スタンド・アップ
/高校卒業後、道を違えたふたりは長い間、会う事も声を聞く事もなく、それぞれのフィールドで戦い続けていた・・・・という感じの未来捏造なお話です。オリジナルキャラクターも大量に出てきますので、お気をつけ下さい。




「ばいばい、青峰っち」


 高校に上がってから、部活や学業の隙間を縫って地方や海外に長期で撮影の為渡る事も増えていた。故に、俺のキャリーケースはそこそこに使い込まれていて、傷も多い。俺はそれ以外にキャリーケースを持っていないし、彼の前でもそれを使っている姿を見せて来たと思う。
 そんな彼が、故意か偶然かは知らないが、俺と同形のキャリーケースをこの場に引き摺って来た事がなんとなく嬉しかった。
 きっと彼の事だから、意識の端に俺の使っているケースがなんとなく残ってて、無意識に同じ形のものを手に取ったのだろう。新品の、傷一つない彼のキャリーケースは、空港のひらけた空間の中、清潔な照明たちに照らされて眩しく輝いていた。
 それは、彼のこれからの新たな挑戦を、そしてそれに踊る彼の心を示すようだった。

「青峰っちなら大丈夫だよ。いってらっしゃい」

 目を細めてその言葉を受け取った彼は、滅多にないほんとうに優しい笑みを浮かべると、ああ、と声に出さずに頷いた。しっかりと、した首肯だった。
 そしていつものように自信満々な口振りで、――――





 ――――高校最後の大会が終わり、キセキの世代と呼ばれた面々もそれぞれの部活を引退する時期となった。
 大会の勝ち残り具合によって、引退の時期はそれぞれだったが、しかしその最後の大会、決勝の後の場にてキセキの世代は久しぶりに勢揃いとなり、その時言葉少なにそれぞれの将来を激励し合った、その時こそが、真に"引退"というものを意識した瞬間だったと黄瀬は後に振り返る。
 その時、具体的な進路を語る者はだれもいなかった。
 ただ、言わずともなんとなく、情報を小耳に挟んでいる者もあった。
 緑間は医大へ進学し、今後はバスケにこれまでのように打ち込む余裕はなくなるだろう。紫原はすでにbjリーグ・JBL双方からスカウトがきており、交渉は大詰めにきているらしい。赤司は大学進学、志望校はすべて日本の名だたる名門大学である。黒子はすでに東京の私立大に進学を決めている。文学を学び、そしてサークル活動としてバスケは続けるらしい。
 そして青峰は。

「いやあ、今日の試合すごかったっすねー」

 暗がりに埋もれた街を歩いていた。黄瀬は高校の途中から実家を離れ一人暮らしをしていたが、先日からは実家に帰っており、こうして久しぶりに青峰と帰り道を共にしていた。
 先日の準決勝。黄瀬有する海常高校は青峰の在籍する桐皇学園に僅差で負けた。たったの、2点差だった。
 最後の最後、青峰のディフェンスを完全に躱した黄瀬は模倣能力を発動させずとも、すでに身に染み付いた美しいフォームで華麗な3Pシュートを放った。緑間に教わった、青峰に教わった、そしてそれを黄瀬が丹念に噛み砕き昇華させた、完璧なシュートだった。その軌道は、美しい弧を描きそれが当然とでも言うようにゴールリングを潜って落ちた。
 しかし、ボールが黄瀬の手を離れる一瞬前に、ブザーは鳴ってしまった。ポイントは無効となり、逆転は叶わなかった。
 決勝同日の3位決定戦にて見事勝利し高校最後の試合を飾った黄瀬は、その直後の決勝戦にシャワーもそこそこに駆けつけると、齧り付くようにして決勝戦を見守った。
 桐皇対洛山高校の試合は苛烈を極め、いよいよもって高校レベルどころか日本バスケのレベルから逸脱した圧倒的才能を発揮する青峰と、最終学年となりより凄みの増したキャプテンシーと眼力による赤司の攻防に、会場は息を呑み続けた。
 結果は、これも本の僅かな差にて、桐皇学園の勝利となった。今、黄瀬の隣を歩いているのは今大会の最優秀選手である。
 毎年、男女各5名ずつ選ばれる優秀選手賞の表彰で、ズラリと並んだ面子があまりにも見慣れすぎた面子であったのに、黄瀬は思わず笑ってしまった。相変わらず影の薄い黒子は残念な事にそこには居なかったが、それでも、久しぶりに5人横一列に並ぶと、自然と中学のあの頃のことを思い出した。
 着ているジャージは5種5様だし、それぞれが今大会で得た結果もまるで違う。優勝、という二文字を得る事が出来たのは5人のうちで青峰ただひとりだ。しかしそれでも、黄瀬はこのキセキのみんながいつまでもどこまでも、"仲間"であることに変わりはないのだと、この時実感する事が出来た。
 この大会は、きっと後世まで長く語り継がれるだろう。
 日本バスケに、革命が起こされた大会なのだから。
 これからの日本バスケ界を確実に牽引していくだろう数多の芽がその才能を最高に花開かせた年。
 こんな、こんな素敵な大会が最後でよかったと、黄瀬は今噛み締めていた。
 高校最後の記念すべきとも言える大会が今日終わった。優勝に手が届かなかった事はほんとうに悔しいけれど、それでもそんな気持ちもすべて、キセキのメンバーが揃って表彰された瞬間に完全に氷解した。
 さわやかな風が吹いていた。
 その風が青峰と黄瀬の間をすり抜けて軽やかに舞っていく。
 ――もう、充分だ。
 自然と、そんな言葉が黄瀬の口にはのぼった。

「いやあ、もう完全燃焼っスよ!これで気持ちよく卒業出来るっスね〜!」

 青峰は、そう言って猫のような伸びをする黄瀬を見遣って眼を細める。
 全くだ、と言うように、深いため息を吐いた。
「ったく、クタクタだせ。さすがに2,3日バスケはいーわ」
「あははっバスケ馬鹿の青峰っちらしからぬお言葉っスね〜」
 ちゃかしたように笑いながらも、黄瀬も納得するように頷く。それくらいに、かつてなく激しい大会だったのだ。さすがのバスケ馬鹿ふたりも連日の激戦に疲れきっていた。
 ゆっくりとした足取りで、大きなスポーズバックを背負った長身ふたりが夜道を並んで行く。
 こうしてふたりしてパンパンのスポーツバックをかるってふたり帰路につくなんて、きっと最後なんだろうななどと感慨に耽りながら、黄瀬はひと呼吸だけおいて質問を口にした。
 なにか決めごとがあって口を噤んでいた訳ではないが、それでも、これを逃してはきっともう機会は訪れないと黄瀬は踏んでいた。だから、少しの勇気を奮って口を開いた。
「青峰っちは、これからどうするの?」
 その問いが、今夜の予定や高校卒業までのそんな直近のことを尋ねているのではないのを、青峰も察しただろう。
 数瞬、考えるように黙ると、青峰は静かに語り出した。
 それはきっと、家族以外にははじめて明かす話であっただろう。桃井からも黒子からも、誰からも聞くことがなかった青峰の今後。

「――大学のスカウトマンから、個人的に興味を持ってるっつって打診があった。」
「うん。」
「ただ委員会に通すには未だ押しが弱いから、この大会で相応の結果を出して、実力を示せば、奨学金含めスカウトを本格的に検討すると。」
「そっか。」
「おう。」

 ふたり、視線を交わさずにずっと前だけ見ながらの言葉でも、お互いの声音が真摯にお互いだけに向かって発されているのがありありと分かった。
 不器用そうに、数口口籠った後、青峰はもう一度口を開いて宣言する。

「行ってくるわ。」

 黄瀬は、ずっと前だけ見詰めていた視線をようやっと青峰のほうにやった。眩しそうに、眼を細めて、やさくし見守るように数センチ上の彼の顔を注視した。
 それに答えるように、青峰も足を止めふたりは向き合う。
 いってきます、そう言って、なんと答えを返して欲しいのか。次にふたりの間に生まれるであろう言葉をふたりともが、分かっていた。

「うん。いってらっしゃい。」

 バスケ少年が笑った。彼が"少年"として笑うのはこれが最後であろうと、黄瀬は瞬間的に悟る。これから青峰は、ぐんぐんと大人への階段を上って行くだろう。
 きっと、素敵な――この俺が見込んだ男だ、と黄瀬は確信している、きっと素敵な、バスケットマンになる。
 満開の、少年のような笑顔を黄瀬も返した。

 手を繋いで、感触を確かめるように強く握り合って、そうして離す。
 長い別れを、ふたりともが予感していた。



 卒業式を終え、春の兆しを僅か見せるなかで、面々は空港の広い広いロビーの片隅にて数ヶ月ぶりの集合を果たして居た。
 部活引退後もストバスなどで度々顔を合わせる面子もあったが、こうして一堂にに会すとなると、中々機会がない。大学受験真っ最中の者も多かったし、紫原などはすでにプロチームへの練習参加の為地元を離れていた。それは火神も同じで、火神はアメリカへ帰ることも検討していたが、一先ずは日本リーグにてバスケを続けて行く事にしたらしい。
 真新しいキャリーケースを引いて現れた青峰を、そんな面々は口々に激励した。
 その後、見事に奨学生としての席をゲットした青峰は、高校を卒業後直ぐ、間を置かず旅立つことにした。
 行く先は、アメリカ。
 言語から何から、取り敢えず慣れない事ばかりである。出来るだけ早くアメリカに渡り、大学入学までにその空気に慣れておきたかったし、本場のバスケにも触れておきたかった。
 旅立ちの日だ。
 別れの、日だ。
 それぞれが、そのような思いを胸にしていた。桃井などはすでに涙ぐんでおり、先程から黒子の影に隠れては目尻をハンカチで拭っていた。
 きっと、あの世話の焼ける大ちゃんが――と、母親のような気持ちになってしまっているのだろう。
 そんな桃井は、すでに大学進学を決めており、今後は大学で医学を学ぶ事となる。整形外科学、解剖学、生理学、栄養学…スポーツ医学と呼ばれる分野だ。

「大ちゃん、頑張って来てね。私達も、それぞれ頑張るから。」

 部活引退とともに、肩まで一気にカットされた桃色の髪の毛がその決意の証のようなものだった。ショートカットになって一段と大人っぽくなった桃井の瞳にも、そしてメンバーそれぞれの瞳にも、決意が宿っている。
 まだ若い人生のなかでも、特別で、浅からぬ縁を絆を結んで来た面々を、これから繋ぐものは"バスケ"ではなくなる。彼らの唯一が、バスケではなくなるのだ。それは少しだけ、寂しい。しかしそれが大人になるということだった。
 今後もバスケを続ける面々だって、バスケばかりにかまけてはいられなくなる。
 いち早くプロとして社会人の仲間入りを果たす紫原や火神には、社会人になる相応の試練がいずれ与えられるだろう。大学でバスケを続ける黒子にも、文学と言う自らで選択した学業がある。
 そして青峰とて、"バスケ"をしにアメリカに渡るとはいえ、異国にひとり飛び込むのだ。バスケをする以前の、相当な困難が待ち受けているだろう。
 そして――――

「あーっ!遅れてごめんっスー!」

 広いロビーの片隅とはいえ、日本人離れした長身がより固まり少なくない注目を集めていた集団のもとに、一層に目立つ奴が声を上げて近付いて来た。
 相も変わらずきらきらしい金髪を靡かせて駆け寄って来た黄瀬は、ふぅ、と息を整えながら荷物を足下に下ろす。

「もう遅いよきーちゃん!なにしてたの!」
「こんな時に遅刻とは、相変わらず仕様がない子だな、涼太」
「あ、黄瀬ちんおひさ〜キャラメルいるー?」
「大きな声をだすな。ただでさえお前は目立つのだよ、黄瀬。」
「よう黄瀬。なんだお前痩せたか?」
「彼は今モデル用の体型に落としているそうですよ、火神くん。ところで黄瀬くん、その大荷物は――?」

「ふふふ、みんなそんな一気に言っても答えらんないっスよ〜」

 相変わらずの笑顔でふわふわと皆の顔を見回すと、最後に黄瀬は正面に立った青峰の顔を覗き込む。
 青峰の傍らにあるものと同型のキャリーケースが、黄瀬の傍らにもあった。
 マットなカラーリングの、クラインブルー。深みと翳りと、そして孤高の匂いをさせる美しい青の色味だ。その黄瀬のキャリーケースは、青峰のものよりもずっと使い込まれ、端々にはいくつかのキズもみられた。
 これは、黄瀬が挑む大きな仕事には、必ず付いて来たものだった。
 黒子の疑問に、他の者も怪訝そうな目付きになって黄瀬を覗き込んでくる。
「ほんとだ、凄い荷物。もしかしてきーちゃん大ちゃんに着いてく気!?」
「まさか・・でも黄瀬なら有り得るのだよ。」
「黄瀬くん?」
 しかしそんな疑問にも、黄瀬は青峰を見詰めたままに笑っていて、最後に黒子がもう一度首を傾げるように尋ねると、ひとつ頷くだけを返した。
 じっと琥珀を透かしたような色の瞳を向けてくる黄瀬を、見詰めかえす青峰もその目で疑問を問うていた。
 黄瀬の笑顔が、いつものぱっと花開くようなものから、一瞬でとても大人びたものへと変わる。その変貌を青峰はありありと見て、黄瀬の内の強固な決意を本能で感じ取った。

「ちがうっス。俺はアメリカじゃなくて、フランスに行くんス。」

 その一言で、疑問を抱いていた一同もそれぞれはっとしたように事を悟った。
 フランス――黄瀬が懐から取り出し掲げた航空チケットには、確かに"PARIS"と印字されていた。
 パリと言われれば、幾らバスケ馬鹿のオシャレ音痴どもと言えど、連想する名がひとつくらいはある。パリコレ、つまり、ファッションの最先端の地であるということ。

「あ、今季のに出る訳じゃないっスよ?もう始まっちゃってますから。」

 まさか、と驚いた顔をする桃井に答えるように、ぱっといつもの笑顔に戻して黄瀬は言う。視線は青峰に向けたままだった。

「実は年明けにもちょっと行ってたんス。ショーを見に。その時に声をかけてくれたエージェントが居て、で、本格契約の為に今回は行くんスよ。」

 あ、と誰かが声を漏らした。それと同様に、青峰も悟ったように口を開いた。

「向こうに住むのか。」
「うん。」

 あどけない返事だった。
 しかしそれでも黄瀬の瞳の奥に宿った決意の光は揺らいでは居なかった。

「今回のエージェントから声がかからなくても、元々パリには渡るつもりだったんス。日本の事務所の方も、日本人で190越えはなかなか無い素材だから、是非挑戦して来いって。」

 高校在学中にも留まる事なく背を伸ばした面々は、かつて中学を共にしていたときよりもまた一段と長身になっていた。紫原の長身は言わずもがなであり、青峰・緑間、そして火神も190を越して久しい。それと同様に、黄瀬も高校最後の身体測定の際には192cmとなっていた。パリ事務所に送る資料には、さらに計りなおして、データには Height/193 とある。
 骨格もボディバランスも、顔の造型も申し分無い逸材だ。そのうえに天性の風格を持ち合わせている。フィールドを世界に移す事も、当然と言えば当然のように思えた。

「そうか。」
「うん。」

 青峰と黄瀬の間に沈黙が落ちると、空気を見計らったように、黒子が「では、」と割って入って来た。
「では、僕たちはそろそろ。」
「あ、はいっス!」

「黄瀬くんも、青峰くんも。応援しています。」
「人事を尽くすのだよ。」
「帰って来たときはお土産よろしく〜。」
「きーちゃんも大ちゃんも、今度遊びに行くね!」
「黄瀬、急で驚いたが頑張って来いよ。青峰、俺も近いうちそっち行くからな!」
「ふたりとも、常に頂点を目指して怯まず進め――いってこい。」

「うす!」
「おう。」

 それぞれがそれぞれの顔を見回して、最後に笑顔になってその輪は解散した。
 空港ロビーを出入り口に向かって消えていく背たちを、黄瀬はいつまでも見送ると、桃井がチラチラと振り返る度大きく手を振った。今日は黄瀬自身の旅立ちの日であったが、それは日本に残って頑張る皆をも見送り、応援する為のような、とても大袈裟な"バイバイ"だった。
 最後に振り返った桃井の瞳が決壊寸前であったのを見、黄瀬は苦笑を漏らして腕を降ろす。
「桃っち、真っ赤になっちゃってたね。」
 ひとりごとのような呟きを、青峰は黙したまま聞いた。桃井は、長い付き合いの仲間たちの中でも特に共に過ごした時間の長い、濃い、特別な幼馴染みだ。
 そんな彼女の感極まった様子に、感じるものがなにもないようなそんな薄情な人物では青峰もなかった。
 分かり難いが、これでけっこう目頭にきているんだと、黄瀬は理解しているうえでの発言だった。
 青峰は、家族と言ってなんら不足ない桃井のあの涙によってこそ、真実に"日本をこれから離れる"ということを実感していた。
 しばし、ふたりして言葉が出ずに、沈黙のまま立ち竦んだ。


「ばいばい」


 そして唐突に黄瀬は口をついた。
 飛行機の発着を知らせる電光掲示板を見上げて、まっすぐに[ パリ/シャルル・ド・ゴール エールフランス ]の文字を見据えて。
 青峰も同様に振り返ると、[ ロサンゼルス ユナイテッド航空 ]の文字をしかと見た。
 同じ型のキャリーケースがふたつ並んでいる。色違いの。
 マットな塗装のイブ・クラインブルー。光沢のある、金を混ぜたような塗装の黄檗。ふたつ並んでいる。

「ばいばい、青峰っち。」

 長い別れを、ふたりともが予感していた。

「青峰っちなら大丈夫だよ。いってらっしゃい。」

 目を細めてその言葉を受け取った青峰は、滅多にないほんとうに優しい笑みを浮かべると、ああ、と声に出さずに頷いた。しっかりと、した首肯だった。
 そしていつものように自信満々な口振りで、――――口角を上げたままに言った。


「いってこい、黄瀬。」


 成田国際空港、ターミナルロビー。北ウイングと南ウイングにそれぞれ別れるためふたりは背を向け合った。
 正反対の方向に向かったふたりはもう振り向く事をしない。
 今日は悲しい、別れの日。黄瀬も青峰も自身の心に宿る一抹の寂しさをちゃんと把握していた。それでも、今日は旅立ちの日。大いなる希望を抱くべき日。
 ふたりの一歩一歩はとても逞しく、美しかった。
 その脚はいつか立派なランウェイを歩む足だ。
 いつか大歓声の中コートを駆ける足だ。




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