笑って答えた◆は、レオの隣に座ってタブレットと小ぶりの紙パックを手に取る。
 ベーグルは自分用に買ってきたんだろうけど、食べる気が無くなったから僕によこしたんだろうな――と、言葉少なめな彼女の考えを推測しつつ、ありがたくかぶりついた。
 伸びたチーズを追いかける横で、◆はじゅう、とジュースを吸う。
「いつも飲んでるよね、それ」
「ん、美味しいよ」
 ストローから口を離し、そう云った彼女の唇は少し橙色で。
 ストローの中と先端も同じ色で。
「…………」
 思わずレオは、口の中のものをゴクリと飲み込んだ。
 更に◆は上下の唇を合わせ、舌を少し出してペロリと舐めるものだから。
「これ、飲みたいの?」
 凝視してしまうのは仕方がないことだ。
「――ッ! い、やっ、あの、野菜ジュースって苦手な人もいるよなあって思って!」
 怪訝そうに首を傾げた◆に笑って誤魔化し、手元のベーグルに無理やり意識を戻そうとすれば。
「ん」
 視界にズイッと差し出された紙パック――と、橙に染まったストロー。
「えっ」
「飲んだ事ないんでしょ。美味しいんだから」
 これで野菜の栄養も摂れるんだよ、と得意げに揺らす。
 そんな顔を見れば断ることも出来ず、と云うか断りたくないが――
「いいよ? そのままで」
 ベーグルを一度皿に置いてからと思うが、それを察してか、◆はもう十センチ、パックを近づけてくる。ストローはもうレオの唇に触れる寸前だ。
「……うん」
 口を開き、ストローを咥える。
 それだけでもう、心臓がパンクしそうになる。
「どう?」
 吸って、口に含んで、飲み下して。
「――……おいしい、よ」
 ストローが離れて、そう自分が呟くまでの流れは、これが無我と云うのだろうか。
 今の今、その出来事がもう思い出せない。
「ふふ、唇に色ついちゃってる」
 それなのに、そんなことを云って笑う彼女が恨めしい。
「――おや、おはよう。早いね、二人とも」
「おはようございます、スティーブンさん」
 タイミング良くなのか、我が上司が出勤すれば、◆は立ち上がって再びキッチンへ行ってしまう。
「……どうした少年、チーズ垂れるぞ」
「あっ、はい、すみません!!」
 ハッと気付いて、勢い良くベーグルを平らげていくレオの姿に、スティーブンは若いねえと云いながら、執務机へ向かう。
 あのまま誰も来なかったら――と思うとレオは目眩がしそうで。ベーグルを食べ終えると、今度はコーヒーをヤケ酒の如くぐいぐいと飲んでいく。
「どうしたの、レオ。やっぱりジュース、口に合わなかった?」
 キッチンから戻り、スティーブンにコーヒーを渡す◆が心配そうに訊いてくる。
「そ、そんなことない……っす、好きだよ!」
 そう口走ってしまえば、スティーブンはニヤニヤと笑うし、◆は嬉しそうに隣に座ってくるし。
「じゃあ、次はレオの分も買ってきてあげる」
「◆、そうじゃないだろう」
 察しの良すぎる上司と、恋を自覚した相手に、レオは頭を抱えるしかなかった。


 Fin.

2015.06.29

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