見るものすべてが真っ黒になって、随分と長い時が過ぎた。
正確には時間も日にちも今の季節も分からなくなってしまったけど、音だけにはひどく敏感になったと思う。そしてそれだけだ。
起き上がろうとして手をついたら思ったより端にいたらしく、手は空中を滑り落ち、そのまま体もベットから落ちてしまった。
私はもう、用ナシらしい。
もう死武専の職人として使い物にならなくなった私を、あの世界から引き剥がした。私が「生きていた」場所から。
これも彼が聞かせてくれた話なので、私は何も知らなかったのだけれど。
見る術がないから当たり前だ。
でも何で見えなくなったのか覚えていないし彼以外の人は殆ど忘れてしまった。
ただ大切だったものが抜け落ちてるようなそんな気がするだけ。
ガチャ、と部屋の扉が開く音がした。多分。
「…そーる?」
「マカ?」
大きい音がしたから、また落ちたのかなとか思って。
馬鹿だなあ、そうクスクス笑って私の両脇に手を添えてそっと抱き起こしてベットの上に優しく置いてくれた。
そう、いつでも優しい、優しいソウル。温かい手だった。
「お腹空いた?ご飯食べるか?」
そう優しく聞いてくる彼。
それはいつもの彼のようだった
気がした。
「そうる」
「ん?」
「あのね」
「どうした?」
「なんでわたし、なにも見えないの」
「……」
「なんで私、忘れてるの」
「なんかね、ずっと心に何か引っかかってるの。黒いの。でも思い出せない。」
「…、……」
「みんな、思い出せないよ」
あんなにあんなにあんなにあんなに傍に居てくれたのにあんなに心がぶつかり合ったのに沢山幸せだったのになんで赤い髪も水色も漆黒も三本ラインも似ていた二人もなにもかも覚えてないのなんで覚えてないことが悲しいのねえあなた、
あな、た、
「あなた、本当にソウルよね?」
私は言う。
自分が何を言っているか分からない。ソウルが何も言わない。真っ暗で分からない。どこにいるか分からない。怖い。こわい。ソウルがいない!
私は無意識で両手を伸ばした。
腕が宙を舞う。必死に彼を探す。もう私の瞳から涙なんて出やしないのに、私はどうしようもなくて。
私の探しているソウルは、ただ優しい言葉だけを並べるような、陳腐な奴なんかじゃなかった。
だけど両手を取ったのは。
「…マカ」
「あなたじゃないの、」
「…でも俺がソウルだよ」
「そうるにあいたい、」
「マ…、カ」
そう、るソウル、ソウル…
私の知っているソウルが駆け寄ってきてバツが悪そうな顔をする。私を見るとますますバツが悪そうに、いや、困ったように、頭を掻いてそっぽを向く。
ばか、なくな。
そう言って。手を伸ばして。わたしを撫でて、不器用にまたわら
分かってる。本当は知っていた。私だけ時が止まっているだけで、ここにいるソウルが今のソウルだ。私は知っている。時なんて止まらない。だけど進まないでいてほしいと、願って願ってしまったあの時を私は愛していた。
過去が楽園に見えるだけだと、分かっていたけれど。
成長してしまった彼。
成長していない自分。
私には今ソウルがどんな顔をしてるのかどれだけ大きくなったのか分からなくて笑ってくれているのかも分からなくて。
私が必死に探していたのは、子供のままの昔のままの変わらない幸せだった頃に一緒に居てくれたソウルという少年だった。
それはどんなに同じ人でも、もう居るはずのない人だった。
マカが思い出そうとしている。
俺は怖かった。
どうかどうかあの日がなくなればいい。あの日の過ちが嘘のようになるならそう強く強く願ってしまったらマカは本当にあの日をなかったものにした。
それが自衛なのか同情か。あまりに都合が良すぎて、俺はそれが恐ろしかった。
その日も些細なことで喧嘩していた。戦いの最中、あいつはいつでも1人だけで突っ走るから。いつも1人で俺なんか頼ってくれなくて。それが悲しく、腹立たしかった。でもマカは仕方ないと言う、迷って死んだら元も子もないと。どうしてそれが解らないのかと。
「ソウルのばか!!」
そう怒声を上げてマカは自分の部屋のドアを荒々しく閉めた。
1人リビングに取り残された俺は、さっきとは裏腹の不自然な静けさの中、やり場のなくなった気持ちだけに集中せざる逐えない。
マカが好きという気持ちより理不尽な怒りの方が大半を占めている自分がいた。
むかつく。
言うだけ言っておいて逃げるなんて、ありえねえ。
なんであんなに怒るのか、感情的なのか、意見が合わないのか、他人に合わせようとしないのか、俺の心の内が分からないのか、なんで頼らないのか。なんで。なんで。そればかりが頭を渦巻いて離れない。
マカの目が何も映さなくて、手足が自由に動かせなくなってしまったら、マカは俺を頼るのだろうか。
なんだ、いまの。
俺は薄く失笑する。乾く。
なにを、思ったんだろう俺は。
何を考えてるんだ。そんなこと望んでないだろう。怒っているからって、そんな馬鹿じゃねえの。
イカれてる。
は、ははは、ははははは、は…
そう、本当に?
思ってないのか?
マカに俺だけであってほしいとか、おれは、おれは
「ソ、ウルやめ、て」
ガンッ!と、俺は頭を鈍器で殴られたような鈍い痛みと黒いものに襲われた。立っていられなくて、吐き気がした。前からこの感覚に何度も襲われていたような気がしたが、考えてる内に何か眠気のようなものに襲われてた。
ふと、マカが泣いているのが見えた。
ないてる、助けないと、あいつ、よわむしだから、誰も気がつかないから、俺が、たすける、マ、カ、…
そこから俺の意識が途切れて、何も覚えていない。
俺は元気にくるくる動いて笑う、そんなマカが好きだった。
病室で赤い髪がどうしようもなく虚空を見つめていた。
マカは一命をとりとめたが、右足の神経と両目の神経がぶつりときれてしまってもう歩くのも見ることも出来ないと宣告された。
「なんで…マカが…」
スピリットは俺を責めない。
「パパ、泣いてるの?」
すすり泣きのような音でマカが気がつく。手を伸ばす、が、スピリットが居る方向が分からないからマカの腕は曖昧にさ迷う。
泣かないでよ、パパ
そう言って白いベットの中で口角を上げる彼女は、それしか出来ないから。
彼女はなにも知らなかった。
フリをした。
次にドアを開けた時にはもう
マカは俺を呼ばない。
忘れたフリはもう終わり。気がつかないフリももう終わり。
思考が麻痺したお姫様は、もう何が真実か知っている。
「マ、カ」
ピーターパン症候群
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