モンシロチョウの赤ちゃん


「それで僕としては今が1番いいタイミングだと思うんだよねー」


 机の上に並べられたたくさんの資料。見たくもない言葉が並べられていて見るだけで吐き気がする。胸がざわつき座ってるのがしんどい、今すぐベットの上に倒れて寝たい。あまりのしんどさにわざとらしく口を手で覆ってみるが、目の前に座ってるチョロ松は気づきもしない。さっきからうるさくペラペラ喋って、私の体のことなんて気にもしない。
 ああそうだよね、私のことなんてどうでもいいよね、だからこの説明もしてるんだ。

 気持ちが悪い。自分の体も、目の前に立ってうるさく説明してる男も。


「ねぇ、聞いてるナマエ?」


 チョロ松の声に我にかえる。顔を上げたらチョロ松が私をペンで指差していた。イライラしてるのが見てわかるそのチョロ松の態度に、胸の奥から怒りがこみ上げはらわたが煮えくりかえる。ねぇなんでチョロ松がイライラしてるの?私の方イライラしてると思うよ、貴方のずっと何倍も。
 キリキリ痛む胃、どんどん悪くなっていく体調、しんどい体と心。ああなんだかもう限界みたいだ。涙が溢れそうになった。


「責任は僕にあるしお金はなんとかしてみるからナマエは予約の方………」
「ねぇチョロ松」
「んっ、何」
「私この子産みたいんだけど」


 抑えていた気持ちを吐き出してみたら自分の手が小さく震えた。僅かな要望、微かな期待、やっと伝えることができた私の願望。できたとわかってから何も言わなかった私が今日初めてチョロ松に自分の願いを伝える。彼は一体、どんな言葉を返してくれる?
 彼だってこの子の立派な父親だ。母性本能ならぬ父性本能なんてものが生まれているかもしれない、だって自分の子供なんだから。

 どくどく鳴る鼓動の音を聞きながらチョロ松の言葉を待っていれば、チョロ松は眉間にしわを寄せて口を開く。


「いやいや何言ってんの?ダメだって、無理矢理でも病院連れていくから」


 ため息をつくチョロ松。私の最後の希望は無残にも散ったようだ。


「あーあ………僕らのところじゃなくて望んでる夫婦のところにいけば良かったのに。僕だってこんな人殺しみたいなことしたくないよ」


 困ったように頭を抱える彼を見て、ああこの人は本当にこの子を愛していないんだとわかった。この人はこの子がきてくれたのに嬉しいなんて思わなくてただ迷惑だと思っていたんだ。父性本能なんてありやしない、喜んでいたのは私だけ。

 私はこの子がきてくれて嬉しかった、嬉しかったし産みたかった、私とチョロ松の愛の結晶でもあるこの子を。付き合っているのに感じることできなかったチョロ松の愛を、体全体で感じることができたこの子を。
 なのに彼はそれをキッパリ否定した。できたと伝えた日もチョロ松は認知を拒んだ、この子を拒否した。受け入れたと思ったらすぐに病院探し、なるべくお金がかからず堕ろすことが出来る産婦人科を。
 チョロ松にとってこの子は邪魔だった、でも私にとってこの子は嬉しかった。結局そうだ、私とチョロ松の間に愛なんてない、私の独りよがりの愛だけだ。チョロ松は私をただの性欲処理としか見ていない、付き合っているのに。

 机の上に並べられた資料。堕ろすタイミングはいつがいいかなどそういうこの子を否定する文字しか書かれていない資料。吐き気がしそうだ、この資料も、この子を否定するこの男も。瞳がじんわり潤い涙が一滴溢れる。私が泣いてみてもこの男は気づかない、喋る口が止まらない。この子を否定する言葉だけを話す話す。
 気持ちが悪い、吐き気がしそう。つわりのせいか、この男のせいか、この子を守れなかった弱い自分自身のせいか。わからない、考える余裕もない。最後の希望も捨てた今私の頭は空っぽだ。


「善は急げ!ほら予約しなきゃナマエ………ナマエ?」


 チョロ松が私の名前を呼ぶけれど私は返事をしない。大粒の涙をこぼしてひたすら「ごめんね」を繰り返す。誰への謝罪?そんなの決まってる、お腹の子へのだ。
 ごめんね弱いママで。ごめんねあなたを守れなくて。ごめんね、パパに嫌われたくないからあなたを見捨てる残酷なママで。あなたのことも大好きだけど、それ以上にこの屑なパパを愛しちゃってるの。


 なんでこんな男を取り返しのつかないぐらい愛してしまったんだろう。
 そう後悔してももう遅い。時計の針が刻一刻と時を刻み知らせてくれる、お腹の子が殺されるまであと少しだと。


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