/冒頭抜粋


 彗星が、近付いているらしい。
 地球へのここまでの彗星接近はおよそ数千年ぶりのことらしく、観測史上最も大きな輝きを放つ彗星になるだろうことが連日ニュースに取り上げられていた。
 ペレキュデス群、クロノス大彗星。
 最も地球に接近したころには、その姿は昼間でも明るくとらえることが出来るらしい。
 青白く目映い閃光が、近付いているのだ。



 ただいま、と、小声で落とした声は静かに玄関を跳ねるとすぅと何事もなかったかのように空気に混じれて消えていった。いらえはない。玄関タイルに転がっている靴を彼の分まで揃えて、静かに家の中へと入る。極力音を滅して、静けさが連れてくる独特の冷ややかさに分け入りながら、疲れた身体をソファへと沈めた。
 肺の底から息を吐く。時刻は深夜だった。もうすでに眠りにおちているだろう彼を、わざわざ起こしたくはない。・・・変わらぬ笑みでただいまと、言える自信がない。
 ――相変わらずだな、と。みんなは言う。いつ会ってもお前らは変わらぬままだなと笑って、そのあとに決まって、すこしだけ微笑まし気に目を細めるのだ。みんなは思っている。俺たちはあの頃から欠片も変わらず、ずっとずっと、そんな"微笑ましい"関係を続けられている幸福な奴らなのだと。
 人は変わる。時の流れは誰にでも平等に訪れる。この歳になるとそのことに対し、僅かの諦めや哀愁を誰しも持ち得るように、みんなも、そんな感情を心に当然のように抱えていた。だから俺たちを見て、あの頃のままだと言って、どこか青春を懐古するように、微笑まし気に、目を細めるのだ。――――しかしそこに、あの頃の面影などほんとうはもうなにもないことを、俺はずっと、言えないでいる。
 俺は、ずっと。
 ソファを離れ手を伸ばし、ゆっくり、ドアノブを捻る。寝室の扉の蝶番が少し軋んでいることを知っている俺は殊更丁寧にそれを押し開くと、僅か室内へと顔を覗かせる。
 部屋の真ん中に大きくあるベッドは引っ越し当初一番奮発したキングサイズで、こんな俺や彼がふたり並んでも窮屈でない優れものだった。その真っ白なシーツの上に、ひとり身を転げて眠りに落ちている彼がいる。タンクトップからのぞく美しい上腕筋の丸み。褐色の肌と俺がいつも洗濯する真っ白なシーツとの対比が、この上もなく好きだった。
 そんな腕の先、枕元に携帯がひとつ、忘れ置かれている。彼が空けてくれている今は使われていないもうひとつの枕の上。ピカピカ、明かりの落とされた室内でそれが明滅を繰り返している。メールを知らせる赤のライト。着信は青、SNS系は緑、メールは赤。覚えている。彼の携帯の初期設定をしたのは俺だった。彼が、変えていなければ・・・きっと、今もそのままのはずだ。
 静かにドアを閉め直した。赤の明滅を視界の外に追いやって、踵を返す。ソファに出戻るとジャケットを脱いで横になる。こんな時の為に大きなものを買った訳ではないけれど、長い脚を抱えずとも横になれるソファも、やはり、優れものだった。


 彼と俺は、恋人だった。同居ではなく同棲までしている、男同士だけれど正真正銘の、恋仲だったのだ。・・・けれどもそれに今はもう、自信はなかった。俺たちは恋人だ。しかし果たして――俺たちは今も、恋、し合えているのだろうか。








2013/09/20 13:40




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