スタンド・アップ

「Hey,hey you! one shot!」

 未だ慣れぬ英語で声をかけられて振り返ると同時、シャッターの降りる音が響いて思わず仕事の顔を作る。
 慌てて表情を締めたが、きっと間抜けな一枚になってしまっているだろう。
 自身の顔が今どれほど締まりないものか、いい加減自覚している。
 振り向いた先に居たカメラを携えた男は、いい笑顔でそのコダックを掲げると再び英語で話しかけてくる。
「Please let me take a picture of a snap. 」
 英語にあまり自信はないが、簡単な会話くらいならこなせる。どうやらスナップを一枚求められているらしく、男の荷物のなかに"VOGUE"の文字が見え隠れしていた。
 おお!とそのビックネームに驚いていると、男が ん?というような顔でこちらを覗き込んでくる。
 そして、はっと思い出したように頷いたかと思うと、「Are you Ryota?」とそう聞いてきた。
 その質問にこそ驚いてしまって、嬉しくなってぱっと咲かせて笑顔になると大きく頷いてみせる。
「Yes. I'm U.S.VOGUE debut! 」
 これで僕もアメリカ版VOGUEデビューだね――そう、拙い英語でちゃかすと、男も嬉しそうにカメラを構えてくれた。
「〜〜〜〜〜〜」
 撮りながら、男がまた何事か言ったが、しかし今度は訛りや早口であった事から上手く聞き取れない。聞き返そうと耳を傾けたとき、後ろからまた別の声があがった。
 振り向くとかつてより何回りかガタイのよくなった気がする彼が立っている。
「VOGUE Paris のエースがアメリカに何の用?だとよ。」
 どうやら、先程の男の言を通訳してくれているらしい。
 万遍の笑みで、変わらぬ笑みで、これにも答えてやる。ここ数年ですでに馴染んだフランス語を、果たして彼は理解出来るだろうか。
 しかし、言葉など必要とせぬほどすでに琥珀を透かしたような色の瞳がありありと語っている。

「 Est venu vous voir ! 」




  あなたに、会いに来ました




 年が明けてから春先までは、世界各国で立て続けに大きなファッション・ウィークが開催される、モデルとしては大変忙しい時期だ。
 ミラノ・メンズに始まりパリ・メンズ、パリ・オートクチュール。その後ニューヨーク、ロンドンまたパリとあって、そして東京。東京は他とは違いひと会場開催ではなく、またウィークと言うよりもマンスリーなのだが、とにかく年が明けてから4月の末頃まで、モデル業界は慌ただしく回転する。といっても、6,7月頃になればまた春夏のショーが開催されるのだから、モデルにオフシーズンなど無い訳だ。
 黄瀬も、メンズ・ミラノ、パリと続けた後、慌ただしくアメリカへと渡っていた。ニューヨークにて出番を終えた後は、ロンドンだ。最終日のメンズ・デーにてフル回転する予定だった。
 アメリカに降り立った黄瀬はロサンゼルスの街を散策していた。
 アメリカ合衆国自体ははじめてではないが、モデルの仕事となると、やはりニューヨークで行なわれる事が多いので、LAは実ははじめてであった。
 ところで、ニューヨークのコレクションの為の渡米であるのに、なぜ反対海岸のロサンゼルスに居るのかと言うと、理由は簡単、ある人物に会う為だった。
 パリでのショーを終え、その後の直近のパリ・オートクチュールでは出演予定の無かった黄瀬は、その間オフ日を数日与えられていた。その数日を利用し、はやめの渡米を行なった黄瀬はロサンゼルスへと寄り道をしていたのだ。
 ある人物とは、言うまでもなくあの人物なのであるが、その彼は現在カリフォルニア州はロサンゼルスに本拠地を置くNBADL所属のプロバスケチームにてプレーをするプロバスケットプレイヤーだった。
 彼――青峰大輝の突然のパリ訪問から、一年が経過していた。
 昨季、目覚ましい活躍を見せた現在NBA・NBADL唯一の日本人選手は、MIPなる年間で最も成長の見られた選手に贈られる名誉ある賞を獲得すると、今季もより一層の活躍をみせている。
 ロサンゼルスは、NBAの強豪チームを2チームも所有する土地故、未だ青峰の知名度はあまり大きいものではなかったが、それでも、今季はオールスター戦にも若手枠で選出され、徐々にそのファン層を広げていっている。
 黄瀬のスナップを撮り終え、思いがけず第一線級で活躍するモデルを撮影出来た事に喜び勇んでデータを確認していた男は、ふいに、撮影が終わるのを傍らで待っていた青峰に目を留めると、漸く思い出したとでも言うような顔をして、大声を上げた。それを、黄瀬はアメリカ人は声が大きいってホントだなあ、などという心地で聞いている。
「あんた、アレだ!ディフェンズの選手だろ?」
 バスケットボール派は兄貴で俺はフットボール派だから詳しくはないんだが――と言いながら、うんうん唸って名前を絞り出そうとしている。
 青峰は、たしかにLA D-Fendsのプレイヤーだ。最近、やっとこうやって声をかけられるようになったのだと、黄瀬と電話でかわしていたところだ。
「ああ、ダイキだ!」
 会心の笑みで言った男に、青峰はyes.と答えて男の激励に礼を言った。
 人好きのするその男は未だ駆け出しのフォトグラファーで、こういったスナップカメラマンなんかをやっては生計を立てているのだと言う。
 時にはスポーツカメラマンにも様変わりするから、次会ったときはよろしく、と言って青峰に握手を求めていた。そして黄瀬には、「アメリカ版VOGUEでカメラアシスタントも時々やってたりするんだ。リョータをいつかこの手でちゃんと撮れるように、頑張るよ」と言って、名刺を差し出すと拙いお辞儀をした。
 気のいい人物で、そんなお茶目な仕草に黄瀬も笑うと、自身も名刺を取り出して男に手渡す。
 「約束だね。いつか、僕の事を撮ってね。」――とそう片言混じりで伝えると、男は感激したようにハグをしてくる。
 ここ数年で、ハグ文化にもキス文化にも手慣れたものな黄瀬は、優しくそれを受け止める。もとより気に入った人物にはスキンシップ過多の傾向のある黄瀬には、こういうことに関しては馴染むのは早かった。
 男――Josephと名乗ったカメラマンは、黄瀬や青峰と同年代の、未だ若い駆け出しのカメラマンだった。異国に出てから、仕事を本格的に始めてからはとくに、こういった出会いや人間関係を大切にしようと思っている黄瀬は、丁寧に名刺を仕舞うと、やっと青峰の方を振り返る。
「ごめんね。待たせちゃったっス。」
 街路樹に身を持たせて待っていた青峰は、上体をおこすと「いや」とだけ言って小さく笑った。
 口にはしないが、昨年のあのパリ以来、黄瀬の仕事ぶりを見るのが青峰は好きになっていた。紙媒体も以前よりチェックするようになったが、やはり生の仕事ぶりを見る方が楽しい、そう思う。
 日本にいたころは、未だ"仕事"をしている黄瀬と"普段"の黄瀬の違いに違和感や戸惑いを覚える事の方が多かった。しかし、あの頃よりも黄瀬の仕事時にみせる雰囲気や表情は、風格を増し青峰を納得させるに充分であったし、それになにより青峰の見方が変わった。仕事の顔も、姿も、黄瀬が持つ様々な面のなかのひとつなのだと素直に受け入れられるようになった。青峰自身とて、きっとそういった数多くの面を併せ持っているのだろう。
 そのなかには、黄瀬しか知らない青峰の一面、というものもあるはずだ。
 たとえば、今のようにふとした瞬間見せる、なんとも言えない笑み――――その笑みを見ると黄瀬は、どうしようもなく"ただいま"と言いたくなる。だから黄瀬は、いつもその笑みにこっそりと、心の中でだけ呟く。

(ただいま、青峰っち)



 黄瀬がロサンゼルスに滞在出来る期間なんて、ほんの数日だけだった。
 2日後の夕方の便には飛行機に乗り込んで、ニューヨークを目指さなければならない。そこで連日ショーを行なって、そしてショー終了後の夜間便で今度はサウスダコタだ。そこでまた2日をすごして、次はロンドン。
 ロンドンでのショー出演は最終日のみだからまだ良かったが、これでも結構ギリギリの日程だった。
 しかしそうまでして来たい理由がロサンゼルスにはあったし、サウスダコタにもあった。前者はもちろん青峰に会いに。そして後者は、NBADLオールスター戦を見に――だ。
 今年のNBADLオールスターはサウスダコタ州スーフォールズにて開催される。
 青峰に、オールスターに選出された旨を聞いた瞬間から黄瀬はもうこのゲームを見に来る事に決めていた。ショーの関係でアメリカに滞在するうちに、1試合くらいは必ず見ておきたいとは思っていたが、それがオールスター戦だなんてすごいことじゃないかと、黄瀬は少々の無理なら通して日程を詰めに詰め込んだ。
 ちょっと仕事が大変なくらい、ぜんぜんへっちゃらだと思っていた。
 ほんの一年前までは、青峰に再び会えるのはいつかと、半ば絶望にも似た気持ちで思っていたのだ。その状態に比べれば、こんなもの。
 青峰の、現在の生活がある街をふたり並んで歩く。
 時折周辺の建物や観光名所の説明を受けながら行くこの街は、たとえ来るのが初めてであろうと、すでに黄瀬にとっては"特別"な土地だ。
 故郷の日本。現在の自分のホーム、パリ。そして青峰の現在のホーム、ロサンゼルス。このみっつは、仕事柄どのように世界中を飛び回ろうとも、一等特別な価値を持っているのだ。

「ふふ、青峰っちとデートだ。えへへ、うふふ、」

 ほっておいたらずっと締まりのない笑みを浮かべる顔は最早、手の付けようがなく放置であった。それを、さきほどからずっと青峰が嬉しそうにも、呆れたようにも、どうにも複雑な顔で見守っている。
 バーカ、と相変わらず口悪く悪態を吐いたが、その声音もどこか優しかった。

「おら、へらへらふらふらしてねーで、飯行くぞ!」
「はーい!」

 既にその日の昼食は決まっていた。黄瀬が事前に、「青峰っちが普段行ってる場所に行きたい!」と強固に主張していたのだ。
 なので、青峰は自宅からもクラブハウスからもさほど遠くない、普段からよく通っている飯屋へと黄瀬を連れて来た。
 飯屋と言うよりも夜間の酒を出す時間帯の方が店は本領発揮とでも言うように賑わいを見せるのだが、昼に出されるケバブもコレがなかなか、絶品だった。
「よおダイキ!お?今日の連れは初めて見る奴だな!」
 中東訛りのある若い店主が声を上げてふたりを出迎えた。
 慣れた様子で、いつも座るの席なのかカウンターに腰掛ける青峰にワクワクと付いて行って、黄瀬もその隣に着席する。
 この時期のロサンゼルスは、日本で言うと初夏のような暖かさの過ごし易い時期だ。しかし滅多と降らない雨がこの時期は集中して降ることも多いので、その面では大変であったが、年中気候の良さには定評のあるロサンゼルスらしく、この日も綺麗な空色を上空に広げていた。
 2月ごろのパリと言えば、平均気温が平気でマイナスに片足突っ込むような寒さであるから、ここは天国と言っても大袈裟でない。
 そんな暖かさと日差しの中で、色素の薄く強い光にあまり強くない黄瀬は店内に入った事によりかけていたサングラスを外す。スナップを撮られているときは外していたが、散策している途中にかけなおしていたのだ。
 そんな黄瀬の小顔のおよそ半分を覆っていたサングラスが外された事で、店主は興味深げに窺っていた青峰の連れの顔をはっきりと見る事が出来た。
 すると、予想以上に小綺麗なお顔がお目見えしたもんだから、一瞬驚いてしまって目を見開いた。
「おぉ〜、いやすげー美形な連れだなダイキ。日本の友達か?」
 黄瀬は、日本人離れした体型や色素を保有しているが、それでもどことなくアジアテイスト漂う、オリエンタルな容姿の持ち主だった。
「ああ。今はパリに住んでんだけどよ、黄瀬涼太っつんだ。」
 中東訛りに苦戦しながらもどうにかヒアリングは出来ていた黄瀬は、青峰に紹介されてにこやかに挨拶をする。
「どうも!黄瀬涼太です。青峰っちとはジュニアハイの同級生なんスよ〜」
「リョータね!アンタもバスケットプレーヤー・・にしちゃ細いか。」
「シニアハイまでは俺もやってたんスよ〜今は引退して、モデルしてます!」
「ああモデル!納得だ。」
 黄瀬が異文化交流を楽しんでいる内に、青峰はメニューの書きなぐられた壁板を見遣ってお前も一緒のやつでいいか?とか合間合間に聞いてくる。
 それに、ぜんぶ青峰っちにお任せで!と元気よく返事し、店主との会話に戻る黄瀬のこういったコミュニケーション能力の高さにはあらためて呆れるまでもない。
 黄瀬は、人との距離の取り方が上手いし、懐に飛び込むのも抜群に上手かった。
 少々予想はしていたが、やはりここの店主と黄瀬は気が会った様だと、店主は諦めてこれも顔なじみのアルバイトを呼んで注文を言付ける。

「っつか、"アオミネッチ"って!変なあだ名だなー!」
「あー!そんな事言っちゃダメなんスよ!そんけい・・アレ、青峰っち"尊敬"って英語なんだっけ?」
「あ?リスペクトだろうが」
「あ、そっかそっか。 つまり!青峰っちのあだ名は青峰っちをリスペクトしてるからこそなんス!」
「へぇ〜良く分かんね〜ははっ」
「むぅ。日本じゃコレは最上級の敬称なんスよ!」
「オイ変な嘘つくな馬鹿!」
「いたっ!」
「あっはは、リョータは面白いな〜」

 和やかに会話をしていると、アルバイトくんの手によってケバブ2人前が運ばれてくる。まったく仕事をしていない店主は、机備え付けのトッピングソースの説明だけをしてようやっと席を離れて行った。
「うはぁ、さすがアメリカサイズ〜」
 黄瀬が、少々困り気味に皿に乗ったケバブを手に取りながら言った。
 きっと、以前よりも食が細くなった黄瀬には、ビックサイズのケバブに付け合わせのポテトやサラダまで含めたこの大皿は、食べきれるか怪しいラインなのだろう。
「食いきれなかったら俺が食ってやるから、無理すんな。」
「ふふ、ありがとっス〜。わっ!でもこれおいひいっふね!」
「食ってから話せ!」
「ふぁい。」

 腹ごしらえを済ますと、ふたたび街へと出てゆっくりと散策を開始する。
 最終的な目的地は青峰の自宅であり、歩くにはそこそこの距離があるのだが、ふたりとも健脚の部類であるし、なにより久しぶりにじっくり会話しながらの道のりは全く苦にならなかった。
 話す事と言ってもほんとうに他愛ない事ばかりだ。さきほどの飯屋の店主の武勇伝やら、最近あった面白い事、試合の話、ショーの話。
「この前の練習試合でミスパスが監督の頭に当たっちまってよ」
「ヒールでつまずきかけちゃってさあ。でもコケはしなかったっす!」
「あ、そういやお前がモデルしてた時計、スポンサーから貰ったぜ」
「最近家からちょっと行ったとこにストバス出来るとこ見付けたんスよお」
 会っていなかった間の、互いの欠片を知っていく。
 知らない期間の話を本人自身から聞く。心地いい時間だった。

 そうして日も暮れ出した頃、そろそろ自宅にも近いのか、住宅が目立ち出した一角で、青峰がふと気付いたように顔を上げた。
 黄瀬もその視線を追って行くと、青峰に負けぬほどの長身が向かいからやってきていた。
 ガタイのよさからも、青峰と同業の者だと黄瀬は瞬間的に悟る。
「ん?おお、ダイキか。」
「よう、ヴィル。」
 "ヴィル"、と呼ばれた男は青峰よりほんの数cmだが背高の、プラチナのように色の薄い金髪の持ち主だった。日の暮れ出した不鮮明な中で、辛うじて黄瀬は男の瞳がやさしいヘイゼルグリーンであることを知る。
「そっちは?」
 その瞳が黄瀬の方を向く。黄瀬は笑顔を乗せて、「黄瀬涼太です」と自己紹介をする。
「ああ、もしかして、モデルやってるっていう?」
「そうです。聞いてるんですか?」
「うん。少しね。」
 ヴィルは大きくて口角の上がり気味の口でにこやかに笑うと、なんだかすごく嬉しそうな顔でハグを求めて来た。
 それに抵抗せずに、黄瀬もヴィルを受け入れる。
 顔の造形などからドイツ系の匂いを感じるが、英語にはそこまで訛りはなく綺麗なアメリカ英語であったから、ドイツ系アメリカ人だろうかと推測する。
 青峰よりもずっと厚みがあって、大きくて太い身体だ、黄瀬なんかとは、根本から造りが違うような立派な体躯だった。
「会ってみたかったんだ。」
「?」
 ハグを解いて、満足したようにひとり頷きながら言ったヴィルの発言の要領を、あまり掴めずに黄瀬は首を傾げてしまったが、そのような所作にもヴィルは愛くるしさを感じたように破顔して、最後に黄瀬の頭を優しく撫でると、青峰に向き合って言う。
「よかったな。」
「・・・まあ。」
 どこか、意味深なやり取りをするふたりに黄瀬は状況がつかめず、ヴィルの腕を頭に乗せたままにふたりの様子を見守る。
 合わせていた目線を外しすこし照れるようにして首元をかいた青峰に、ヴィルは今一度大きな口を広げて笑うと、じゃあまたな、と言ってさっさと行ってしまった。
 なんだったんだろう、とそういえばかけわすれて首元にかけっぱなしのサングラスを弄りながら、未だ微妙なままの顔をした青峰を見上げて黄瀬はチームメイト?とだけ尋ねた。
「ああ――・・大学も一緒で、2コ上の先輩でよ。」
 青峰の大学時代のことを黄瀬はあまりまだ知らない。そのころはまるまる、会いも連絡をとりもしていなかった時期だった。青峰のことを黄瀬が知らないように、また黄瀬の当時も青峰は知らなかったが。
 こうして、再びいろいろな事を話すような間柄になって、少しずつ、少しずつ、空白の6年間の隙間を埋めて行っている。
 黄瀬はまた、新しい青峰のことを知った。

「色々世話んなってんだ。ヴィルも元は留学生でよ、事情は分かるっつって。」
「えっそうなんスか?綺麗な英語だから、てっきり・・」
「な、だよな。俺も最初は驚いた・・・・でさ、」
「うん」
「お前の事も、唯一、話してる相手なんだわ。」

 それは予想外の言葉だった。
 ふたりとも、この関係を恥じている訳ではなかったが、それでも世間には受け入れ難い関係である事も理解していた。
 日本でも、特別隠すようなことをしていた訳ではないが、それでも無益に関係が周囲に広まるような真似もしてこなかった。
 なにかあれば関係を公にするくらいの覚悟はあったが、それまでは、無駄な障害を増やしたくはない。この関係のことを、しっかり面と向かって伝える相手は、それなりによく考えて選んで来ていた。

「そっか。」

 それでも、少し意外ではあっても、青峰が選んだ相手であるのならば黄瀬はなにも異論は無かった。
 黄瀬も、僅かな間だがヴィルと接してみて、彼がとてもいい青年であることは一目見て分かっていた。人間関係の複雑な業界に長く身を浸している黄瀬である。そういった人を見る目に、自信はあった。

「お前は?」
「ん?」
「お前は、俺らのことを話せるくらいの、ダチとか仲間とか。出来たか?」

 青峰はとても真摯な瞳をしていた。黄瀬は、なんとなくあの高校3年の最後のふたりの帰り道を思い出す。
 あのとき自分は、ふたり並んで"帰路"につくなんてこと、これが最後だろうなあなどと思っていたのだ。
 しかし、それは最後にはならなかった。今、こうして。ふたりは帰路についている。ここは青峰のみのホームであったが、それでも、青峰にとってこの道が帰路なのであれば、黄瀬にとってもそれは帰路だと思った。

「うん。出来たよ。」
「そうか。よかったな。」
「うん。 前、青峰っちがパリに来たことあったでしょう?そん時に、タイミング悪ーい時に出て来ちゃったあの人っス。」

 一年前のパリを思い出す。ここロサンゼルスとは、比べ物にならないくらいに寒いパリの路地でのことだった。
 精一杯に、周囲に気を配れぬ程にきつくきつく抱き合った記憶。その時にちょうど、裏口からガチャリと現れた彼を青峰は思い出す。
 あまり詳細は思い出せなかったが、案外人を信じるまでが長い黄瀬が、この事を話したまでの人間だ。きっと、いい奴なのだろう。

「アルノって言うんス。スウェーデン生まれなんスけど、すーごい色んな人種が混ざった家系なんすよー」
「へえ。ヴィルは、生まれはドイツだと。」
「あっやっぱりぃ。」

 一瞬、ふたりの間に言葉がなくなって、そしてその間が黄瀬に口を滑らせた。
 言ってから、すこしだけまずったかな、とも思ったが、しかしこれもいずれ話さなければならない事だろうと思う。

「ヴィルの事を疑う訳じゃないんス――――でも、無理しないでね、青峰っち。」

 その言葉を、解しかねるような顔で青峰は黄瀬の顔を振り返った。ふたりのゆっくりとした歩調が、よりゆったりとペースを落とした。

「ほら、俺たちモデルとか、ファッション業界はさ、セクシャリティの問題なんて結構アケスケで。全くないとは言えないけど、他の世界に比べて、偏見は圧倒的に少ないんス。俺の友達にも、普通にいろーんな趣向の人がいるっスもん。」
「――ああ。」
「うん、でもね。アスリートの世界じゃ、スポーツの世界じゃまだまだそうも言えないじゃないっスか。たしかに、偏見は少なくなって来たし、カムアウトする人だって増えて来たけど、けど、それでもまだまだだよね。公にならないだけで、このことで選手生命を追われた人だって確実に存在する。」
「・・・・。」
「俺たちの関係を恥じてる訳じゃ絶対ないっス。こういう趣向を、否定する訳でも絶対にないっス。でも、俺はちょっと、やっぱり怖いし、それは、青峰っちもきっと一緒だって、そう思ってる。この関係が――俺の存在が、青峰っちの負担になることが怖い。そうして、いつか、こうして再会出来た幸せを後悔してしまいそうで怖い。あのまま、あのまま別れたままのほうが良かったんじゃないかとか・・思ってしまうのが、怖い。・・・・ふふ、話半分で聞いてね、青峰っち。こんなこと言ってるけどさ、なんだかんだでどうにかなんだろって思っちゃってるし、深く考えてるようで考えてないからね、俺。」

 黄瀬は、暮れ行く空を見上げた。赤く染まり、そしてグラデーションをかけて群青、ついには濃紺へと埋もれていく。
 そのグラデーションのどこかに、黄瀬はイブ・クラインブルーを見付ける。芸術家、イブ・クラインが生涯を通して愛した色。美しく、孤高で包容力のある深いブルー。黄瀬の好きな色だった。もう随分長い事、黄瀬の耳に居座り続けているブルーもこの色味だった。

「青峰っち、無理をしないでね。でもね、嬉しいよ。」

 ――ヴィルの事。
 そう笑って黄瀬が青峰を振り返ると、話す間じっと見詰めていたのか、ぱちりとふたりの目線はかち合う。

「ああ。」

 青峰はいつものように、言葉少なに低く一言を言うだけだった。
 しかしそれでも黄瀬は笑った。お互いの気持ちは、痛いほどに理解する事が出来ていた。
 ・・・その、アルノって奴。しばしして青峰は、呟くよう囁いた。いよいよ自宅までの道のりも終わりに近付いていた。そのことは青峰しか知らない。もう少しふたりで歩いていたい気分になって、ゆっくりのまま歩調は戻さなかった。

「いつか、ちゃんと会わせろよ。」

 うん、と頷いた黄瀬の金色の髪がさらさらと輝いている。
 この色に青峰は時折、どうしようもない郷愁をさそわれた。
 こうして、その金髪をたなびかせて黄瀬が笑うとき、青峰はひそかに、"ただいま"という言葉を口にしたくなる。けれどそれはなんだか口にしてしまっては勿体ないような気がして、いつも、こっそり、心の中で呟き落とすだけに留めている。
 この時も青峰はこころのなかでひっそりとただいま、と言った。
 黄瀬の金髪が陰り出した陽光に鈍く反射し、まるでさらさらさわさわと自然の草木のように爽やかにナチュラルな佇まいで揺れた。その、決して目に痛くない自然体な黄檗のような色が、青峰は好きだった。





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 青峰っち
/高校卒業後、アメリカ・ロサンゼルスのバスケ強豪大学へ
/大学卒業後はNBAの下部リーグ、NBADL(NBAデベロップメントリーグ)のチームへ入団
/現在アメリカ・ロサンゼルス在住
/所属チームはLA D-Fends
/プロ2年目にMIP(年間最も成長した選手賞)を受賞

 黄瀬
/高校卒業後、フランス・パリへ渡りモデル活動を開始
/ショー、雑誌媒体を中心に活動中
/現在フランス・パリ在住
/パリを活動の拠点に、欧州・北米中心に世界を飛び回る日々
/業界では注目のモデルとしてそこそこの地位を築きつつある


オリキャラ

 ヴィル
/青峰っちの大学の2コ上の先輩で現在はチームメイト
/ドイツ出身、高校入学に際しアメリカへ

 アルノ
/黄瀬と同じ事務所所属のモデル
/フランス育ちであるが、両親はスウェーデン系イギリス人とピエ・ノワール系ユダヤ人で、家系の人種がしっちゃかめっちゃか


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