スタンディング・スタート
/時間のながれが、けっこうはやいです。早いというかポンポン時間を飛ばして書きたいところと重要なところばかりを書いているので、"ウイング1"から"ウイング2"の間には一年以上の時の経過があります。
 "ウイング2"のお話の中では、冒頭から終盤前辺りまで と 最後の一段落分の間に数ヶ月くらいの時の経過が挟まってます。"ウイング2"から"システムオールグリーンからオールレッドへ"の間も。・・・とは言っても、そんな諸々は気にせず気楽〜に読んでもらえると嬉しいです。




 ランウェイを歩くその背筋の伸びた姿に、僕はふいに自分の青春時代というものを思い出させられた。何故だかはよく分からないが、その伸びやかでしなやかな、瑞々しい輝きが僕の心のどこかをくすぐって郷愁や哀愁を齎した。
 大人になり、過去を回想するということを覚えた僕は、近頃ようやっと、"哀愁"という言葉の真意を掴んだように思う。
 胸がときめき、締め付けられ、震え、せつなく戦慄く。この感覚は、きっと年取るごとに増していくものなのだろう。
 自身が大人になった――なってしまったという喜哀の入り交じった複雑な心情。
 僕は、彼のその背筋の伸びた姿を見てそんな気持ちにさせられた。ふいに。
 何故だかはよく分からない。
 ただ、僕は僕らが嘗て精一杯に戦っていた、あの板張りのコートを思い出していた。そして、そこからもう随分が経ってしまったということ。
 美しく磨かれた、ワックス剤の輝くフローリング。材木はメープル。そしてそこを真っ直ぐに伸びた白ライン、浮く180×107cmのボード、その内のたった内径45cmの赤いゴールリング。白紐のネット。凹凸のあるボールの感触。ゴム、合成皮革、天然皮革。あれほどまでに手に馴染んでいた感触を、いま僕は万年筆とパソコンのキーボードへと置き換えている。当たり前だ。もう僕はかつての僕ではなく今の僕だから。今僕は、小説家を志す一物書きなのだから。
 左右を見る。左には今もあのボールをつき続ける彼――彼の戦う舞台は世界最高峰の地だから、きっとそれは天然皮革の最上品だ――と、右には専門書と莫大なデータ・実験に臆すことなく挑む彼女。そして目の前の舞台には身ひとつで世界を駆けるその姿。
 来てよかったと思った。僕には個性的に揺らぐその衣たちの真意はよく分からなかったけれど、それでも感覚で感じ取る事は出来た。普段触れることのない世界を、それも嘗ての盟友越しに見るだなんて、随分感慨深く、素敵な事じゃないか。
 僕はぽつりと、なんだか創作意欲が湧いてきました、と呟いた。
 今、書きかけの物語がある。随分な難産ででもそれでもどうにか生み出したくて、日がな万年筆を握り、そしてパソコンのキーを打ち続けている作品が。
 その僕の呟きを聞いた彼女と彼は、そうだなとでも言うような顔で一瞬僕の顔を見、そしてそれぞれに志すものを透かし見るように舞台のその背を見送った。
 背が舞台袖へとはけていく。そしてまた一時もせず衣装を様変わりさせて出てくる。
 堂々と歩く姿は、とても美しかった。



 関係者入り口から入ってしばしのところ、指定されていた場所にて青峰と桃井・黒子の3人は黄瀬の姿が現れるのを待っていた。
 警備員も、黄瀬から事前に渡されていた関係者用チケットを見せれば了解したように何も言わず去っていった。
 バックヤードは、想像以上に雑然とし、慌ただしい雰囲気で満ちていた。これでもショー終わりということである程度気が抜けている状態なのだから、本番中などまさに戦場といって憚りないくらいなのであろう。
 そんなざわめきから一歩下がった非常階段脇で犇めくモデルやスタッフ達の波を見ていると、ふいにこちらにひょこひょこと近付いてくる黄色頭を青峰は発見する。
 普通の人混みであればお互いの長身故直ぐに相手を見付けられるのだが、ここでは変わらぬ上背のモデル達がそこかしこを歩いている。青峰は背伸びというものを久しぶりにして、その頭が黄瀬である事をようやく確認した。

「黄瀬!」
「青峰っち〜!」

 桃っち、黒子っちも!と嬉しそうに手を振り駆けよって来た黄瀬は、上半身は裸に下は腰にバスタオルを巻いただけと、ずいぶんな恰好で3人の前へと現れた。
 なんて恰好してんだ、と3人に揃って胡乱な目をされた黄瀬は、慌てて首を振って弁解をする。
「ちがうんスよぉ!服はブランドのものなんで直ぐ脱いでお返ししないとだし、今回はメイクとか整髪剤とかけっこう使ってるんで、これからシャワーなんスよ!」
 それに――と確かに言う通り派手なメイクアップの施された黄瀬が慌ただしいバックヤードを指差せば、なるほど、男も女も半裸といわず全裸スレスレで動き回るモデル達の姿が。
「へへ、早着替えとか常なんで、もう皆麻痺しちゃって。律儀にタオル巻いてる俺を褒めて欲しいくらいっスよ!」
 と、腰に手を当て胸を張ってみせた黄瀬に、青峰は呆れたようにチョップを入れて、ならさっさとシャワーに行って来い、と押しやった。
「はいっス!なんで、あとちょっとお待たせするっスけど、こっからもう一階上がって右行ったところに、空き部屋があるんで、そこで待ってて下さいっス。多分控え室Fって張り紙があると思うんで〜」
 そう、非常階段から上を指しながら黄瀬が説明していると、その後ろから唐突にぬっと腕が現れる。
「Ryota!」
「わっ」
 現れたのは、40代に脚を掛けた年頃のイタリア系の顔をした男で、こちらは上質なジャケットに柔らかそうなリネンのインナーと、きちんと着込まれた恰好をしている。
 そのバランスのいいボディや整った容貌から、モデル仲間かとも思われたがどうやらそれは違うようだ。
「Toto!」
 黄瀬に"トト"と呼ばれた男は、ハグを交わすと何事か早口で捲し立てた。独特の訛りがイタリア的ではあったが、黄瀬が聞き取れているようなので言葉はフランス語なのであろう、男の言葉を聞いて黄瀬は嬉しそうに破顔した。
 礼を言ってもう一度ハグをした後に、黄瀬が今度は青峰等を指しながら何事か言う。おそらく、"友人"とでも紹介されているのだろう。
「で、彼はサルヴァトーレ・ロベロ。さっきのショーで着てた服は、彼のブランドのものなんス。」
「ハジメマステ〜」
 陽気な雰囲気漂うサルヴァトーレは、拙い日本語で握手を求めると、自らを指して"トト"と言った。サルヴァトーレの略称であるその名で呼んでくれ、との意味なのであろう。
 ニコニコと青峰等とそれぞれ丁寧に握手を交わしたトトに、黄瀬はまた何事か伝える。そうすると、合点、とでも言うように大きく頷いたトトは次からはこれまたイタリア訛りの強い英語を駆使し出した。黄瀬がフランス語よりも英語の方がコミュニケーションを取り易いと判断して伝えたのであろう。

「君たちはリョータのお友達だね!よろしく。リョータには僕も世話になってるよ。」
「こちらこそよろしく。世話?こいつが?」

 英語での対応に、青峰もそれならばとすらすらと答える。桃井と黒子も、簡単なヒアリングならば出来ているようで、青峰と同じに一様に首を傾げている。
「こいつの方が世話になってるんじゃ?」
「アハハ、たしかにね!でも、僕も世話をかけてるさ。毎回ショーの度に、リョータには無理を言ってでも予定を合わせてもらってるんだ。」
「?」
「僕はリョータが気に入ってるからね。コレクションの中にはリョータが着る前提で最初から裁断を始めるやつもあるんだ。」
 トトは事も無げに言ったが、それはすごい事なんじゃねぇか、と青峰が黄瀬を見ると、黄瀬は照れたような困り顔で、控えめに頬を掻いていた。
 イタリア訛りが強すぎるのか、ヒアリングを確認しあっていた黒子と桃井にもこの言葉を通訳してやると、ふたりとも驚いた顔をして目を見合わせている。
「ダイキ、君もいい身体してるねぇ・・スポーツでも?」
「あ?ああ、アメリカでバスケをやってる。」
「なるほど!うぅん、君も画になりそうだ、いつか僕からのオファーが来ても、蹴らないでくれよ」
 ウインクをしながらおちゃらけてそう言うと、トトはスタッフに呼ばれてその場を去っていった。嵐のような人物に、4人で肩をすくめ合って笑い合う。
「トトって冗談のようで本気のときも多いから、もしかしたらホントに青峰っちにモデル依頼するかも。」
「おいおい、まさかだろ。」
「ふふふ、どうかな〜?」
「うわぁ、大ちゃんがモデルデビューとか!なんか・・・」
「笑えますね。」
「、おいテツそれどういうこった」
「じゃあ俺、シャワー行ってくるんで!またあとで〜」
 今回のトトが発表したコレクションは、全体的に白を基調とした清潔感のあるものであった。しかしそのなかにも、時折指し色として現れる黒や深いグレーが幾許かの毒気をそこに加えて、一筋縄ではいかないイメージを与えている。
 それに合わせたメイクアップは、マシュー・ボーン演出の男性版白鳥の湖に着想を得たとパンフレットにあったとおり、大胆に黒と白を配色したものであり、それらが施された顔を指して痒そうなジェスチャーをした黄瀬は、そう言ってまた喧騒の中へと駆けていった。
 黄色頭が完全に人波に消えたのを確認すると、3人もその場から踵を返す。非常階段を上り、指定された控え室へと向かった。


 黄瀬が再び合流した後は外へ出て、夕食を共にしながら遅くまで話し込んだ。
 この4人でひとつの机を囲む事は、中・高校時代はよくあったことだ。部活終わりやストバス帰りに近隣のマジバに連れ立っていってはくだらない事で騒ぎ合っていた。
 それぞれ翌日があるからと酒はそこそこに控えて、そして最終の電車が終わる前に解散する。黄瀬と青峰の日本滞在ももうあと少しとなっていた。こうして集まることもまた暫しないだろうとそれぞれに思っていて、それを名残惜しみながらも手をふり合う。
 桃井と黒子をホームへと見送った後、黄瀬と青峰のふたりはタクシーを拾う。青峰の実家近くで降ろしてもらい、ふたりは家までのあと100m足らずをそろって歩いていた。

「ふぅ、お腹いっぱいっス。」
「うまかったわ、あそこ。」
「ね〜さすが紫原っちのオススメっス!」
「そーなのか?」
「っス。特にデザート、美味かったっしょ?」
「ああ、確かに・・あいつらしいな」

 夜も更けきり、住宅街のこの路地はすでにとっぷりと帳を降ろしきっている。
 そのなかをふたり、小声で話すようにぼそぼそと会話して行く。
 黄瀬の日本での仕事は明日が最終日となる。そして仕事終わりには東京コレクション全体での打ち上げパーティーがあり、その後も出演ブランドごとの席に顔を出したりと、きっと夜明けまで忙しくしているはずだ。そうして明けた翌日、午後の便には搭乗して黄瀬はフランスへと帰る。帰ったその次の日にはすでにパリ事務所での打ち合わせが入っており、どうしても予定をズレ込ますことは出来なかった。
 もう少しゆっくりしたかったんだけど、と黄瀬は日本に帰国して最初に青峰に自身の日程を説明したとき、とても残念そうにそう呟いた。
 青峰も、すでに来季に向け自主練を始めなければいけない時期だ。日本に居る間もかつての母校の体育館を、一日だけ生徒の指導を行なってやると言う条件で借りて、黄瀬の居ないオフ日には軽い練習に励んでいたが、それでもやはり本格的な設備やトレーナーの居る本国で行なう方がいいに決まっている。
 しばしもせずに、チームでの練習も始まる。黄瀬の日程を聞いた青峰はすぐに自身の予定も決めて、同日の便にてアメリカへ発つことを決めていた。
 つまり、ふたりでこうしてゆっくり出来る夜は、今日が最後なのである。

「黄瀬ぇ」

 明日は、双方仕事できっと会う間もままならない。朝リビングで顔を合わせるくらいが精一杯だろう。その次の日も、朝帰りになるであろう黄瀬をホテルのチェックアウト時間に青峰が迎えにいき、昼を共にしながら午後の便までの時間を過ごす。共に居れるのは正味5時間程度だ。
 ふたりの歩調はしだいにゆるやかなものとなり、時の進みを惜しむように一歩一歩を踏みしめて進んだ。
 青峰の声が暗い路地に響く。それはしっとりとした肌触りで黄瀬の耳へ届いた。
「んー?」
 もうたった数十m先に青峰家の表札は見えている。
 黄瀬は、なんとはなしにその文字を遠目で眺めながらその声を聞く。黒白根の大理石に文字部分を沈み彫りした上品なそれ。黒地にまさに根のように模様の入った白とのコントラストが黄瀬の秘かな気に入りで、もし自分で家を構えるような年頃になれば、これを表札の参考にしたいと思っている。
「俺さ、」
 ふたりは目を合わさぬままに、暗い夜の先を見詰めていた。青峰の声が、某か重要なことを黄瀬に伝えようとしているのは分かっていた。
 黄瀬も耳をすませて、続く言葉を待つ。
「移籍、」
 青峰が呟いた。ぱち、とその言葉には黄瀬も思わず瞬きして、しかしそれでも今にも口をつきそうになる言葉を噤んでただ待った。

「プレイオフやってる時くらいからそういう話がきててさ、条件はそこまでいいって訳でもねんだけど、やっぱ挑戦してぇなって、」
「――そっか、」
「おう。今のチームは、確かに2部だけど優勝争い出来てるし、スタメンも張れてるし、待遇もいいんだけどよ、やっぱ、なあ、」
「うん。・・移籍先は?」

 青峰の返答は、ニューヨークに本拠を置くNBAチームの名前であった。
 予想以上のビックネームに、黄瀬は興奮の鳥肌を条件反射的にたてる。
 ニューヨークには現在、NBAではふたつのチームが本拠地を置いている。一方は、NBA――否、世界のバスケチームを代表するような超人気チームだ。青峰が上げた名前はそちらではないもう一方のものではあったが、それだって、世界的に注目を集め易いニューヨークという土地に籍を置くだけあり人気も知名度も相当なものだ。

「俺はまだそこまで知名度ねえし、交渉がメディアに漏れる事も無かったから、たぶん電撃移籍、って感じで、チーム練習が始まる頃に情報が出ると思うんだけど」
「そっかあ、ニューヨーク・・・、ブルックリンかあ」
「ん。」
「たしか今オフで、移転とか色々あったんだよね?」
「そ、ニュージャージーからブルックリンに本拠地が移転して、新しい競技場も完成して、チームカラーもロゴも一新して、心機一転、て感じ。俺の移籍もそのチーム変革の一環みたいなもんだな。」
「チームカラーが黒白になったんだよね。シックでかっこいいデザインだったから、覚えてる。」
「おう。ま、俺の獲得は余った金での半分オマケってか、実力と伸びしろを見込んではくれてるけど最初は控えの控えってところだろうなぁ。」
「そっか・・これから、大変だ。」
「まあなぁ、これまでも相当だったけど、より、な・・・」
「でも、」

「ああ。――――やっとだ。」

 やっと。そうやっと、本物の世界最高峰の地へと一歩踏み出した。
 デベロップメント・リーグではなく、ほんもののNBAだ。黄瀬の瞳が興奮で輝く、それ以上に、青峰の瞳は様々な思いを交錯させて眩しいほどに光っていた。
 電灯の乏しい暗い路地にもそれは爛々とあきらかで、その力強さに黄瀬はもう幾度目か、この男に惚れ直すのだ。
 がんばってとも、だいじょうぶとも、声は掛け合わない。
 ふたりはすでに、戦うフィールドを違えた人物だ。選手とも、ランナーとも、表現出来るかもしれない。しかしその戦うレールは違おうとも、ふたりはそれでもライバルだった。互いの動向に興奮し、刺激し合い、時にはその成果を認め合いながら笑い、奮起する。
 ショーを見て、黒子が"創作意欲が湧いた"と呟いた。青峰はそのことをふいに思い出していた。
 それも、一緒だ。あいつにゃ負けらんねぇな、という発破を自身の心に黒子はかけたのだ。
 この時期に再び日本に帰り、仲間達と再会した意味を考える。それぞれに、ある程度の地盤を固め出していた。大人として。
 しかし、そこに新たな刺激が欲しかったのかもしれない。盤石――という言葉がチラつき出した今に、喝を入れなおす為に。
 ・・・まあ、考え過ぎか、とふうと息をつき立ち止まる。いくらゆっくりゆっくり歩いたとて、すでに眼前には青峰家の門扉が迫っていた。
 青峰はジーンズのポケットを探り、鍵を取り出し解錠する。そのすぐ後ろから黄瀬が屋内に入り込み、家族を起こさぬように静かに施錠。
 この時間帯にシャワーはうるさかろうしと、朝シャンを敢行する事を無言のうちに決め合って、そのまま客間の布団に沈み込もうと抜き足差し足でリビングを突っ切った。
 その晩は、ゆっくりできる最後の夜をしかと味わうように、狭い一組の布団に身を寄せ合って眠りについた。




 空港、北ウイングに南ウイング。ターミナルロビーを境に全く別の方向へと足を向け合うその光景はまさに7年半前のあの時と同じであった。
 使い込まれ、双方のキャリーケースはその期間に相応しく年季を見せている。
 それでも堂々と滑車を転がすのは、変わらぬイブ・クラインブルーと、黄檗。
 あの時のように頑なに前ばかりを見ず、時折振り返っては何度も手を振り笑い合って、ふたりは別れた。
 黄瀬と青峰の挑戦が終わった訳ではない。ここからこそが、正念場なのだ。これまでをかけてようやっとスタートラインまで辿り着いたと言ってもいい。
 しかしこれからは臆さず互いの存在を求める事が出来る。その存在に奮起し、慰められ、勇気づけられ、支えられて。
 ユナイテッド航空、ロサンゼルス行。エールフランス、パリ シャルル・ド・ゴール行。双方のボーイング777機が飛び立つ。西へ、東へ、正反対の空へ。それぞれの地へ。



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