悲鳴を愛さないで


忍野メメ→阿良々木暦


さあ寝ようというときに、彼女はやって来た。

「やあやあ忍野くん。こんばんは」

真ん丸い月を背負うようにして。

「こんばんは。ナマエさん」

待ちくたびれたよ、とは、言わない。だって実際、待ってなんかいなかった。できれば一生来ないでほしいくらいだ。それにーーこの言葉は、あの子にしか言いたくない。
前に滞在していた街で、力を貸した少年。自らの命を投げ出してまで、怪異の王を助けようとした少年。関わった女の子たちを片っ端から助けた少年。愚かで真っ直ぐで眩しいくらいに一途な、少年。僕が待つのは、待ちくたびれるまで待つのは、阿良々木くんだけだ。
まあ、離れていったのは、紛れもなく僕の方だけれど。

「今日も廃墟暮らしかい?よくもまあ体を壊さないもんだ」
「これでも体は丈夫な方だと自負してるからね」

阿良々木くんほどではなくとも。
阿良々木くんはどうやら僕が無敵だとでも思っているようだけれど、それは違う。春休みにハートアンダーブレードから心臓を抜き取れたのは、彼女が絶対の自信を持っていたがために、それから僕という存在を知らなかったがために、油断という名の隙が生じていたからだ。僕のことは知っていたかもしれないけれど、まさかあの街にいるとは思いもしていなかったに違いない。まあ、あの頃の忍ちゃんなら、知っていてもなにも変わらなかったような気もするけど。ともかく、僕は決して無敵などではない。忍ちゃんや阿良々木くんとは違って、正真正銘、ただの人間なんだから。たとえ頭に"専門家の"が付いたとしても、弱い存在であることに違いはない。
しかし困ったな。僕は本来、お喋りが得意ではない。怪異の専門知識をべらべらと喋るならともかく、普通の雑談となるとすらすらとテンポよく喋れなくなる。意外に思われるかもしれないけど。影縫ちゃんや貝木くんにはオタクだと言われてよくからかわれた。
これが阿良々木くん相手だったのなら、今までの僕からは想像もつかないほどーー阿良々木くんたちからすると普段通りと言えるほど、テンポよく喋れるんだけどな。彼は聞き上手だ。欲しいところに突っ込みを入れてくれるし、話題の転換も上手い。友達がいないなんて、そんなの嘘だろと思ってしまうほどに彼は、聞き上手で、話し上手だ。
というか、こういうモノローグは本来阿良々木くんの役目だっていうのに。最近は委員長ちゃんだったりエロッ……じゃなかった百合っ子ちゃんだったり照れ屋ちゃんだったり貝木くんだったり(!)したわけだけど、やっぱり僕としては阿良々木くんの語りが一番好きなわけで。自分の語りなんてーーたとえ二次創作の、パラレルな世界であったとしてもーー全く嬉しくない。
とは言え、今回の話は阿良々木くんには知られたくないものだ。題をつけるとするならば、"隠物語"といったところだろうか。"かくれものがたり"……いや、やっぱりつけるのはやめよう。センスが無さすぎる。世界を渡ったときの阿良々木くんと忍ちゃんは、"傾物語"ーーかぶきものがたりーーという、なんともセンスのいい題をつけていたのに。なんだかんだで阿良々木くんは主人公なんだ。結局僕は、化物語と傷物語、暦物語の一部と終物語下の最後にほんの少しだけしか出ていないような、まあモブといってもいいくらいの人間なわけだから、センスのよさ云々は当然の結果なのかもしれない。
ちゃっかり宣伝も混ぜてしまったけれど、とりあえず現実逃避はこのくらいにして。

「なんの用かな?僕はみんなが思っているほどお喋りは得意じゃないんだ。君を満足させられるとは思えないけど」

そもそも、お喋りが目的だとは思っちゃいないけれど。

「そうだねえ……君がその血肉を差し出してくれれば、あたしゃそれだけで満足さ」
「……やっぱりそれが目的なのかい」
「むしろ"それだけ"が目的だよ」

困った。なんとなくは分かっていたけれど、いざ本人に言われるとどんな反応をすればいいのやら。というか、ただの人間であるーーただの人間でしかないこの僕の血肉を欲しがるだなんて、いったいどういう風の吹き回しだろうか。

「君たちはーー特に君は、位の高い怪異しか喰らわないことで有名だろうに」
「おやおや、そうだったのかい。知らなかったなあ」

惚けてみせるナマエさんに、思わず漏れた溜め息。そんな僕を見て笑みを深くする、随分とご機嫌なナマエさん。

「君を喰らえなければ、」
「喰らえなければ?」
「君の大切に思う人間を喰らおう」

大切に思う人間、なんて、ひとりしか思い付かない。いやいやまさか、冗談だろ?いくらナマエさんであっても、彼に手を出すのは相当のリスクがあるはずだ。それらを無視できるほど、無視してしまうほど、彼女はバカではない。

「嘘じゃあないよ?あたしは嘘が嫌いなんだ」

にたり。笑う彼女の口から、わずかに牙が見え隠れする。肉を引き千切り、噛み切るための。
ああ、なんてことだ。自分と阿良々木くんを天秤に掛けなければならないだなんて。そんなの、絶対的に僕の血肉を差し出すしかないじゃないか。狡い。選択肢を与えたように見せて、その実、逃がすつもりなんてないんだ。
まあ、阿良々木くんなら大丈夫だろうとは思う。今でも、そしてきっとこれからも、彼は誰かのために奔走する。けれど、彼はもうひとりじゃない。影には忍ちゃんが潜んでいるし、支えてくれる恋人も、頼りになる後輩も、街を守る神さまもいる。阿良々木家には余接ちゃんが滞在しているし、僕の姪っ子となった、彼の裏の存在であり彼自身でもある扇ちゃんだっている。なにも心配することなんてない。
ただ、僕は嫌なだけだ。自分がもう2度と、阿良々木くんを見れなくなるのが。僕はもう、どうしようもなく、阿良々木くんのことが、好きだった。

「おやおや?黙り込んじゃって」
「……」
「そんなに阿良々木くんが大事かい」

そうかそうかとひとり頷く彼女を無視する。生憎と僕は彼らが思っているほど優しい人間ではないし、お人好しでもない。阿良々木くんのように、自分の命を犠牲にしてまで誰かを助けるだなんてことはしない。ああ間違えた。人はひとりで勝手に助かるだけなんだから、力を貸すだけでそもそも誰かを助けたことなんてないんだった。
僕は自分が一番大切だ。誰だってそうだろう。普通は。阿良々木くんのような人間は、相当珍しい。
そう、だから僕は、ナマエさんの要求を突っぱねればいいのだ。受け入れる必要なんてない。一蹴してしまえばいい。以前の僕ならそうしていただろう。けれど、僕にはもう、そんな選択はできなかった。
それに僕は、人間と怪異の中立者であり、バランサーである。ナマエさんが阿良々木くんを喰らおうとすれば、必ず忍ちゃんは動く。阿良々木くんを守るだけならいいけれど、それだけではなくナマエさんを殺してしまったら。そうなれば、バランスが崩れてしまう。阿良々木くんには生きていてほしいし、バランスも崩したくない。

「……どうして僕を選んだのか。理由を、教えてくれないかい?」
「なんで?」
「なんでって……理由も知らないまま差し出すわけないだろう?そんな危険なこと、僕がするわけがない」
「ああ、なるほど。そうかいそうかい。うん、そうだったね。君は、そういう奴だった」

なにがおもしろいのか、にたにたと笑うナマエさんは、正しく捕食者。僕は追い詰められ囲われた獲物にすぎない。

「そんなの決まってるだろう?ただのヒマつぶしさ」
「ヒマつぶしって……君はヒマつぶしでただの人間を喰らうような節操なしじゃないだろ?」
「まあね……だから、人間を喰らうのは君が最後さ。最初で最後」

最初で最後ーー本当か嘘かなんて、判断のしようがない。けれど、ナマエさんはーー何度か言っている通りーー嘘が嫌いなことで有名だった。ここは彼女を信じるか。
死ぬのが怖くないわけじゃない。僕だって普通の人間の、普通の感性を持っている。死ぬのは怖いし、死にたくもない。けれど、

「……僕を喰らえば、本当に阿良々木くんには手を出さないんだね?」
「もちろんさ。あたしは嘘が嫌いなんだ」
「じゃあ、いいよ」

阿良々木くんは、僕がーーこの僕が唯一助けたいと思った少年なんだ。結局手を貸すことしかできなかった彼を、最後の最期でいいから、守りたいと思う。
それじゃあ、とナマエさんはニタリと笑って、大きく口を開いた。

いただきます



「まあ、本当に食べるつもりなんて、これっぽっちもなかったんだけどね。阿良々木くんは。さすがのあたしでもーー人喰い鬼の女王たるあたしでも、かのハートアンダーブレード、じゃなかった、ええっと……忍野忍、だっけ?と闘いたくなんて、ないのさ。はじめから負けると分かっている勝負はしない主義でね」

ごくりと最後の欠片ーー忍野メメだった肉片を飲み込む。甘いような酸っぱいような、なんとも言えない味が広がった。ぺろりと唇を舐める。そこにもまだ血がついていたようで、僅かではあるが独特の味がした。甘美な鉄の臭いは、未だ室内に色濃く残っている。
ひとりとなったナマエは、あはははっ!と、心底楽しげに、愉快げに、声を立てて笑った。

「これだから男って奴はーー人間って奴は」

呆れるくらいおもしろい。



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